本当の気持ちとは

「本当のことしか言わない」と言い切る人がいて、確かに嘘はついてないんだけど、すり替えに次ぐすり替えで、決して本心を語ってるとは思えない。そうかと思えば嘘ばかりつく人がいて、ずっと信じて鵜呑みにしていただけどやがて辻褄が合わなくなり、それを指摘すると立ち居振る舞いが奇妙になり、そしてその人の話運びの癖から嘘かどうか見極められるようになってきた。どうしてそんなふうな行動をするのか、インターネットで調べてはみるんだけど「嘘をつく人はプライドが高い」とか「自分に自信がない」とか出てくるだけで、私の知りたいこととはちょっと違う。だってプライドの高い人や自分に自信のない人が全て嘘つきなわけじゃない。例えば高校生の頃の私はずいぶんと荒んでいて、家にも学校にも居場所がなくて、唯一色眼鏡で見ないバイト先の人が優しい言葉をかけてくれたり遊びに連れて行ってくれるのでそこが居心地が良くて、あまり家に寄り付かなくなった。小学校の低学年以来行ったことのない遊園地に連れて行ってもらったときは本当に嬉しかった。バイト先の人たちだけが誕生日を祝ってくれた。家では家族とはほとんど口も聞かず、私はずっと怒ってたと思う。私の家族もずいぶんと荒んでた。17歳くらいの私は、なんで家族はわかってくれないんだって思ってたんだろう。かといって家族に自分の本当の気持ちを伝えたことは一度もなかった。今思うと、わかってくれって思うだけでは伝わらないし、口に出して伝えたわけじゃないから結果が得られないのは当たり前だ。今なら当時の自分のことも、家族のことも多少は客観的に見られるから、どちらもお粗末だったなと今更ながらに感じる。あの時に自分を客観視できていたら家族の仲は多少は変わっていたかもしれない。自分自身を客観視するためにできることの本を最近読んでるからそう思うんだけど、読めば読むほどこの世にはいろんな認知の歪みがあるなと思ってしまう。だからって客観視できなかった過去の自分や、今の世の中の人を断罪しようと思ってるわけでもなんでもない。今からでも遅くないから、ちょっとでも自分を客観視できたらいいなと練習を始めているところだ。客観視するというのは本当の自分の気持ちに気づくことかなって思う。ネットで自分の意見に近い意見ばかりを探してしまうとか、無視できない嫌いな事象とか、頑なに避けている事柄とか。きっとそれらは、人に話すときの理由とは別の理由がある気がする。その理由が何かがわかってくるともうちょっとラクに生きられるはず。いや、まあ、そこそこ気楽には生きてるんだけど。この続きはまた今度。

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