あなたがそばにいて欲しい

 君は本当に蕎麦が好きなんだね。手打ち蕎麦を作るのが趣味って話は聞いていたけど、こんなに本格的な道具一式持っているなんてまったく知らなかったよ。
 蕎麦の実を擦り潰す石臼なんて持っていたんだ。臼というものを実際に使うのを初めて見たからすごくびっくりした。そうか、蕎麦の実を粉にするところから作っていたのか。お店の人じゃなくてもそこから始めることができるんだね。
 それにしても一生懸命になって挽いていたなあ。ずいぶんと長い時間をかけて、ごりごりごりごりと。額に汗が何粒も流れて光っていたよ。ずいぶんと骨だったんじゃないかなって心配だよ。まあ、これはちょいと特例だったからね。臼を使う前の下準備にも手間取らせたし。
 それから、麺棒。麺の棒って書くんだから、そりゃ麺打ちに必要な道具なんだろうけど、恥ずかしながら僕にとって麺棒っていうのはお菓子の生地を伸ばす道具だったんだ。君は知らないだろうけど、僕の妹はよく手作りクッキーを作ってくれたんだ。あ、妹の彼氏へのプレゼントの残り物だけどね。頻繁に手伝わされていたから、僕の麺棒の使い方もなかなかのものだったんじゃないかと思うよ。うーん、でも蕎麦の延ばし方とは力の加減が違うんだろうね、きっとさ。
 それにしても、麺棒を転がして伸ばしていく君の視線はとてもまっすぐで真剣そのものだった。一心不乱に打ち込む瞳に僕は吸い込まれそうだった。いや、吸い込まれたいって思ったくらいさ。それは叶わなかったけどね。
 そうそう、ぎらりと光る蕎麦専用の包丁の迫力にはまいったよ。普通の包丁と形も違うんだな。あんな大きくて異形の包丁を君が自在に奮うなんてさ、見かけとのギャップが大きすぎてさ。でも、器用で繊細で、力もあって、本当に君は完璧な奴だって惚れ直してしまったよ。
 そして、神経質な君は、コマ板を使ってきっちりと均等に切り分けていったね。いつもと勝手が違っていたから、すごく切りにくそうにしていたけれど、それでも持ち前の冷静さを失わずに、君は立派にやり遂げたよ。
 この一連の作業に、ずぼらな僕にはやっぱり蕎麦打ちは無理だなってしみじみ思ったもんだ。
 こうしてようやく出来上がったものを君は丁寧にお重に詰めて、風呂敷に包んで、月夜にピクニック。静かな静かな山の村、君の足音だけが響いていたよ。
 目指す先は、君専用の蕎麦畑。まだ種蒔く前の、まっさらな畑。なんだよ、自分の蕎麦畑まで持っているなんて、どこまで蕎麦を愛しているんだい。
 浅ましい僕は嫉妬に身を焦がしそうだったけど、そんな必要はなかったんだな。
 君はお重から取り出した。そして、石臼で挽いた粉末状の僕の骨と、細かく切り刻んだ僕の肉片を、そりゃあもう丁寧に畑に蒔いていった。隅から隅までね。
 きれいなまん丸お月様が見守る中、ひっそりこっそり畑を耕して、畑の土と僕の身体はぐちゅぐちゅと混ぜられてちょうどいい具合に一つとなった。
 そう、僕は君の蕎麦畑。君の蕎麦畑は僕自身。
 蕎麦に詳しい君なら知っているはずだけど、蕎麦ってとても肥えた土地には向かない作物なんだってね。でも、僕の肉体はあまりに貧弱すぎてろくな肥料にはならなかったようだ。だから、大丈夫。君の大切な蕎麦畑は、ただ僕の、君への想いだけが満ちて広がっている。その想いを蕎麦の根が吸い上げて、立派に葉を広げ、そして、ほら。
 あの月夜の晩と違って、君はお日様の下、堂々と僕たちの様子を見に来てくれた。
 君の笑顔にこちらも嬉しくなる。ちょっぴり皺が出来た気がするけど、相変わらずチャーミングだよ。
 君が育てた、僕が見守る蕎麦畑一面に真っ白い花々が咲き乱れる。蕎麦がこんなきれいな花を咲かせるなんて、蕎麦畑になるまで僕は知らなかったんだ。
 ああ、蕎麦を、僕をもっと見て、笑って、愛して。
 蕎麦は僕に根を張り、立派に花咲いて、豊かに実らせる。僕の想いの結晶を君が食べる。僕のことを思いながら。
(あなたがソバにいる)
 約束するよ、僕は君の蕎麦畑を守り続ける。そうとも、君と共に。ずっとずっと。
(あなたがソバにいて欲しい)