打てない焦りと昔の自分その①

こんにちわ。
最近一番傷ついた出来事は、リビングに飾ってある写真立てが、3人の家族写真から妻と娘とわんこの2人と1匹の写真に差し替えられていたことです。

どうやら我が家の序列は妻→娘→わんこ→僕の順番な様です。
このnoteを読んでくださっている優しい奥様は、その優しさを旦那様にも少しだけ向けてあげてください。あと、お小遣いもください。

さて、最高位戦に入会して2ヶ月程が経ちました。僕がプロになろうと思った理由は大まかに言うと2つあります。

1つは自分のスキルアップ&実力を試したいというプレイヤー的な理由で、もう1つは自分も最高位戦にそうしてもらえた様に、アマチュアの方に麻雀を好きになってもらえる様な活動をしたいと思ったからです。

んで実際この2ヶ月何をしていたかというと・・・
何もしていません。。。新人王戦で地味に負けた以外はプロアマとアエルリーグに1回ずつ参加したぐらいです。

しかも打っていないだけではなく、睡眠時間削ってまで毎日見ていた放送対局も今はほとんど見る時間作れていないし、週一更新を目標としていたnoteも既にサボりがちです。

家帰ったら疲れてすぐ横になってしまって、休日の前の日だけ日頃の鬱憤を発散するかの様に朝まで飲んで、休日は夕方まで寝てまた1週間が始まる・・・という日々の中、まじめに麻雀に取り組んでいる方々からすると圧倒的に努力が足りない自分を本当に情けなく思っています。そして焦っています。

ということで麻雀から最近離れがちなのもありnoteのネタが全くないので、今回は僕が麻雀と巡り合ってプロになるまでの自分語りの会にしたいと思います。全国にきっと5人ぐらいはいるであろう、ただきファンのデ○専の皆様はぜひ楽しみにご覧ください。

はじめて麻雀牌を手にしたのは高校1年生の年の4月1日でした。

僕は高校入学の際に田舎から札幌へ親元離れて出てきて寮生活をしていたのですが、入寮した僕を待ち構えていたのは先輩達の執拗な麻雀のお誘いでした。
ルールも役もよくわからない僕は、とりあえず三つの面子と頭作ってリーチするか七対子にすればええんやろとひたすらその戦術だけを追求して、初日こそ負けたものの、以降は入学式までの1週間ひたすら先輩達をカモり続けて、あまり呼ばれなくなってしまいました。

そして当時は知らなかったのですが、どうやら寮は麻雀禁止だったらしく、夜な夜な徹麻しているのが学校にバレて、親元離れて半月、入学式から1週間という恐らく母校最速の停学記録を叩き出してしまいます。
小林剛さんもびっくりのスピードです。

実家から札幌に出てくる時、「あんた、都会に行っても頑張りなさいよ…」って母親が涙ぐみながら応援してくれたのに、さっそく期待を裏切ってしまいました。

「おふくろは俺を送り出す時泣いてたけれど、俺も札幌でポン・チー鳴ける様になってきたぜ!」って言ったら、母親がまた泣いてしまいました。
おかあさんごめんなさい。けれど親父は大爆笑していました。

そして一応の禊が済み、さすがに麻雀は控えて高校2年生になった時に、自宅に麻雀牌があるというナイスなクラスメイトを発見してしまいます。
コアなただきファンの方はご存知の方もいるかもしれません。『ヒャッヒャッヒャツ』の高笑いで有名なあのブルさんの登場です。

以降は卒業までブル宅でほぼ毎日卓が立つ状況なので面子集めに苦労することもなく、かつ毎日違う面子と遊べる楽しさもあり麻雀にハマッていきました。その中でも僕はたぶん一番勝っていたと思います。

少し手前味噌な話になりますが、田舎にいたころの僕は俗にいう優等生と言われる部類だったかと思います。
勉強もずっと1位だったし運動もわりかし得意だったので、野球部の主将と生徒会長やってたりしました。その甲斐あって推薦でそこそこいい高校に入ることができました。

ただ都会にはそんな奴らはゴロッゴロいて勉強も野球もパッとせず比較的腐っていた頃に、久しぶりに人から上手いと褒められたのが麻雀だったので、それが嬉しくて少しでも上手になりたいと思い、授業中は消しゴムで摸打の練習してたり、点数計算は物理の授業中を全振りして覚えました。

好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、アルキメデスの原理とかは全く理解できなかったけれど、点数計算はあっという間に覚えられたしド忘れしても計算すりゃいいやって求め方まで覚えていました。

そんな感じで勉強は常に赤点の恐怖と戦い、野球は肘を痛めて途中で辞めてしまうなどパッとしない高校生活ではあったものの、麻雀という最高に楽しめる趣味が出来て、良くも悪くも人生が大きく変わった高校生活でしたが、さすがに遊びすぎたので大学からはきちんと勉強して親を安心させようと強い意志で関東の大学へと向かうのでした・・・

本日はここまで
次回は憧れのキャンパスライフを先輩達にぶっ壊された大学生時代、そして人間としての生活をほぼ成していなかったバーテンダー編です。




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