奨学金から考える ~崩れ始めた日本人の3つの価値観~

日本人が持つ価値観とされる「家族主義」「受益者負担」「自己責任」について、奨学金の観点から考えてみます。

奨学金に限りませんが、さまざまな事象に対する価値観には国民性や県民性が影響するのは当然のことです。

ですので、高等教育に対する考え方は国ごとに様々であり、それぞれの国家の成り立ちや人口構成、財政事情などにより異なります。

だから、アメリカやイギリスが導入している仕組みが、そのまま日本に当てはまるという保証はありません。

他国の例を参考にすることは大切ですが、奨学金制度に関しても、他国で上手くいっている例をそのまま日本に導入するのはどうかと思いますし、その時点で良いと思われている表面を取り上げて、日本の制度を批判するのはどうなのか?と個人的には考えます。

国による価値観の違い

たとえば、教育費に対する考え方に「福祉国家主義」「個人主義」「家族主義」と3つの考え方があるとされています。

「福祉国家主義」は、スウェーデンやノルウェーやフィンランドのように大学の学費が無料の国。教育はより良い納税者を育てるために国が責任を負う、という考え方ですね。

次の「個人主義」は、これは、自分の意思で進学するのだから、メリットもリスクも自分が引き受けるべき、という考え方で、現在のアメリカが代表的になるでしょうか。

最後に「家族主義」ですが、これは、子どもの教育は親の責任という考え方で、日本と韓国が該当するとされています。

この”子どもの教育は親の責任という価値観”は、今なお根強くあり、しかも世代が上がるほどその傾向が強くなります。

公的な給付型奨学金制度が日本に導入されなかった理由に、家族主義的価値観が影響していたことを示す文献がいくつもあります。

言い方を変えると、日本では何世代もの親が無理をして子育てを頑張ってきたことが、国の公的な教育支援策を遅らせてきたともいえます。

今年度、本格的な給付型奨学金が日本でもようやく創設されましたが、実は韓国でも国の給付型奨学金が始まったのは、前々政権の李明博時代です。

日韓両国の親が長年無理をし続けてきたが、ようやく政府がその限界に気づいたということでしょうか。

教育に対する日本人の価値観

話を日本の価値観に戻します。

「家族主義に」の次に考えるべき価値観が「受益者負担」です。

これは”メリットを受けたものがコストを負担する”という考え方です。大学進学で言えば、大卒は高卒よりも高待遇を得られるのだから、その費用を負担するのはあたり前、という価値観ですね。

そして、最後に「自己責任」です。これは受益者負担と同じ意味となるでしょうが、あえて3つ目の価値観として伝えたいです。

「家族主義」「受益者負担」「自己責任」

実は、この3つの価値観は、奨学金制度を議論する公的な場でも何度も出て(きた)くる言葉です。

しかし、社会の在りかたが変わってしまい、これらの価値観が崩れ始めたことで、奨学金問題が表面化してきたのだと思います。

誤解をおそれずに言うと、経済が右肩上がりの時代ではたとえ個人の能力が低くても恩恵が受けられた。それが、今では個々の能力が収入差に明確に反映される時代となった。

しかも、バブル崩壊後の就職氷河期などは、それ以前では通用した個々の能力と運を超えたものが影響したはずです。

ただ同時に、長く根付いたこれらの価値観を変えていくのも簡単ではないとも感じています。

奨学金問題の発信者と受信者のギャップ

先日、奨学金問題を取材し続けているジャーナリストの記事がヤフーニュースに取り上げられていました。

都内在住の女性が日本学生支援機構から奨学金の返済を求めて訴えられた裁判に関するもので、機構の姿勢や制度を批判する内容です。

記事に対する1000件を超えるコメントの9割以上は、女性の対応や執筆者の偏向姿勢を批判する内容で占められていました。

何かを変えるときには時には大きな声を上げなければならないと思います。

でも、それを敵対関係の構図にしてしまうことに昔から違和感を覚えます。

なぜそうなったのか? 何が一番の原因だったのか? どうすれば改善されるのか? 冷静にじっくりとそういった議論をメディアにもしてほしいと願っています。



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