日本の奨学金の歴史② ~日本育英会~

日本政府の奨学金が「無利子貸与」で始まった経緯は前回の記事で書きました。

しかし、奨学金は無利子貸与でありながらも、いくつかの返済特典が設けられていました。

たとえば、教職や研究職など特定の職業に就くと返済が免除されたり、返済完了までの一定期間内に残額を一括返済すると報奨金が支払われるといったものです。

そのほか「特別貸与」として通常の一般貸与額よりも大きい金額の貸与を受けながらも、一般貸与相当額を返済すれば残額返済が免除される制度がありました。

現在40代半ば以上の世代なら、教員になれば返済免除されるという話を聞いた人もいるのではないでしょうか。実際、私が知る範囲でもそれらの恩恵を受けた教員が何人もいます。

つまり、貸与型奨学金でありながらも、返済免除制度により給付型の役割も果たしてきたのです。

しかし、1984(昭和59)年に、国の奨学金制度は大きな転期を迎えます。

それまで一般貸与と特別貸与に区別されていた2種類の奨学金が「無利子貸与奨学金」として一本化されるとともに特別貸与返済免除制度が廃止されました。

返済免除特典廃止の動きはその後も続き、1997(平成9)年には教員職、2004(平成16)年に研究職が廃止されました。

現在では、大学院生向けの一部を除き、返済免除特典は全て廃止されています。

先の1984年は、日本の奨学金制度の第一の転換期でした。というのもこの年初めて「有利子奨学金」が導入されたのです。

有利子奨学金が導入された背景には、大学進学率の上昇と学費の上昇のダブル要因が多きく関係しています。

しかし、見落としてはならないのが当時の時代背景です。

さらに、もう一点が、奨学金というよりも、大学など高等教育に対する価値観です。

教育を語る際には「育英」「奨学」という2つの言葉が交差します。

単純に言えば、育英とは「優秀な人材を育成するためのエリート教育」であり、奨学は「希望する人に平等にチャンスを与える」というものだと理解してもらっていいでしょう。

日本の公的奨学団体の名称が、「大日本育英会」「日本育英会」であったことをみても、国は前者の“エリート人材の育成”を重視していたと思います。

ですので、前回の記事に書いた奨学金制度創設の背景でも、次の時代を担う人材育成が重要であり、文系よりもモノ作りに直結する理系人材を重視しようとする思想があったはずです。

そのため、日本の奨学金制度は「優秀な学生のための経済支援制度」という位置づけで進んでいました。

その転機が訪れたのが、1999(平成11)年です。この年、現在の奨学金問題につながる大きな政策転換が行われました。



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