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「ともに食べるということ」

ともに食べるということ―共食にみる日本人の感性 | 福田 育弘 |本 | 通販 | Amazon

コロナ禍で黙食・個食がクローズアップされるようになりましたが、それが社会や個人の価値観にどのような影響を与えていくのかに興味を持っていました。

美食家であったブリア=サヴァランは、美食の喜びを味わう条件として「そこそこに美味しい料理、良いワイン、十分な時間、感じのいい会食者」を上げていますが、「誰とどのように食べるか」は大きな影響を与えると思っています。

子供達への影響と大人への影響は大きく異なると思うので、その影響に関する研究などは今後出てくるのだと思いますが、まずはともに食べるということにはどのような歴史と意味があるのかを理解しようと思い読んでみました。

日本の飲食文化の研究者の本なので、文化史的な視点がメインでそれがどのような価値観の形成につながったかまでは踏み込んでいなかったのですが、それでも色々と勉強になることはありました。

本を読んでわかったのは、人間の生活において毎日の食事を共にすることの意味は地域と時代によって大きく異なっているという事でした。

歴史を辿ればキリがないですが、古来からの祭事であれば直会(なおらい)という神人共食の意味合いがあったりとかもしますが、江戸時代の武家社会では食事の場は上下関係を明らかにする場でもあったそうです。
確かに現代でも「上座」というものを宴会とかで意識したりしますよね。

また、食事の場は各家庭でのしつけの場でもあった(箸使い、姿勢など)こともあり、昭和初期くらいまでの日本では食事の場というのは楽しいものではなくどちからというと緊張感が高い場であったそうです。
しかし、その後の高度経済成長以降に父親不在の食事形態が増え、外食も増えるにつれてその意味合いは薄れていったと。


あとは日本人の感性のルーツにはお弁当があるということも気づきでした。

李御寧は著作(「縮み」志向の日本人)の中で、”日本人は細かくて緻密なものに美意識を感じる文化がある(=細部にこだわる)”と指摘したように、日本の折詰弁当はその象徴でもあります。

食文化の視点からすると、日本人のお弁当は離れていても作ってくれた人を思うことで「共食」とする考えがあるのだそうです。
真偽のほどは定かではないですが、お歳暮に食物を贈る習慣もこのように相手との共食をする感覚があったからとも述べていました。

一方で海外では携帯食は保存食の意味合いが強く、思いのこもった料理というのは基本的に温かい手作り料理(ポトフなど)が基本らしいですが、確かにそう言われてばそのような気もします。

それに対して日本には冷たいものを美味しく食べる文化があり、それは世界的にも珍しいみたいで、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されているというのは知りませんでした。

「共に食べる事の意味」と「共に食べない事の意味」がそれぞれあるのでしょうが、高校生時代に母が作ってくれたお弁当のありがたみはずっと心に残っていますし、そこに共食の感覚があるというのは実感します。

時間を見つけて、”黙食なるものが人々の心理や行動にどのように影響を与えたのか?”  をもっと学んでみたいと思います。

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