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ウイルスの変異と今後

久しぶりのコロナ関連のnote投稿です。8か月前のnoteはこれ。

新型コロナウイルス出現時より予想されていたことだが、この冬、世界中の国で新規感染者数の過去最多更新が起こっているほどに感染が広がっている。中でもイギリスや南アフリカ共和国で新たな変異株が出現し、人々の話題は変異株が自分の国でも流行するのではないか、今走っているワクチンは変異株に有効なのかなどが新たな話題となっている。

この内容に関してTwitterで140字以内でまとめることは難しいので、現時点で思うことを少しnoteにまとめてみたいと思う。

ちなみに、ここではワクチンは受けたほうが良いのか、自粛がなぜ必要なのか、などはまた別のところで議論してもらうこととして、あくまで一般論としてウイルスゲノム変異と今後の見通しについて自分なりに考えることを書きたいと思う。ちなみに、先のことを書いてるので​​仮定の話が多いことは目をつぶってほしい。

1. 話し始める前の簡単なウイルス知識

ご存知の通り、SARS-CoV2ウイルスはプラス鎖一本鎖のRNAウイルスである。一般に、ゲノム変異はゲノムの複製時に起こるのだが、「一本鎖」かつ「RNA」かつ「ウイルス」は複製機会が圧倒的に多く、ウイルスゲノム複製のエラー導入効率が高く、変異が入ってもそれを元に戻してしまうような校正機能が働きづらいという特徴があり、変異が起こるスピードが速い。

また、一般の方々が大きく誤解していることとして、1人の個体に感染しているウイルスのゲノム配列はただ1つではなく、同じSARS-CoV2ウイルスでもいろいろなゲノムの違いがあるウイルスの集合体に感染しているという認識を持った方が変異を理解しやすい。

例えばある10個の連続したゲノム配列の代表がAGUCUGAUCCだとして、一個一個のウイルスを調べてみると、こうだったりする。

AGUCUGUUCC

AGUCUGAUCA

AGUCUGAUCC

GGUCUGAUCC

AGUCAGAUCC

これらの平均をとると代表塩基配列はAGUCUGAUCCとなるのであり、このウイルスのこの箇所の配列はAGUCUGAUCCだと表現されている。このように、感染しているウイルスのゲノム配列は決して一つだけというわけではないのである。そして、一個一個のウイルスは増殖の過程で様々な箇所に新たなゲノム変化を獲得していく。

ウイルスゲノム変異によってウイルスが獲得する表現型の違いは様々であるが、多くはゲノム変異によってコードされたアミノ酸が変化し、新たな性質を獲得するのだが、それが定着するかどうかは現在置かれた環境における新たな性質の「有利性」による。ウイルスにとって致死的なゲノム変化をきたした場合、そのようなゲノム変化を獲得したウイルスは存続し得ず勝手に消えていくのだが、その環境に有利な性質を獲得したゲノム変異は、もともとあった塩基配列をもつ野生型を凌駕して増えていく。今回、世間で騒がれている英国発症のB.1.1.7(N501Y変異株)なんかは「1回目のロックダウン以後の伝播」という点で従来の野生型と比べると有利な点があったのであろうと推測される。

英国インペリアルカレッジの報告(下記のFigure4)を見るとN501Y変異株は高齢者に比べると10・20代の若者の中で特に流行しやすい性質を獲得しているようである。以下は私見だけど、若者を代表とする、マスクなど対ウイルス対策の脆弱な点をついたウイルス変異体が増殖に有利であったことを示しているのかもしれない。

とにかく、変異株を理解するには、塩基変化→アミノ酸変化(RNA>protein)、ウイルスは多種多様なゲノムを持つ集合体として感染している(Quasispeciesという)、環境に応じてウイルスは変化していく(選択圧)、などを知っていると以下の話は理解しやすいかもしれない。

2.ワクチンエスケープ変異

さて、ワクチンというものについて。そもそもワクチンは治療薬ではない。すなわち、現在COVID-19という病気を罹患している方にワクチンを打っても有効ではない(と容易に予想される、一応有効でないことが証明されたわけではないので)。ここら辺は当たり前じゃないかと思う方が多いと思うが、ワクチンはあくまで免疫を誘導する一つのツールなのであってこれ自体が治療薬ではない。ただ、ウイルス感染(やワクチン)などにより免疫が誘導された人の血漿を用いて作られた、もしくは人工的に作った「免疫グロブリン製剤」というものはCOVID-19の治療薬になりうる。要は他人の体が作ったもしくは人工的な特異的抗ウイルス効果のある抗体を濃縮した薬にして感染で困っている人に投与しようという治療である。実際に世界では重症例に投与されているニュースを聞くし、日本でも臨床治験が始まっている。トランプ大統領が入院して受けたことでも少し話題になった。

なので、ワクチンエスケープ変異の名前からはワクチンから逃れるような変異株という印象を受けるかもしれないが、実際にはワクチンそのものに対する変異ではなく、ワクチンや野生型のSARS-CoV2ウイルスに対して本来作用する免疫応答が働きにくくなるような変異のことをさす。すなわち、せっかくワクチンを打って免疫がついても結局その後ウイルス感染をきたしうるという最悪のシチュエーションを起こしうる変異を持ったウイルスのことである。ここで免疫についてあまり深掘りするパワーもないが、ワクチンエスケープ変異株には抗体が結合する部分である抗原epitope変異領域の変異やMHC class I/II epitope変異があるが、ここではあくまで抗体がウイルスに反応しにくくなる方のワクチンエスケープ変異について取り上げる。

Twitterなんかでワクチンエスケープ変異は出現しないだろうといった投稿を見かけたが、果たして本当だろうか?と疑問に思った。

変異が起こるにはウイルス増殖が盛んであり、かつ特殊な特徴を持ったウイルスが選択増殖するためには選択圧がかかる必要がある。ワクチンエスケープ変異が起こるための特殊な環境というのは即ち、SARS-CoV2に対する獲得免疫環境である。ヒトの免疫というのは非常に巧緻なメカニズムであり、微生物に突破されないような何重ものバリアーが構築されているため、健常人のSARS-CoV2に対する獲得免疫環境において、複数の塩基箇所に変異が起ころうが獲得した免疫がウイルス増殖を制御する可能性は高いと思われる。

逆に免疫抑制状態の患者においてはそのようなバリアーは脆弱になっていることに加え、上記記載のような「免疫グロブリン製剤投与」環境下においては、「免疫グロブリンの存在」がウイルスにとっての選択圧になるわけである。ウイルスの集合体にとって免疫グロブリンによる攻撃は99.99%のウイルスにとっては有効であっても、影響を受けないほんの一握りの変異体にとっては免疫グロブリン存在環境をものともせずに増殖していくのである。実際似たような現象は医療において非常によく見られる。例えば薬剤耐性をもつ細菌の選択的増殖は薬剤投与環境で起こるし、抗がん剤に耐性をもつ癌細胞は抗がん剤投与と言う特殊な環境において選択的に増殖し、一時的に縮小したように見えた癌も最終的にはほとんど効かない抗がん剤耐性癌細胞集団に置き換わってしまう。

以上のように、特殊な変異が生み出されやすい環境を一般化すると、「ウイルスの増殖機会」「選択圧がかかっていること(治療環境にあること)」「新たな変異株がすぐに消されない環境(免疫抑制環境など)」であるということが言える。

*なお、補足でマニアックな話だが、ワクチンエスケープ変異は1アミノ酸変異でも抗体から逃れるという性質を得うることは研究レベルで示されている; Cell Host Microb. 2020

非常に力技で面白い論文で、SARS-CoV2のスパイクタンパクのReceptor-binding domainにあらゆるアミノ酸置換を起こした酵母ライブラリを用いてエスケープ変異を特定した論文で、それらのエスケープ変異はいずれも1アミノ酸置換である(というかそういうライブラリを用いている)。なお、すでに世の中に報告されている90000以上の実際に存在したウイルスの塩基配列を調べたところ、それらのエスケープ変異は既に存在していることが報告されている。

*もう一点補足で、人工カクテル抗体なんかは、変異株の出現を見越して複数の人工抗体を用いた治療をデザインしているのもある; NEJM,2020


ワクチンが十分に流行しないとワクチンエスケープ変異は出現しないだろうと言っている人もいたが、どうだろうか。まぁ既に存在しているっぽい報告もあることは上でも述べたが、そもそもワクチンエスケープ変異はあくまでワクチンに対する逃避ではなく、宿主が持つ獲得免疫に対するエスケープ株であるからだ。僕が考えるもっともワクチンエスケープ変異が起こりやすい状況は、ベースに免疫抑制があるような患者にSARS-CoV2が感染し、体内で十分にウイルス増殖を起こした環境において、免疫グロブリン製剤が投与されるような環境じゃないかと思う。そこで万が一そのようなワクチンエスケープ変異株が出現しようと、治療がうまくいき(自然に改善し)ウイルスが消滅する、もしくは患者が亡くなることでウイルス自体も新たな感染宿主を見つけることができない場合は変異株は途絶えるのだが、そのような変異株がヒト-ヒト感染、もしくはヒト-動物感染し、今既に世の中に存在している可能性は十分にある。なんせこのウイルスはあまりに多くの場所で多くの状況で増殖機会(変異機会)を得ているからだ。

将来的に野生株と比較して、ワクチンエスケープ変異株が増殖しやすい環境が新たに形成されると、ようやく世に認識されてくる可能性がある。具体的には、ワクチンや野生株感染により、多くの人が「免疫」を獲得し、野生株の増殖する余地が減っていくような状況だ。

ただここで、ワクチンによって獲得された抗体に認識されないウイルスが本当に、今後猛威を振るうかに関しては疑問が残る。

というのも、ワクチンエスケープ変異はあくまでワクチンや現在の野生型ウイルス感染によって作られた抗体からはエスケープしうるが、細胞性免疫のような別経路の抗ウイルス作用はこの変異株に対しても有効であろう点。また、ワクチンエスケープ変異株に新規感染した際には、ワクチンエスケープ変異株に見合った獲得免疫を新たに得る可能性がある点(エスケープ変異株を標的としたワクチンの開発はこれまで聞いたことないため、ここに関しては不明)。最後に、以前のnoteでも書いたように、ワクチンエスケープ変異株は液性免疫とは別機序で抗ウイルス薬が効き得るだろうということだ。

3.個人的にワクチンよりも抗ウイルス薬に期待している​

そもそも、ワクチンは治療薬ではない。ワクチンの役割としては、集団免疫により感染症の大流行を落ち着けるという意味合いが強い。医者の立場としてワクチンに期待するのは、健常人ですら感染し病院に運ばれてくるこのシビアな状態をなんとか落ち着かせたい、といったところであり個々の症例に関してはやはり抗ウイルス薬が必要となってくるはずだ。これは以前書いたnoteの時の僕自身の考え方とたいして変わりない。ワクチン集団接種でも防げなかった少数の発症例を病院が受け入れるのが本来の形だと思う。なので、正直ワクチンで防げるものはぜひ防いでほしい。

ワクチンに求めるところはそこまで厳格かつ精緻なものでもなく、健常な人が感染・重症化し病院にかかるのを大部分減らすことができれば十分に役割を果たすと思う。

多くの医者は、目の前に運ばれてきた罹患患者をいかに元の状態に返してあげるかという作業の連続であり、武器として現場で使うのはワクチンではなく、治療薬である。その中でも抗ウイルス薬は今後必須の武器となるはずだ。

ではなぜワクチンと比べて開発が遅いのかという話だが、これは当たり前のことだけど、ワクチンって治療薬じゃないんですよね(何回目やねん)。ワクチンって結局、「免疫という人体の神秘的なシステム」を勝手にお借りするための誘導物質に過ぎない。あくまで人体の免疫に依存した抗ウイルス作用であり、だからこそ古い歴史があるわけである。なので、ワクチン開発と新規抗ウイルス薬開発は全く異なる。正直、ワクチン開発で決めることは、抗原を決めることと、免疫がつきやすいように修飾を加える事と、あとはどういったメカニズムで抗原発現させるかぐらいで、基本的に各製薬会社での個性はあまりない。なので、国産ワクチンがどうのこうのなんてほんまにしょうもない話で(以下自粛)。

僕は研究所にいる人間なので、周辺では現在論文投稿中だとか、ボソボソと噂が聞こえてきているので、今後の展開に期待して行きたいとしか言えないが、研究業界も着実に前には進んでいると思っている。もちろん、薬剤ができれば今度はウイルスとの新たな戦いが始まり、ウイルスは薬剤という障壁を超えて生き延びようとするし、人類はそれをさせないような薬剤を新たに開発していくことになるだろうから、まだまだこのウイルスとの戦いは続いていくだろう。