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ただのうまと観る「CUBE」と「エポックメイキングな映画の見方」

※本記事は映画「CUBE」の若干のネタバレ、及びショッキングな内容を含みます。
映画視聴の楽しみを削がないよう足掛かり的な説明としてのネタバレになるよう配慮していますが、まっさらな気持ちで観たい方はこんな記事見てないでマジで早くサブスクか何かで映画本編を見てください。ここでなくても他所で早晩ネタバレを喰らうほどこの作品は有名です。
また、映画が映画なのでショッキングな内容が苦手な方は映画自体の視聴を諦めてください。人間が切れたり溶けたりします。


「CUBE」って?

あらすじ

めっちゃ絶妙なアングルのキービジュアル。
ちなみに写ってるのは通称「サイコロステーキおじさん」あとはもうわかるね?

上下前後左右、どの方向にも同じ構造の立方体の部屋が接続された謎の建物。
そこに閉じ込められた警官、医者、学生、脱獄囚、サラリーマン、知的障害者の6人。
何故、どこに、どうやって閉じ込められたのかもわからない6人は、なんとか謎の建物からの脱出を図る。
しかし、建物には恐ろしい殺人トラップが仕掛けられており…

どんな人向け?

  • デスゲームもの初心者

  • デスゲームを脱出するまでの人間ドラマ、ハラハラ感が好きな人

  • デスゲームものの元祖、低予算映画の撮り方など、技巧的な話が好きな人

  • 人間観察が好きな人

作品詳細

1997年製作。
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作品。
際立って有名な俳優が出ているわけでもなく、総予算も約36万加ドルという低予算ながら、今なお語り継がれる傑作中の傑作。


この作品の魅力

まずはこの映画そのものの魅力についてご紹介する。もはや私が説明するまでもないほど有名な傑作だか、ポイントに絞って魅力を伝えたい。

デスゲームものの元祖

なんといってもこの作品の魅力は、今日まで続く一大ジャンル「デスゲームもの」(厳密にはちょっと違うが、用語で言うとソリッドシチュエーション)の元祖である点だ。
閉じ込められ、限られた環境下で、訳も分からず死と隣り合わせになる。近年では「イカゲーム」などで話題を掻っ攫い、漫画やアニメやゲームでも用いられるこのシチュエーション、その元祖として、かの「SAW」と双璧をなす。

元祖ということは「わかりやすい王道」であり「語り継がれるほど出来が良い」ということだ。
立方体の部屋、有無すらわからない出口、ランダムに見える殺人トラップの配置の隠れた法則性と謎解き…いまやデスゲームものでは当たり前になったこれらの要素を生み出した作品であり、教科書的ながら今なお色褪せない、定番かつ王道の恐怖を提示してくれる。

特に殺人トラップの見せ方が見事で、低予算故にセットが1つしか使えないことを逆手に取り、全く同じ構造=殺人トラップの予兆が全く見えないところから、いきなりトラップが襲い掛かる。予期せぬトラップの発動シーンは、思わず「ゲッ」と言ってしまいそうになった。このスリルの"作り方"が、今なお色褪せないこの作品一番の見どころだ。

CUBE内部。壁面の色が違うことを除いて、全てこの無機質な構造の部屋で物語が展開される。
パッと見トラップがあるかどうかは全くわからない。

キャラ編成と逆転の人間ドラマ

この手のデスゲームものの作品は、主に次の2つの要素で構成される。「デスゲームそのものの謎」と「巻き込まれた人間たちのドラマ」だ。
この映画が語り継がれるのは、そのうち後者の人間ドラマの完成度がとにかく高いことも要因の一つである。

先述した個性豊かな6人のメンバーの最初の構成はだいたいこんな感じだ。
・警官→みんなを引っ張るリーダー
・医者→優しくも聡明な年長者
・脱獄囚→殺人トラップ回避の達人
・学生→根暗な陰キャ
・サラリーマン→やる気のない皮肉屋
・知的障害者→チームに貢献できない厄介者

それが、物語を経て以下のように変わる。
・警官→イカレ暴力男
・医者→陰謀論者のヒステリックババア
・脱獄囚→死亡(!!)
・学生→殺人トラップ回避のキーマン1
・サラリーマン→最もCUBEを冷静に理解する者
・知的障害者→殺人トラップ回避のキーマン2

そう、この映画では殺人トラップに巻き込まれたメンバーが「CUBE攻略に有利なメンバー」と「攻略に不利なメンバー」で半分に分かれており、しかもそれが物語を経て綺麗に逆転するという、コンパクトながら無駄がないメンバー構成になっている。これも、無駄なメンバーを用意できない低予算映画だからこそ成せる業である。

登場人物の1人、警察官。左が右に逆転。
デスゲームそのものだけでなく、閉じ込められた
「人間」の恐ろしさも見どころだ。

この「人間性の逆転」は後発のデスゲームものにももちろん見られる手法だが、メンバー全員の立場が、CUBE攻略が進むにつれ次々と変わっていく様は、殺人トラップとは別のスリルを感じさせるとともに、人間性の何たるかについて考えさせられてしまう。一体彼らがどのようにしてこの逆転に辿り着くか、是非とも堪能して欲しい。

エポックメイキングから更に一歩先を行く手法

なんとこの映画、デスゲームものの基礎を作っておきながら、基礎の更に一歩先を行く構成となっている。

一つは「CUBEの謎が完全には解けない」という点だ。ネタバレで申し訳ないが、この映画は近年のデスゲームもののように、CUBEの存在についてスッと一本筋が通った解答がない。思わせぶりな点は幾つもあるが、結局「CUBEがなんだったのか」という謎は、棚上げのまま終幕する。
近年のデスゲームもののようなスッキリした解答がないため、謎が明かされた瞬間の快感こそないが、逆に観客に考察の余地を残し、作品に一筋縄ではいかない深味を与えている。
もちろん、謎解きの快感は別の要素で用意されているので、「CUBEの謎が解かれないとは、期待はずれだ」と思った方はご安心を。
ちなみに続編でも明かされませんでした。

もう一つは、先にも書いたがメンバー構成が非常にコンパクトで、全員に役割と見せ場がある点である。
この手のデスゲームものの常として、話が大規模であればあるほど登場人物が増加し、ほぼモブみたいなキャラや物語に関わるのに名前が覚えられない、印象の薄いキャラクターが出てくる。
この映画はそういった問題とは無縁で、同時にカメラに映る人間は最大でも片手程度。物語もたらった6人(しかも全員キャラが濃い)で進む。「誰だっけコイツ」となる暇を与えず、更に先述の人物の逆転が全員に用意されているという、今見てもかなり先進的な脚本となっている。

こういった、一見王道と見せかけておいて「ん?」と思わせる、変化球的な側面もあちこちに散りばめている。
こういったデスゲームに見慣れた人であっても、一歩先の面白さが待っているので、是非じっくり観て欲しい。

締めくくり

いかがだっただろうか。
今なおデスゲームもの、ソリッドシチュエーションの金字塔と名高い「CUBE」だが、その面白さは「今や王道となったデスゲームもののお約束の作り込み」と「エポックメイクしといて更に応用までする変化球」にある。
観てよし、読み解いてよし、考えてよしと、この手の映画初心者からベテランまで、何度観ても唸らせる傑作、是非観たことない方は一度、観た方もこの記事で気づきがあったら今一度、ご覧いただきたい。


作品からちょっとはみ出して

ここからは、作品そのものから脇道に逸れて、映画の楽しみ方に関する話をする。
今回は「CUBE」をはじめとする「エポックメイキングな映画」「"元祖"と呼ばれる映画」についてだ。
サメ映画のジョーズ、SF映画のメトロポリス、アベンジャーズシリーズのアイアンマン、西部劇の荒野の用心棒…ジャンルを作り出した数々の名作、これらの話をしたい。

元祖を「見なきゃいけない」わけじゃない

前段でCUBEをあれだけ持て囃しておいて何だが、別に元祖だから見なきゃいけない、見なきゃ良さがわからない、とは正直私自身、微塵も思っていない。CUBEを見たことがなくても、デスゲームものは楽しめる。
よくオタクは「スターウォーズはEP4から観ろ」とか「ガンダムはファーストから観ないと良さがわからん」とか言いがちだが、絶対そんなことない。
途中から観て面白くないものがどうして新規参入者を増やして今日まで生き残ることができるのか。当たり前だが、今も面白いと言われてる名作シリーズや定番ジャンルは「途中から見てもめっちゃ面白い」のだ。

ぶっちゃけ私は特にスターウォーズとかEP6から観ても面白いって思う人は一定数いると思ってるし、アベンジャーズシリーズは「アベンジャーズ」から入っても楽しめる作りに明確になっている。
先述のデスゲームものなんて「CUBEシリーズ」なんてものがあるにはあるが全く別の物議を醸すので一旦傍に置いて明確に「CUBEを観なければわからない」作りにはなっていないのだ。

ましてやそれが流行のメガヒットタイトルとなれば、制作側もブームに乗ってくれた新規参入者も見られるよう、あらゆる工夫を施している。
サメ映画のような「ジャンルもの」やアベンジャーズシリーズのような大作シリーズを途中から観ることに二の足を踏んでいる方、是非「途中から観たらつまらなくなるくらい、この作品はつまらなくはないはずだ」と自信を持って、観たいと思った時に観たい作品から観て欲しい。
でもサメ映画はジョーズから観たほうがダメージが少ないぞ

エポックメイキングな昔の映画を観る「デメリット」

もう一つ、実は無理してエポックメイキングな作品を観ることには明確なデメリットがある。
エポックメイキングな作品は、「王道でつまらない」のだ。いやCUBEアレだけ持ち上げといてホント申し訳ないし、そういう作品もちゃんと面白いんだけどそうじゃなくてね。

これはゾンビ映画の元祖ことロメロ監督の「ゾンビ」やサメ映画の元祖ことスピルバーグ監督の「ジョーズ」がわかりやすいが、この手の作品は今や「王道」すなわち「ありきたり」な作品と「なってしまっている」ことが多い。

要するにエジソンの電球と一緒だ。エジソンが電球の無い時代に電球を考え出したこと自体はあまりに偉大だが、今となっては電球は決して珍しいものではない。
例えばロメロ監督の「ゾンビ」も同じで、ゾンビ像が曖昧だった時代に、今我々が思い描くような「ゾンビ」の概念を作り出し、それを映画の主軸に置いたことは、ここでは書き切れないほどの偉業だ。しかし、じゃあロメロ監督の「ゾンビ」が面白いかと言われると、正直「映画版バイオハザードの方が面白くね?」と言われかねない。

この、ある種当たり前の「退屈さ」があることを頭に入れておかないと、肩透かしを喰らいつまらない印象ばかりが残ってしまう。エポックメイキングはエポックメイキングであるが故に、過去の作品になればなるほど、単に観る場合「退屈な作品」になりがちだ。

映画"史"を楽しむ

では、CUBEのような今日まで語られるエポックメイキングな作品を「見るべき」理由は何か?
それはズバリ「映画史」を楽しむことにある。

先のエジソンの電球の例で言えば、エジソンの電球から発展した技術は数え切れないほど多岐に渡る。現代で言えば、有機EL等も元を正せば電球から脈々と続く科学の歴史の果てに確立された技術だ。
「CUBE」をはじめとする数々の"元祖"たちも、そういった歴史、すなわち"映画史"の源流であり、社会的な背景やそれまでの映画へのカウンターとして作られた、"映画そのもの、映画を作ること"の歴史が詰まっている。
そういった意味で「なぜそういった映画が作られたか」「なぜ今我々が観ているような映画が流行るようになったか」「何が革新的だったか」という歴史が魅力として凝縮されている。それこそが、エポックメイキングな古い映画を観る楽しみだ。

元祖は「いつか観たほうがいい」

これを踏まえて、これらエポックメイキング的な"元祖"の映画は、見なきゃいけないわけじゃないなら、見ないままでいいのか。
私個人としては、「いつか絶対見て欲しい」。

例えば今回の「CUBE」も、今すぐは観なくていいし、興味がないのに他のデスゲームものを観るために頑張って観る必要も全くない。
「ヒューマン・レース」や「エスケープ・ルーム」、「バトル・ロワイアル」や「LIMIT」なんかを観た後でも全然問題ない。
ただ、いつか色々なデスゲームものを観た後で、観てみて欲しい。
「あ、あの映画のシーンはこの"元祖"のここを工夫したんだな」といった、お気に入りの作品の更なる良さに気づけるようになる。作品の裏にある制作者達の創意工夫は、そういった歴史によって組み立てられているからだ。

もちろん興味があるなら一本目から元祖を観て、歴史を一からなぞっても構わない。その作品が作り上げたジャンルやシリーズの奥深さを作品を追うごとに味わえる。

というわけで、ジャンルやシリーズの初作であるエポックメイキングな映画に躊躇している方、是非自信を持ってこれら元祖を一旦無視し、そしていつか無事に帰ってきて欲しい。
巨匠達が積み上げた歴史が待っている。

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