記憶について個人的な追想/【オーディブル】『百花』川村 元気 著
映画化もされているので感想は割愛させていただくことにして。
こまめに散りばめられているわりとどうでもいいようなエピソード…例えばGoogleカレンダーより手帳が好きで、そのことで密やかな連帯意識というか親近感のようなものを感じ合う二人…などなど、あるあるー、みたいな共感を得やすいのだろうなあと思いました。
個人的な追想ですが、子どもの頃近所に住んでいた母の友人(子ども同士も友だち関係)が、ご主人の後輩同僚と逐電したことがありました。
ご主人と三人の子どもを残して…
その人を呼び戻しに、恵比寿(今ではおしゃれな街だけれど昭和40年代は下町風情のアパートがたくさんあった)まで、なぜか母に伴われて行ったことがありました。
母は私を連れて行くことで、お子さんたちを思い出して欲しかったのかもしれません。
でもその方は帰りませんでした。
外に出ていなさいと命ぜられたのに、そっと覗いたドアの隙間の向こうの殺風景な部屋で、ちゃぶ台の前に横座りになって、その人が泣いているのが見えました。
アパートの前には小さなドブがありました。
そのせせらぎが二人の故郷の川を思い出させると、駆け落ちの相手が言うのだという話を聞いて、こんな汚いドブなのに…と、子ども心に切なく感じました。
百合子さんの失踪からそんな半世紀前の記憶を呼び起こしたけれど、この記憶だってどれだけ正確だか怪しいものです。
私はこの二人が隠れ住んでいたのは京浜東北線沿線の北区辺りだと思い込んでいましたが、後に母と昔話をしていて、恵比寿だったと知りました。
このところ、めっきり記憶力が低下したのを実感しています。
忘れてしまうようなことは、覚えていなくて良いことなのかもしれません。