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お望みの未来

また訃報である。
七十代前半知人女性。
六十過ぎ頃に不可解な物忘れが始まり、若年性アルツハイマーと診断された。
デイケアを使いながら自宅でご主人の介護を受けていたが、五年ほど前には特別養護老人ホームに入所し、寝たきりでこそないが何も働きかけなければじっと椅子に腰掛けていた。
口元にスプーンを当ててあげれば辛うじて食べるという。

とても綺麗な方で、髪も黒々して肌艶も良かったので、黙って座っていればごく普通の高齢者(それも少し若く見える)だった。
何も語らない瞳にはうっすらと笑みを湛えていて、何もかも承知のようにも見えた。

最後にお会いして五年、その後どのような経過を辿ったか分からないが、あれより回復したとは考えにくい。
若過ぎると思う反面、あのまま、いやあれ以上分からなくなってからの五年は、本人にとって家族にとってどのようなものだったろうと感じ入らずを得ない。

アルツハイマーを発症したのが今の私の年頃だった。
先般人生会議に参加して、自分がどのような介護や看護を受けたいか、どのような死を迎えたいか、元気なうちに記しておくことの大切さを改めて考えたおりである。

彼女は七十前にすでに自発的に何もできない人間になっていたわけだが、今私が「自分で何もできなくなったらもうなんの治療もしなくて良いです」とエンディングノートに書いて、間も無く同じ病に罹り同じ経過を辿ったとして「それではお望み通りに」と放置されるはずがない。
なかなか悩ましいところである。

介護サービス相談員になって十五年過ぎようとしているが、巷の、介護や高齢者福祉の認識は現状と幾分ズレているのを感じる。
ひとえに、国や行政の広報不足とも言えるが、制度がややこしく頻繁に見直しされるから、実は私も良くわかっていない。

実感しているのは、施設に入ることはかつてのように忌避するものでなくなったということ。
元気な方が入居するサービス付き高齢者住宅にしても、介護が必要な方が入所する特別養護施設にしても、認知症高齢者が暮らすグループホームにしても、納得して、自ら選択してくる方がほとんどだ。

介護や見守りが必要になってからの人生が長いのと、これまで介護を担っていた子世代の核家族化、共働き世帯の増加、定年延長で老後は故郷に戻って親と暮らす選択肢が減った。
それより自分のこれからを考えなくてはならないのだ!私たちね(笑)

高齢者の価値観や人生観も変化している。
有料老人ホームで伺った話。
かつては居室に持ち込むタンスは、回想法のためにも使い慣れた馴染んだものが良いとされたが、今はレール式の引き出しの使いやすいリーズナブルなタンスを新調される方が多いと聞く。

私が施設を訪問し始めた頃は、館内に流れる曲や利用者さんが歌っていたのは唱歌や童謡、戦前の歌謡曲だった。
それが、戦後の歌謡曲に変わり、昭和歌謡に変わり、平成の演歌(氷川きよしとかね)になり、最近はさだまさしさんやジャズミュージックなど多様だ。

コロナの頃は、皆で集まってレクリエーションができないので、タブレット端末でYoutubeを開いて、かつての懐かしい歌や記録映像を見ていらした。
もしかしたら、自宅で独居もしくは日中独居の高齢者より、進んでいるかもしれない。

同じものをほぼ決まった時刻に食べなければならない、就寝前にお風呂に入れないなどの不満をよく耳にする。

施設の種類によって異なるが、ここで説明しても煩雑なので割愛するとして、要望すれば叶うこともある。

入浴は週二回以上と決められていて、三回でも四回でも毎日でも良いのである。
しかしなんらかの理由があって難しい。その理由が施設側の都合であってはならない。
ここ重要。

食事は嗜好調査もされるし、アレルギーなどの除去食も入所時に聞かれるはずである。
その後でも、要望を伝えれば叶うことがある。もちろん無理なこともある。
黙って我慢していては変わらないと言うことである。

よく自由がないから施設に入りたくないと言う。
それじゃあ自宅の生活はそんなに自由かと思う。
自由なのは、元気で自分でなんでもできるから。

できなくなって世話になるのだから我慢しろと言うことではない。
歳をとった今の自分はできないことが増えた、不自由な状態であることをなぜか忘れている。

好きなものが作れないから惣菜を買ってきたり、それすら難しいから宅配弁当を頼む。それより、出来立ての食事の摂れる自由さ。

風呂に入れば掃除をせざるを得ない煩わしさから解放される自由。
一人で出歩けば危険だし、暑かったり寒かったりで着るものの調節も大変だから、日がな一人で過ごす。
施設では人の温もりを感じられる。話をしたくなければ部屋に一人でいれば良い。

かつてのように無理やりレクリエーションに引っ張り出されたりしない。
今の施設は本人ファーストなのだ。
意外に知られていないのではないかしら。

施設に入りたくないと言う宣言は、一体誰に向けているのかと思う。
政府は在宅を推している。勝手な理由ではあるが。
あらゆる施設を利用するかしないかは、経済的な問題も含めて、本人の意志と家族やキーパーソンとの話し合いである。


※ヘッダー画像はOhzaさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪



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