虎に翼を着けて放てり 吉野・蘇りの道
吉野山最高峰は青根ケ峰(あおねがみね)(859m)です。この青根ケ峰と、吉野水分(みくまり)神社の鎮まる森を源流とする川が「象(きさ)の小川」です。
吉野山の東方を下る約3kmのこの渓谷(川)は「喜佐谷(きさだに)」と呼ばれています。
「きさ」?
変わった地名なのでちょっと調べてみました。
材木の木目模様を「橒」と書き、「木佐(きさ)」と訓む。また奈良時代、象そのものは実見していないが、文献には「象牙(きさのき)と載っている。正倉院宝物の象牙紋様が波状の縞模様の木目に似ているのでS字型に蛇行する谷を象谷と称したのだろう。キサは地形語で、ギザギザの義か。「喜佐」は佳字。(「奈良の地名辞典」東京堂出版より要約)
要は、歴史ありそうな土地だということがわかりました。
まずは吉野宮滝からほど近い、象の小川のほとり(だいぶ下流)にある櫻木神社にお参りします。
御祭神は、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなびこのかみ)、天武天皇です。
天武天皇?
神社境内にこんな石碑が建っていました。
虎に翼を着けて放てり
誠(上野誠氏)
「病に伏した天智天皇に、即位を勧められた大海皇子(天武天皇)は、これを固辞。出家して吉野に入る。ここ吉野から古代最大の大乱、壬申の乱は始まる。」(碑文引用)
吉野山へのアクセスは、今はだいぶ離れたところから登る自動車道路がありますが、ここ・喜佐谷は吉野宮滝と吉野山を結ぶ主要道だったのでしょう。今はハイキング道となっておりますが。
放たれた虎、とは後世の評価。あるいは、結果。
大津京から逃れて吉野に入る当時の天武天皇の心中いかばかりか。
櫻木神社駐車場に車をおいて、「吉野万葉の道」と名付けられたこの道をすこし歩きます。高滝という滝の名勝があるそうです。
実は予想していなくてちょっと驚いたのですが、櫻木神社から上流には、すこし開けた谷があって、結構な集落がありました。隠れ里の雰囲気です。小さいながらも平坦な水田もあります(今はごたぶんに漏れず耕作放棄あるいは畑利用されている)。
さらに集落道を1kmほどぶらぶら行きますと、家もなくなり、まもなく山道にさしかかりました。
山道は傾斜がきつく、しんどい。幸い蜘蛛の巣にはひっかかりませんでしたが。
やがて滝の音が聞こえてきました。
樹林に遮られ、また急傾斜ですので、滝の全貌はよく見えません。水量もさほど多くはないようです。
これが大雨の時だと、全く違った姿を見せるのでしょうね。
大伴旅人
昔見し象の小川を今見れば
いよよ清けくなりにけるかも 巻3-316
案内板には、本居宣長、葛飾北斎らの名前もみとめられます。やはりここは歴史ある道です。
今日は、正直思いつきの探訪でした。雨が降りそうでむしむししていました。暑くて暑くて。なので往復約3kmの歩きは楽ではありませんでした。
この道は多くの人が歩き続けてできた道。
おそらく天武天皇も。さぞ大津京から吉野まで遠かったことでしょう。どんなお気持ちで吉野に入られたのか。
その後の歴史を観じるに、蘇り、あるいは再生のエネルギーを秘める吉野は、不思議の山だと思います。
伏せる期間に等しい蓄積パワーが顕現するかどうか。
それは伏せる間も信じ続けられるかどうかにかかっています。
何を信じるかは、人それぞれ。
2023.7.5