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「信じる」と偶像崇拝

 芦田愛菜が話した内容「信じる」が話題を博している。
自分なりに「信じる」とは何なのか、考えていることをここに述べたい。

信じるというのは一種の偶像崇拝なのではないか。
自分が相手に対してこうであってほしいと期待している姿を見ている。
期待している人物像、こういう人物であるというその人の見え方・とらえ方、見ている人のフィルターを通してとらえているその人物に対してのイメージを信じているのにすぎず、その人自身ではない。
(その人自身をとらえることは自分であっても不可能であるが、、自分というものがどういうものであるか、理解できている人はいないだろう。自分は一度も自分自身をそうだととらえたことはないのに、相手に、「○○な人なんだね」と言われたことはないだろうか。私自身も「おもしろい人だね」と学生の頃に言われたことがある。特に面白い人間になろうとしているわけではないのだが、、、
誰しもこんな経験はないだろうか?)

「アイドル」という言葉の意味は「偶像」という意味である。
テレビの向こうの芸能人に対しても自分の中のイメージ像=偶像を期待して観ているが、日ごろかかわっている人たちに対しても偶像で接しているのだろう。「信じる」という言葉はその状態を如実に表している言葉なのだろう。

哲学では「イデア」という言葉がある、
それぞれのものには「こうあるべき」という姿=イデアが決められており、それを目標にするべきだというよう考え方だ。

人はそれぞれ、その物体や人物に対して自分の「イデア」を持っているのかもしれない。


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