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原爆死没者慰霊式典は慰霊なのか。-ロシア・ベラルーシ不招待と灯籠流しとの比較から-

 2022年は核兵器をめぐる議論が特に盛り上がった一年でしたね。ウクライナ情勢におけるロシアの核使用をほのめかす発言、核禁条約の初めての締約国会議、そして現在開催中のNPT再検討会議。


 そういった背景のもと迎えた8月6日。今年のビックニュースはやはり、ロシア、ベラルーシの不招待でしょうか。政府との調整の結果だったようです。その是非について考えるのも面白いでしょうが、私が注目したいのは「慰霊式典を行う上において、不招待を検討せねばならなかったこと」「そのうえで政府が干渉せねばならなかったこと」以上2点の事実です。


 すなわち慰霊式典をめぐり政治的意図が介在していること、政治的意味を孕んでいることです。”慰霊”の本来の意味は死者の霊を悼むことであり、この意味で政治的意味は副次的なものです。不招待は本来的意味よりも副次的意味を尊重した結果とみなせるのではないでしょうか。


 これは不招待の経緯と意図について5月26日の会見で松井市長が述べたことにも現れています。(筆者要約:招待することは被爆の実相を伝えるためのいわば絶好の機会と認識しているが、そのような理想的考えと招待をすることによって式典自体の執行に支障が生じる可能性を検討した結果、不招待を決定した)


 思えば式典自体が慰霊色より政治色の強いものに感じます。式典でのスピーチは子供代表を除き、政治関係者によるものであることからそれは必然的でしょう。


 話をがらりと変えます。


 8月6日の夜、灯篭流しという慰霊祭が行われます。

 これは水を求め川で亡くなられた方が非常に多いことから、平和公園内をながれる元安川に人々がメッセージを書いた灯篭を流す古くから行われている慰霊祭です。これが慰霊式典とはまったく対極をなす存在であるように私には思えます。そこにあるのは本来的意味による慰霊であり、元安川周辺に広がるのはローカルな空間です。


 慰霊式典と灯籠流しは共に8月6日に行われる慰霊行事でありながら、それぞれの中心にある意味合いは異なるものでありました。なぜ異なる意味合いを持つのか、それはヒロシマが語られる際の2つの空間が原因していると思います。


 「唯一の被爆国」「世界で初めての被爆地」
 このような表現の際、広島は国規模、世界規模で語られます。そしてその際意識されるのは、“初めての原爆投下”という歴史的事実でありで公的な意味合いが強いです。“ヒロシマ”という単語のみで反核、反戦、反原発などの政治的主張が連想されます。


 一方で地元にとっては純粋に身近な人々、そして街の死でもあるのです。


 すなわち規模が違うのです。そして8時15分というその時を送る瞬間が慰霊式典であることは、ローカルな広島が時系列通り後回しにされているように思えてしまいます。


 広島の人間としてその事実を嘆くことが私の目的ではありません。


 よく、「被爆者の願い」「被爆者の意志」という言葉を公で耳にします。それは実際そうかもしれないけれど、被爆者を掲げながら、その実どれほど被爆者が意識されているのだろうというのが私の疑問です。公的なヒロシマの価値を追求する中で、人間としての被爆者にどれほど着目されてきたのか、その事で戦後に被爆者が精神的苦痛を受けたのではないか、それが非常に気掛かりな事です。

 不招待を受け、ロシアは4日慰霊碑を訪れ、献花を行いました。そこで核による威嚇は行っていないこと、米国は原爆投下に対する謝罪を行っていないことを述べました。正直、ヒロシマを政治的パフォーマンスに使うなよという気持ちを私は感じました。

 当事者の周縁にいる私がそう感じるという事は、当事者の感じる(感じてきた)物はより大きかったのではないかと思います。

 自らの大切な人や自分自身が利用されているという感覚、近年の戦争体験や記憶の継承をめぐり私が感じる違和感はそこにあるのかも知れません。

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