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映画aftersun 軽め感想(ネタバレあり)

時系列的には「怪物」より先に見ていたのだが、感想を固めるのに時間がかかってしまった。※かかりすぎ。半年経っちまった。

aftersun、友達に見るように勧めていたんだけど、ストーリー的に父親と仲が悪い友達とか父親がいない友達には勧めにくいっていうのがある。
こちらが気にすることなのかわからないし、映画って現実をなぞって共感するだけのものではなくて、自分とは違う世界、感覚を映像として受容するものでもあると思うので、私は悩んだ末にいつもこの映画を見るように友達に勧めてしまう。
Chu❣️自分勝手でごめん


さて、本題に入っていくのでネタバレ注意です。
まだ見ていない人は先に見てから読んでください。




aftersunの意味を調べたら「日焼けした後に塗る保湿ローション」と出てきて頭抱えた。



私の親はめちゃくちゃ勉強に厳しかった。今なら教育虐待として訴えられそうなことも散々されてきたが、旅行によく連れてってくれる親だった。(そこでも「勉強」のために旅行先にある博物館、資料館、史跡、城等には連れて行かれた)
今思うとありがたい面もあったのだが、ガキのころは最悪の親だと思っていた。
まあ親子関係なんて人それぞれ全然違くて、いい親と悪い親の判断なんて子どもに委ねられるのだから他人が決定することではない。
ベラベラ映画に関係ないことをしゃべっているのは、この映画が親子関係に焦点を当てた映画だからだ。


この映画に出てくる親(カラム)は、自分がセクシャルマイノリティであること、ゲイであること、子供(ソフィ)には「パパ」と呼ばれること、妻と一緒に暮らせないこと、ソフィにセクシャリティを打ち明けられないこと、自分が世間一般の「いいパパ」になれないことなど、もっといろいろなことに悩み、苦しんでいる。

私から見て、カラムは「いい親」だった。ソフィを否定せず(一回喧嘩するけど)、サンクリームを塗ってやり、ソフィにいろんな景色を見せてあげている。
しかし、「悪い親」にも見えた。自分のセクシャリティを打ち明けられないので、自分の深いところにソフィが触ってきた時に突き放したり、ソフィを一人にしたり、自殺しようとしたりしていた。


「いい親」って、その親の一部分であり、自分からの見え方であり、その人全体ではないことに気づいた。
私にも親がいるけど、多分私が見ている親は一面であり、親が私に見せたい部分を見せ、私も親の見たい部分を見てなんとなくの親子関係が出来上がっているだけなんだと思う。
もしかしたら私には言っていないだけで、私の父には母の他に大切な人がいるかもしれないし、悲しみを、憎しみを、罪を抱えているかもしれない。
こんなことを考えるような映画だった。


家族関係について「こうであれ」というような押し付けがましさはなくて、それでいながらどこかずっとノスタルジックでセンチメンタル。
トルコのリゾート地という、キラキラ光るエメラルドの海、民族的な色彩の絨毯など、目から入ってくる情報の彩度に対して、物語全体に流れる雰囲気はずっとメランコリックだった。
監督のセンスが良すぎる。


カラムはどうしたらソフィを傷つけなくて良くなるかについてずっと葛藤している。私にはそれが限りなく「愛」に思えた。
最後、ソフィはガールフレンドと寝て起きた朝に、カラムのことについて考えるのだが、その時どのように感じたんだろう。
深い余韻を残すような作品で、後味は決して良くないのだけど、ダウナーになるわけでもない、不思議な感じだった。

この映画は本当に2023年見てよかった映画だった。アマプラとかで配信されるようになったら興味ある人絶対見てください。


おわり


ティ

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