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「死刑」と「法務大臣」について思ったこと

こんばんは。ただの社会人です。
今日も今日とてTwitterという大海原を泳いでいたただの社会人だったわけですが、残念な気持ちになるニュースを見つけてしまいました。

NHKで流れていた法務大臣の失言。
「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」というもの。

「死刑」というものは、マインクラフトで/kill ○○といったようにはんこを押すだけの仕事として思ってはいけないものだと思います。
「死刑」は犯罪者の命を奪うことで償わせるという、そういったものだからです。犯罪者であれ、人の命を奪うという制度なのです。

「死刑」と「法務大臣」といえば、様々な人がいました。政治信条から死刑執行をしなかった大臣もいれば、ド派手に発表した大臣もいます。

上川陽子元法務大臣のように「ただ、記者会見のときには、鏡を磨いて、磨いて磨いて、磨き切る気持ちで判断したことを申し上げました。」と、死刑の判断について真剣に考えている法務大臣も多いです。

平成30年7月、オウム真理教元幹部の死刑執行の決断の理由ですか? 法相として私がどう考え、行動したか申し上げることはできません。ただ、記者会見のときには、鏡を磨いて、磨いて磨いて、磨き切る気持ちで判断したことを申し上げました。

 100代目の法相として、そのとき、どう判断したのか。これは永遠に問われるものだと思います。他人から問われる以上に、自分自身、問い続けていく責任がある。政治家としてどういう姿勢で臨むかを考えたとき、私心をどこまで取り除くことができるか。政治は究極の公共だと思っています。

産経新聞. 2019/5/8 13:51
https://www.sankei.com/article/20190508-VF6AZ5V6WVK73GQKZNXGXZKQFM/
,(参照22年11月10日)

それだけに葉梨法務大臣の「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」という発言は、死刑と死刑を行うと決める法務大臣の職務について、軽く見ている…と思われても当然と思います。

ちなみに11月10日の1か月前は「世界死刑廃止デー」。死刑廃止世界連盟(World Coalition Against the Death Penalty)が策定した日になります。
OECDという先進国の集まりで見たときに死刑制度が残っているのは日本と米国、韓国だけになります。
ただの社会人としては死刑は廃止するべきだと思いますが、被害者の立場から廃止を望んでいない声もあり、すぐには結論は出ないでしょう。

ただ、死刑を執行すると決める法務大臣には、人の命を奪ってしまうということの重みと責任を常に考えてほしいなと思います。はんこを押すだけの仕事ではないのです。

最後にヒューマンバグ大学様の動画を紹介します。
アニメでも取り上げられた「死刑」に関する動画です。
センシティブな内容にもなりますが、「死刑」ってなんだろう、と思ったときに見てみると分かりやすく作られています。

死刑というものは、法務大臣がはんこを押すだけでの仕事ではないのです。多くの人が命に向き合うことになる、大変な仕事なのです。

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