iPhone Maniaの誤訳記事~TSMC版Snapdragon 888
概要
iPhone maniaは日本のガジェット系ブログである。
スマホの関連ワードでGoogle検索するとこのサイトの記事がトップに出てくることも多く、またlivedoorニュース等にも転載されている、ネットでは大手の媒体であるといえる。
このサイトの記事は概ね海外のテック系メディアの記事を翻訳するスタイルで書かれている。
しかし、2021年5月に書かれた「TSMCがSnapdragon 888を一部製造」という記事には明らかな誤訳・解釈ミスが見られた。
本稿ではミスの具体的な内容について指摘した上で、その原因を考察した。
経緯
Snapdragon 888(以下888)はQualcommが2021年のハイエンド端末向けに提供していたSoCである。
前モデルであるSnapdragon 865が台積(TSMC)のいわゆる7nmプロセス(N7P)で製造されたのに対し、888はファウンドリを移し、三星電子のいわゆる5nmプロセス (5LPP)で製造されていた。
この変更には、安価な製造費や製造元の多角化といった思惑があったと考えられる。
しかし、発熱や電力消費に関して問題が報じられ、その原因が三星ファウンドリの技術にあると解釈されるようになった。
(Qualcommが台積7nmプロセスを使用した860,870の二つのハイエンドSocを同時期に発表したのは、同社が888の状況を憂慮した結果だと見られている。)
日本の消費者の間にも不安が広まる中、5月に書かれたiPhone-maniaのある記事が話題となった。
それはQualcommが888の製造委託を一部台積に移したというものである。
台積は半導体の製造技術では世界トップであり、特にプロセスの微細化技術では他のメーカーの追随を許さないほどの差をつけている。
その台積が888の製造を行うと聞いたユーザーの反応は基本的は好意的なものであった。その場合発熱や消費電力といった懸念が解消される可能性があったからだ。
一方で、三星製造と台積製造のSocが混在して、実製品にはどちらが使われているか分からなくなる(いわゆるSocガチャ)のではないかと不安に思う声もあった。
またこの記事(の情報)を引用して記事を書いた媒体・ブログも出現した。
結果的に言えばこれは杞憂(ぬか喜び)であったといえる。
一つは、この記事に決定的な解釈ミスがあったからであるが、技術的観点からしても怪しい部分が多く、信用できないとする一部の意見もあった。
そもそも一つのチップを複数のファウンドリが製造するというのは技術的な視点から見れば考えにくい。
同じ5nmプロセスを名乗っていても、実際にはファウンドリごとに使われる製法や配線の幅が異なり、完成品は同一にならない。
性能や仕様の異なるものを同じ888として売り出すのはQualcommにとっても顧客の信頼を揺るがすリスクとなる。
仮にファウンドリを移すにしろ、名前を変えて別製品として出すのが妥当なやり方だろう。実際に三星5LPPで製造されたSnapdragon 780Gは供給力の不足もあり実質的に生産が打ち切られ、代わりに台積N6を使用した778Gが出回るようになった。
この二つのSocはCPUのコア構成(Cortex A78×4, Cortex A55×4)こそ似ているが、GPUがダウングレードされていたり、メモリ規格の対応に違いがあるなど、単にプロセスを移しただけでなく仕様が異なる全くの別の製品として捉えるべきだろう。
ただし、同一のSocが異なるファウンドリの異なるプロセスで製造された前例は存在する。
この記事でも引き合いに出されているが、Apple A9が台積と三星の異なるプロセスで製造されたことはある。
ただし、これは予め綿密な計画を立てた上でさらに無茶を重ねて実現したことであり、結局それ以降のApple Sliconの製造ではファウンドリが一本化されたことからも、蘋果ですら到底続けられるようなものでないことが分かる。
この記事にあるように実製品に問題があるからと言って急に変えられるものではない。
これらの指摘に続き、その後も特に888を搭載した製品に劇的な変化が見られなかったため、ファウンドリ変更の話は有耶無耶になっていった。
ところが、昨年の6月に真偽を確かめるべく情報元をたどって検証したところ、この記事が誤った解釈に基づいていることが判明した。
(結局台積が888を製造したか否かは明らかになっていない。可能性は低いにしろゼロではないため断言することはできない。とはいえ、この記事は作成プロセスからして誤りであるといえる。)
解釈ミス
この記事はPatently Appleという媒体が台湾の聯合通信網の記事を引用して書いた記事を基にして書かれている。
つまり
聯合通信網→Patently Apple→iPhone mania
という孫引きの図となる。
まず記事のリンクからPatently Appleの該当記事を確認したところ、「台積が888を製造している」ことに関する直接的な言及箇所を発見することができなかった。
ただし、以下のような表現が見つかった。
仮にこの some ordersというのが888のことだとするならば理屈は通る。
文脈からしてそのように解釈することもできなくはないだろう。
(それでも和訳のように確定的に書くことはできないと思うが)
次に発端となった聯合通信網の記事を閲覧しようとしたのだが、iPhone maniaにもPatently Appleにもリンクが無い。
そのため日付から該当記事を探したところ以下の記事が見つかった。
「888に加えて870を製造した」「A9でも三星ファウンドリが問題を抱えていた」という表現が共通しているため引用元で間違いないだろう。
しかし内容からは「台積が888を製造した」という結論にはどうもたどり着きそうもない。
記事の冒頭では三星ファウンドリに5Gチップを委託していたQualcommが台積に緊急要請をしたとあるが、その後で中科(中部科学園区)にある台積の15Bラインで6nmプロセスのウェーハが1Qで2万枚に増量されたと語られている。
また記事の最後では、「Qualcommが5Gチップの現状を鑑みて注文を一部台積に移した」とある。これ自体は二つの記事にもあったが、それに続く箇所が重要である。
その注文とは今年(2021年)は6nmプロセスで、来年(2020年)は5nmプロセスの製品であることが示唆されている。
また、6nmプロセスの製品は「驍龍6系列產品」、つまりSnapdragonの600番台であることが報じられている。
(実際に6nmプロセスの680、695が発表された)
これらの情報を踏まえれば、台積がQualcommから受けた注文は7nmプロセスの870と6nmで製造される製品であると考えるのが妥当であり、「台積が(5nmプロセスである)888を代行して製造した」と解釈する余地はこの記事にはない。
ミスの原因
この解釈ミスを作り出した第一の原因はPatently Appleにある。
彼らは聯合通信網の記事を引用しながらそのリンクを掲載しなかった。
その結果、読者によるファクトチェックが著しく困難となった。
さらに、新製品に関する重要な情報も含む一部の文章を削って引用した。
6nmラインの情報も記載していればこのような解釈ミスは起こらなかったのではないか。
ミスかあるいはミスリード・煽り目的の意図的な編集か分からないが、編集者の誘導的な怠慢によって情報が混乱したことは確かである。
Patently Appleの怠慢の影響を受けたことには同情の余地があるが、iPhone maniaにも責はある。
まず、リンクがないにもかかわらず、発端の記事を自力で確認せずに情報を引用した。もしPatently Appleがそもそも存在しない架空の記事を基に書いていたとしても分からなかっただろう。
(あるいは元記事を把握していたがリンクミスをした可能性はゼロではないが、その場合は内容を知りながら書いたことになり同情の余地がなくなる。)
さらに、Patently Appleでさえしなかった「888のTSMC製造」を勝手に文章から読み取り、断言的に書いたことも問題である。
そのような解釈が可能だとしても、原文にない以上ぼやかして書いたり、あるいは「その可能性がある」と私見として分けて書くべきだった。
思うにiPhone maniaにはそのようなバイアスに基づいた解釈を行う癖があるのではないだろうか。
というのも、誤訳はこの箇所だけではない。
Patently Appleではこの箇所が次のようになっている。
問題は「同社は大きな問題ではないと考えていたため」という文で、原文ではthe companyやSamsungではなくreviewersが主語となっている。
この語句の意味や複数形であることを考えれば、reviewersが三星を指していると解釈するのは非常に困難である。
素直に、Youtubeやブログ、メディアに登場するレビュアーのことを指していると考えるのが正しいだろう。
このような悪意ある(無意識的な)バイアスや引用手続きの煩雑さを見ると、海外テック系メディアの情報を日本語で伝える媒体の必要性は分かっているにしろ、チェック体制の働いていないiPhone maniaのようなブログが検索トップであり続けるような現状が果たして正しいのだろうかと疑問に思ってしまう。
(確かに海外では個人ブログから大手テックメディアへと成長したengadgetやg〇zmodoのような存在はあるが。それとも自らiPhone maniaを名乗り、運営情報ではiPhone専門の情報サイトと語りながら、それ以外の領域へと頭を突っ込む方針が間違っているのだろうか。)
この件から少なくとも引用元提示の重要さと翻訳の難しさ、そして
翻訳記事は引用元をチェックして読もう
という教訓を得られたのはプラスだった。
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