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母の教え№11  雨 漏 り

〇 雨 漏 り

 この年になっても、台風や長雨が近づくと、ふと雨漏りを経験したことを思い出してしまう。

 雨漏りを経験したことの無い人は、あの何とも言えないむなしさ・うっとうしさは理解できないだろう。
 大雨が来ると、家中のタライにバケツ・鍋・釜・茶碗までもが役立つことになる。
 雨漏りは、天井を伝い回るので、一箇所に雨受けを置いていても役に立だたない。一番雨漏りのひどいところに、大きなタライを置いて、雫の動く状況に応じて、バケツ・鍋・釜と使い分ける必要があり、経験と勘とが重要になってくる。(大体、過去の雨漏りの移動跡通りに動くが、時々、変化する)
 また、どうしても天井から落ちた雫が飛び散るので、ボロ布を雨受けの回りに置いておくのも良い知恵である。

 万全の体制で寝込んだつもりが、予想が外れて、夜中に顔の上にポツポツと雫が落ちて起こされることもしばしばである。
 日常は、六畳の部屋で親子四人がひとつの大きな布団に、後先に二人ずつ足を突っ込んで寝ていたが、雨漏りの日は、この体制ではとても寝ておられない。
 四人がばらばらに、雨漏りを受けるタライなどを除けながら横たわるが、ポツンポツンとタライなどに落ちる雫の音が気になったり、場所によっては、雫が顔などに飛び散るので、なかなか寝つかれない。
 誰かが一晩中起きていて、主な雨漏りの移動に合わせて、雨受けを動かしてくれると、他の者は、安心して寝ていられるのだが……。
 今考えてみれば、その役目をほとんど母がやってくれていたのだろう。それは、自分達兄弟は、どんなに雨が降ろうが、何時も、ぐっすりと寝込んでいられたからである。

 雨漏りの原因は、おそらく屋根の瓦が2~3枚割れて、そこから雨が浸み込んでいるのだろうが、母子家庭では、なかなかそれを直すことができない。
 専門の職人に頼んで直せば簡単なことだが、それなりに経費がかかり、貧乏な家庭ではそれも出来ず、我慢して雨漏りの対策をするしかない。

 大雨の予想が出た日、中学校二年生の長兄が電信柱をよじ登って、屋根に上がろうとしたところ母に見つかって……、
『お前らが屋根に上がっても、分かるもんか! かえって他の瓦を踏み割って、雨漏りがひどうなる。転げ落ちて、怪我でもしたら、そっちの方が大事じゃ! 少々、雨に濡れたって、心配せんでも溶けりゃせんがな!
と怒鳴られてしまった。
 長兄もやっぱり雨漏りが嫌で、何とかしようと考えたのだろうか?
 この時は、私も子供心に、雨漏りの直せる大人に、早くなりたい……。
「貧乏は嫌だ、大きな立派な家で、雨漏りの心配をせず、大の字になってゆっくり寝たい」と心から思った。

 ――次兄が中学校を卒業し、宇和島の床屋に弟子入りした後、生活に少し余裕ができてきたのか、このまま放置して置くと、屋根の土台までが腐ると大事になる言うことで借銭をして直したので、私の雨漏りの経験は、7歳から11歳までの4~5年間だったが――

 その晩、予想どおり夕方から大雨になり、いつもものように家族全員で、タライにバケツ・鍋・釜をそろえて雨漏りを待っていた。
『貧乏の経験は、金持ちにゃあできん。雨漏りを経験した者でないと、雫が天井をどう伝わるか、ぜんぜん分からんしなあ! 貧乏したもんでないと、貧乏人の気持ちはわからんし……』と母が突然に変なことを言い出した。
『金持ちは、いくら努力しても貧乏人の本当の苦労はわからんが、貧乏人は、頑張って金持ちになれば、努力しなくても、貧乏人と金持ちの両方の気持ちがわかるようになる…それだけ、幅の広い人間になるということよ。貧乏も捨てたもんじゃないけんな!』と私たちを諭すように笑って話してくれた。
「……?」「……?」「……⁉」

『うちの子等は、少々努力しても、総理大臣や学者になれるとは思っとらんが、努力さえすれば人並みの人間には、誰でもなれるけん……』
『母ちゃんは、“どんなことでもいいから、他人より努力して、三人とも、人並みより少しだけ偉い人になってもらいたい”と思っとるんよ』と何時もの持論を話しだした。
 また、『悪いことをして、新聞に載るような人には、なっては欲しくない…』『何時も何時も、他人のことばかりは考えてはおれないが、時には、他人の立場になって考えることのできる人間になってもらいたい』とか…
 何時ものように、夜中まで話は続いたが……、
雨漏りは予想どおり、一時、タライに落ちてから、次第にバケツ・鍋・釜と天井の模様を伝いながら移動して行った。

 ――私が、高校を卒業して就職した郵便局の研修所でのことだが――

 20歳から25歳までの85人を郵政研修所に集めて、一年間研修するもので、四国と北陸からそれぞれ5人、近畿地方から75人が選抜された。
 研修所は、1~2週間から一カ月たらず修了する者も多く、多種多様なもので、一年間研修する私達が中心になって運営されていた。
 研修半ばの夏休みに、テニス部の合宿の一環として、一泊二日のキャンプを実施することになり、経費を抑えるため、部員のお父さんの知人の世話で、営林署の山小屋を借りることになった。
 山小屋は、少し古かったが、12畳がひとつと6畳の部屋が三つもあり、20数人の部員が宿泊するには、十分すぎる程ありがたいものであった。
 六畳の三つの部屋のうち一つの部屋だけ、畳が真新しいということで、抽選で部屋割りを決めることになり、抽選の結果、私ほか四人がこの部屋に泊まることになった。

 部屋に入ると、真新しい畳の匂いが〝ぷーん〟としてきて、皆がわいわい言ってよろこんだが、落ちついてよく観察すると、天井に雨漏りの跡が点々とついており、私は、すぐに畳替えした理由が理解できた。
「思ったより汚い部屋だな!」と同室の一人が洩らしたが、それが雨漏りの結果だということを誰も気づいてなかったので、ことさら雨漏りを話題にはしなかった。
 他の部屋の者が、羨ましがって、私たちの部屋を入れ替わり立ち代り見にきたが、誰もことさら雨漏りもことは口にしなかった。


 夜中に、雨の音で目が覚め、電気をつけて天井を見たら、一箇所雨が滲んでいたが、雫になって落ちる程のことはなかったし、雨も治まったようだったので、そのまま電気を消して眠りについた。
「まだ屋根の修理が終わってないのだな」と思ったので、帰る間際に、倉庫からタライにバケツ・洗面器などを集め、昔の経験と勘とを働かせて、そこら中に並べていたら、同室の者から、『何をしているのか』と咎められ、理由を説明したが、『そんなもん、何処に落ちるか分かるかえ』と一蹴されてしまった。
 楽しいキャンプが終わった後も、大雨の度に、山小屋の雨漏りのことが気になっていたが、そのことも、いつしか忘れかけていたある日、このことが、思わぬ方向で明るみに出てきた。

 営林署の山小屋の責任者から、部員のお父さんに感謝の電話があったそうだ。
『雨漏りがひどく、畳替えはしたが、屋根の修理が遅れていて、久しぶりに雨漏り覚悟で出向いてみたら、タライなどが並べてあり、見事に雨漏りの水を受けていたが…。キャンプには、屋根葺きのプロが同行したのか?……』と言うことであったとか……。
 このことを友人が、ホームルームの席上で披露したので、皆の知るところとなり、同室の者の報告もあり、私の仕業であることが明らかになってしまった。
『山田は、凄い物知りだ!』と言うことになり、また、一番年長組ということもあってか、二学期の選挙で後半の学級委員長の大役をまかせられることになってしまった。
 こんな時……、
『雨漏りを経験した者でないとは、雫が天井をどう伝わるか、分からんしなあ!』『どんなことでも経験が大切だ。貧乏の経験も捨てたもんじゃないけんな!』と得意そうに笑っている母の顔が、浮かんでは消えた……。


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