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母の教え№3  入学式での拳骨

○ 入学式での拳骨     

 私達が悪い事をすると、母は必ず拳骨をかますか、鞭のようなもので尻をおもいきり叩いて反省させていた。
『お前らは、口先で注意しただけでは、すぐ忘れてしまう。瘤(こぶ)が出来るか、痣(あざ)が残っているうちは、簡単には忘れまい』と言うのが母の信念であるから、子供としては、たまったものではない。
 そんな風だから、何時もこそこそと悪いことばかりしていた私などは、短瘤が絶えることが無かった。


 このように、家庭内で殴られることは、日常茶飯事だったが、人前で拳骨をかまされたことは、これまでに一回しかない。
 その一回は、小学校の入学式の式場でのことである。小学校の入学式と言えば、子供にとっては、一番緊張するうれしい時であり、〝ピカピカの一年生〟と言われるように、鞄も洋服も皆、ピカピカである筈だったが、昭和二十年と言う時代が時代だけに、貧しい家庭では、そんなに新しいものばかりを持たせてはくれない。


 特に、私は、三人兄弟の末っ子だったので、初めから学生服も鞄(風呂敷包み)も、兄達が大事に使ったお古で間に合わせられた。
 学生服は、おとなしい長兄が着たものが比較的傷んでなかったので、これを洗濯して肘と膝のあたりを少し直し、取れたボタンをつけて着ることにになった。
『今の時代は、破れて無くて垢さえついてなければ立派なものよ』と言うのが母の言い分だった。


 前日に着てみたら、背丈もピッタリで動きやすく、中でも、上から三つ目につけた〝中〟の字のボタンが気にいっていた。
 この頃、学校で、『ボタンの潰し合いが流行っていて、豚の鼻に似た中のボタンが一番強い』と言っている兄達の話を聞いていたので、早く学校に行って試して見たかった。
 初めて学校に行くことよりも、〝ボタンの潰し合い〟のことが気になって、なかなか眠れなかった。


『昨夜遅く母の妹から、新しい学生服が届いたので着て見よ』と言うことで、入学式の当日、朝早く母に起こされた。
 新しい学生服は、随分と大きく、袖と裾を折り込まなくては、着られないものだった。
 母が、あわてて袖と裾を折り込んでくれたが、胴の部分がぶかぶかの上に、上着の丈が長く、カッコが悪く嫌な気分になった。
「こんなの嫌だ、昨日のお古の服がいい」と言ったら……。
『折角、伯母ちゃんが送ってくれたのに、贅沢言うな。子供は、すぐに肥るけん、ちょうど良くなるんじゃ』と母に怒鳴られてしまった。


 どうしても嫌だったので、最後は、地団駄踏んで泣いて抵抗したら……。
『好きにしたらいい……』と頑固な母が拳骨もかまさず譲ってくれた。
 私は、今考えてみれば、胴がぶかぶかでカッコが悪いだけが理由ではなく、新しい学生服についている、〝桜〟のボタンが、潰し合いに弱そうだったし、お古の学生服につけてもらった〝中〟の字のボタンを早く潰し合いで試してみたい気持ちが半分あったように思う。


 ――この時はまだ、新しい学生服や靴などを買う時は、少し大きめのものを買うと言うことを、理解していなかった――

 入学式の当日は、九割近くの人が新しい帽子に新しい鞄・学生服と、まさに〝ピカピカの一年生〟ばかりだった。
 新入生は、百十三名で二組にわかれて教室に入り、名前の呼ばれる順番に並び、何度も何度も、大きい声で返事する練習をくりかえした。
 私は、小柄だったので、前から五番目に並ばされたが、早速、時間を見つけて六番目の子と〝ボタンの潰し合い〟をやることになった。六番目の子は、新しい学生服だったので、全部が新しい〝桜模様〟のボタンだった。
 初回は、こちらも一番上についている古い〝桜〟のボタンを押し付けたが、簡単に潰されてしまった。


 ちょうどその時、担任の先生が来て、この順番のまま講堂に入るように先導され、仕方なくついて行ったが、〝ボタンの潰し合い〟に負けたことが、とても口惜しくて、広い講堂に入ってからも、上から三つ目の〝中〟のボタンなら絶対に負けなかったのに、早くもう一度勝負したいとそのことばかり考えていた。
 一組目から新入生の名前が呼ばれ、大きい声で皆が返事をしていった。二組目も一番から順番に名前が呼ばれ、五番目に、私の名前が呼ばれたので、練習の時より一段と大きい声で返事した。


 これで自分の役目は終わったと思った途端、先ほど〝ボタンの潰し合い〟に負けたことが思い出され、頭の中が真っ白になって、周りのことが何も聞こえなくなってしまった。
 くるりと後ろを振り向き、さっきの続きをやろうと言ったら相手も承諾し、その場で〝ボタンの潰し合い〟を始めてしまった。
 新しい〝桜〟のボタンは、思いのほか丈夫で〝中〟のボタンを押し付けても、なかなか勝負がつかなかった。


 ……いきなり〝ゴーン〟と音がして、目の前が真っ暗になった。頭が何時もより痛く、恐る恐る目を開けると、目の前に眉を吊り上げた母の顔が、〝ヌー〟と現れた。
『前を向いて、話を聴かんか!……』
 二つ目の拳骨が、飛んできそうな勢いに驚いで、慌てて前を向いた。
頭の痛さと周りの静かさに、初めて我に返り、辺りを見渡すと、ちょうど、校長先生が話をしておられる最中だった。
 新入生が全員名前を呼ばれて立ち上がり、次に校長先生の祝辞が述べられる、入学式にとって一番大切な時間の出来事だけに、母も黙って見ておれなかったのだろうか?
 それにしても、入学式の真っ最中に大勢の前にノコノコと出てきて、自分の子供とは言え、皆の前で拳骨をかまして叱るとは!……。

 
 このことは、その日のうちに入学式に参加した多くの人々を驚かすと共に"山田の散髪屋の子は、しつけが厳しい……″とすぐに村中の噂となり、その後の私達兄弟の日常の行動が、制限される一因になってしまった。


 その後、"山田の散髪屋の子は、兄弟喧嘩もせず、親の言うことも良く聴いて、良い子ばかりで羨ましい″と言うことになり、そのうちわざわざ我が家まで来て、このことを、直接、母に言う人が出てくるようになった。
 そんな時、母は、私達にも聞こえるような大きな声で……、
『うちの子は、親の言うことを良く聞いて、いい子ばかりでっせ!』
 と笑いながら平気で答えていた。


 このことがあってからは、「山田の散髪屋の子なら、悪いことはせんだろう?」と頭から決め付けられるので、人前では、今までのように悪いこともできず、猫を被っていなくてならず、随分と遊び辛くなったと次兄も洩らしていた。
 外で良い子の振りをしている分、家で発散するので、今までより兄弟喧嘩をしたり、我儘を言うことが多くなったが、これまでのように母から拳骨をもらうことも少なくなった。


『子供は、二十四時間は、良い子では居られない。家の中でいい顔をさせられている子は、陰で意地悪をせざるを得ないし……』
『家で好きなだけやんちゃをさせておけば、外では、いくらでもいい顔が出来るだろう』と言うのが母の持論である。
 このことは、その後の私達の子育てにも役立ったことは言うまでもない


 母は、父兄参観日等には、どんなに忙しくても、必ず出席してくれた。朝家を出る時、めずらしくお客さんがたくさん来ていて、「今日は、出られないだろう?」と思う時も、授業が始まる頃には、必ず来ており、何時も不思議でならなかった。


「今日は来てなかったな」と思う時も、その日の夕食後の話の時、『三郎は、キョロキョロして落ちつきが無い』とか、『何回手を挙げた』とか授業中のことを詳しく話してくれた。
「やっぱり来ていたのだな?」と思うと共に、何時も見張られているような気分になり、参観日の時だけは、真面目にしていないと、何時また、拳骨をもらうかも知れないという恐怖さえ感じていた。


 夕食後の話し合いで、母の機嫌の良さそうな時に……、
「自分の子供が悪いことをしても、入学式のような大勢の人の前で怒ることは親の恥じゃし、怒られる僕らも、恥ずかしいけんやめてや!」と頼んだ事があったが……、
『いくら知らん顔をしても、お前らが〝山田の散髪屋の子〟じゃいうことは、村中の人が知っとるけん』
『親の恥は子の恥。子の恥は親の恥よ!』
『母ちゃんが、いくらええ格好をしても、お前らが悪けりゃ、母ちゃんが笑われるし、母ちゃんが笑われることは、お前らが笑われちょるということよな!』
「筈かしかたら、他人に迷惑をかけんことよ。他人の口には、戸は閉てられんしな!」
 と人前でも容赦はしないという答えが、即座に返ってきた。
 その後も、相変わらず拳骨はもらったが、人前でもらうことは一度もなかった。


 ――余談になるが――

 入学式で拳骨をもらってから四十数年が経ったある日、勤務地の幼稚園の入園式に来賓として招かれたことがある。
 教室は、幼稚園の入園式らしくピンクや白いバラで飾った黒い幕を張り巡らし、中央の演台にも白いゆりの花瓶が置かれ、舞台の左端には、グランドピアノが配置されていた。


 開式の合図で、園長先生が入室され、次にニ、三人の先生に先導されて見事に整列した年長組の園児が入場して来た。
 年長組の新園児歓迎の歌が始まると、今度は、四、五人の先生に連れられた園児が、ざわざわと入ってきた。園児は、一応、お揃いの制服を着てはいたが、何故か統一が取れず、ごちゃごちゃしているように思えた。


 二十人余りの新入園児を舞台前の一角に座らせるだけで、四、五人の先生が右往左往し大変な混乱となってしまった。
 それでも、担当の先生が、一番前列の園児を二、三人ずつ押さえ、やっと収まりがつき、一瞬の静寂が保たれた。


 司会者の言葉で、おもむろに園長先生が演台に上がり、入園歓迎の挨拶が始まったが、相変わらず園児は、ごそごそ、ざわざわと思い思いの動きをして、もちろん、話など聞いてはいなかた。


 幼稚園の先生は、「大変だな! こんなに無茶苦茶なガキどもを、一年間で年長組にしつけるには、相当のご苦労があるだろう」と思うと急に腹が立って、来賓席からこちらを珍しそうに見ている二・三人の園児をにらめ付けてしまった。
 その時、一人の男児が、抑えていた先生の手をするりと抜けて舞台横に向かって走りだし、あれよあれよと思う間に黒い幕についている造花の白いバラに触ると、くるりとこぶしを返して元の場所にも戻ってきた。
 会場がざわざわとどよめき、一部笑い交じりのため息が漏れた。その瞬間、今度は、それに反応した三・四人の園児が、抑えている先生の手をするりするりと抜けて、舞台横の白いバラに向かって走りでた。
 園長先生も挨拶どころでは無い。年長組みの先生も協力して、一人二人と押さえ込んでいきやっとの思いで平静を保った。
 園長先生が、再び演台に上がり、あらためて入園歓迎の挨拶が始まった。


 相変わらず園児は、ゴソゴソして話など聞いていなかったが、それぞれの先生が、悪そうな園児を一人ひとり手を掴んで抑えているので一安心だった。
 ところが今度は、一番端にいたおとなしそうな男児がいきなり立ち上がり、ピアノに向かって走り出した。
 近くにいた先生が、必死に抑えようとしたが間に合わず、園児はピアノの鍵盤を〝コツン〟と押してしまった。
 このピアノの音に刺激されて、園児たちがまた騒ぎ出し、一人二人とピアノに向かって出て行きだし会場が騒然となった。
 しかし、最後は、手馴れた先生達の協力によって収められ、入園式は予定どおり進行していった。
 この間、三十分余りだったが、私は、腹ワタが煮えくり返り、大声で怒鳴り挙げたい気持がいっぱいで、他人の子供といえども出て行って拳骨でもかましたい衝動に駆られた。


「そうだ、自分は来賓なんだ。この場は、手馴れた先生達に任すしかないのだ!」と我に返り辺りを見渡して、唖然としてしまった。
 会場の後方には、白やピンクの花のブローチをつけ、黒い式服で着飾った、この二十人余りの新入園児のお母さん達が、出席しているではないか。
「あれだけ我が子が、好き勝手をして先生達を困らせているのに、誰一人として出ていかず、よくも澄ました顔して見ておられるものだ。どうして我が儘ばかりしている自分の子供をたしなめる母親が、一人もいないのだろうか?」と考えると悲しくなってしまった。


『親の恥は子の恥。子の恥は親の恥よ!』
『母ちゃんが、いくらええ格好をしても、お前らが悪けりゃ、母ちゃんが笑われるし、母ちゃんが笑われることは、お前らが笑われちょるということよな!』


 この会場よりも数倍も広く、数十倍も多い人前で、堂々と拳骨をかまして叱ってくれた母の愛情と偉大さに、今更ながら敬服してしまった。

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