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母の教え№7  ガキ大将のタカちゃん


○ ガキ大将のタカちゃん

 タカちゃんは、町内の馬車轢き(ひき)(今の運送業)の長男で、父親譲りの暴れん坊だった。
 いわゆる、この地域のガキ大将で子分も多く、何時も近隣の中学生同士が喧嘩して、勝ったの負けたのと言って騒いでいた。
 時代柄、自転車のチエンや刀の鍔を持って、集団で渡り合うものだから、時には警察沙汰になることもあった。
 近所の子供を虐めることもしばしばで、目に余った時は、タカちゃんと母親を呼びつけて注意すると、今度は、子分に言いつけて、そのこどもを虐めるので始末が悪い。
 こんなことだから、学校の行き帰りに自分の子供が、少々虐められても、泣き寝入りする家庭が多く、黙って見過ごしていた。

 ある日、長兄の太郎が、学校から目の下を青黒く腫らして帰ってきたが、母が仕事中だったので声もかけず、そのまま祖母の家に遊びに行き、これを見た祖母達が怒り出し大騒ぎになってしまった。
『うちの大事な跡取り息子を片輪にする気か。女ばかりの家じゃと思うて、馬鹿にしとるんか?』と祖母と伯母とが長兄を連れて、凄い剣幕でタカちゃんの家に怒鳴り込んだが、タカちゃんは帰っておらず、何時ものとおり、母親が謝るばかりだったそうだ。


 最後は、『わしらは我慢できるが、これの母親が許さんと言っているから、本人を連れて謝りに来てもらわんと困る』と強要し、夜、タカちゃんが帰ってから謝りに来ることで話がついたらしい。
 そこで、祖母達は、『タカのおっかあが、息子を連れて夜遅く誤りに来るけん、厳しく怒っといてや!』と報告して意気揚々と帰って行った。

 店仕舞いして、カーテンを閉めて一息ついたた夜の十時頃、タカちゃんの母親が『今晩は‼』と言って店の戸を開けたが、しきりと戸外を気にしており、なかなか奥まで入って来なかった。
 そのうち、『孝夫、何しとるんや……』とタカちゃんの耳を掴んで引っ張りこみ、二人は、店の土間に座りこんで母に対して謝りだした。
 母は、あわてて二人に近づき、椅子を二つ出して座るように勧めた。
『子供の喧嘩に、大人が大袈裟に騒いで済まんことよ……。祖母(ばあ)ちゃんらが、長男じゃ、跡取りじゃと言うて、大事に大事に育ててくれた子じゃけん、目に入れても痛くない程、可愛いがりよるけんなあ……、困ったことよ…』


 母は、他人ごとのようにいいながら、二人の側に座った。
タカちゃんの母親が、大変恐縮して、嫌がるタカちゃんの頭を無理に押さえ込んで謝らそうとした。
『もういいがな、こんなに夜遅く謝りに来てくれて済まんことよ。喧嘩は、一方だけが悪いと言うことは無いけんな。うちの子は、総領の甚六じゃけん、気が利かんところが多いので、気にさわることも多いと思うが、いろいろ教えてやってや! 教えても聴かん時は、少々叩いても構わんけん』…
『まだ、うちの子らは、タカちゃんから見れば、子供じゃけん、怒る時は、少し手加減してやってや!』
 ただ黙って俯いていたタカちゃんが、少し頭をあげて、蚊の鳴くような声で……、
『すみませんでした……』と言った。
 母は、すかさず…、
『もういいぜ、十分謝ってもろうたけん良く判ったよ! 夜も遅いけん、どうぞ引き取ってや…』と丁重に挨拶した。タカちゃんと母親は、何度も何度も頭を下げながら帰って行った。


 それから一週間が過ぎた頃、近所の母親三人が母を尋ねて来た。
その話によると……。
『相変わらずうちの子らが、タカに虐められて困るが、どうしたらいいのじゃろうか』と言う相談だった。
『洩れ聴くところによると、山田の散髪屋の子は虐めるな。虐めたら俺が許さん』とタカが子分達に言ってるとか……。
 うちの子をあんまり虐めるので、この間も、タカの家に怒鳴り込んで行ったら、今度は、タカの子分がうちの子に意地悪をするようになった。

 その子分を呼んで注意したら、どうもタカに言われてやっているらしいが、この事は、タカには言わんようにと泣かれて困っている。
『山田さんの太郎ちゃんも、タカに怪我させられたとか聞いたが、その後、どんな始末をつけたのな?…』
『どんな手を使ったら、虐められんようになるのじゃろう…』と真剣に聞い来たそうだ。
 母は、答えに困りながら……。
『子供の喧嘩じゃけん、あんまり親たちが騒いでもいけんがね。うちは祖母(ばあ)ちゃんたちが、怒って行かれて、母親がタカちゃんを連れて謝りに来られたので、“うちの子に悪いところがあれば教えてや、言うこと聴かん時は、少々叩いても構わんが、手加減してやってや”』と言ったただけですよ!』と言ったが、三人の母親たちには、全く理解されなかった。

 どちらの親も…、
『親も叩いたことのない子供を、他人に叩かれてたまるかい』とか、『自分の子供は、全部正しくて、相手が全く悪い子だ』と決め付けた考え方だった。
 なお、子分たちに、『散髪屋の子は虐めるな』と言わせるには、何か袖の下でも使ったのではないかと疑う様子が伺えたとか…
『やくざの世界じゃあるまいし、たかが子供の喧嘩に、大の大人が四の五の言うなよ!』と近所のお母さん達が帰った後、母は一人で怒っていた。

 その後、タカちゃんは、何かにつけて『山田の小母(おば)ちゃん、小母ちゃん』
 と言って、店にも遊びに来るようになり、母も、『タカちゃん、タカちゃん』
 と分け隔てなく接するようになった。


 中学校を卒業したタカちゃんは、大阪に出て、刺青をいれた本当のやくざになったが、盆と正月に帰郷した時は、必ず土産を持って立ち寄ってくれた。
 時々、当時を思い出しながら……、
『あの時は、お袋が泣くように頼むので、いやいや謝りに行ったが……。何処に謝りに行っても、最初からぼろくそに怒られるので、あの日も覚悟して行ったが、小母ちゃんは、何も怒らんかった』また、『 喧嘩は、一方だけが悪いと言うことは無いけんな。言うこと聴かん時は、叩いても構わんけんど少し手加減してやってや"と言われ、これまで謝ったことのない俺が、ついつい“すみません”と言うてしもうた』と笑いながら話していた。

 この縁からか、タカちゃんの三人の姉妹と弟も、『山田の小母(おば)ちゃん、小母ちゃん』と言って店に来るようになり、家族ぐるみの付き合いが続くようになった。
 母は、『一寸の虫にも五分の魂・盗人にも三分の利がある』とか、『喧嘩は、一方だけが悪いと言うことは無い』などと、どんな時でも、相手の立場もよく考えるように教えてくれたが、ガキ大将のタカちゃんを納得させたのも、このように相手の立場を理解したからであろうか?

   

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