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眠れぬ夜の昔話 其のニ

※トップ絵はSpellaiに描いていただいた「パソコンでデザインしようと頑張る女の子」の別バージョンです。

トップ絵について

月島あたりの制作会社

どれくらい前だったか。

ゲームの企画書を作るのが楽しかった頃、企画を考えることより、考えを形にすることがとても楽しかった。

Adobe PageMakerというDTPのソフトに触れた時に、それまで使っていたクラリスワークスのワープロソフトに戻れないくらい便利で楽しくて、それが僕のその後を決めた瞬間だった。

PageMakerを使うために、企画書を作って面接に向かうような、なんだか手段と目的が入れ替わったような日々が続き、「これならいっそのこと、ゲーム業界よりもDTPを仕事にできる会社に就職した方がいいかも」と思い始めて方向転換。

デザイン会社や印刷会社、出力センターや小さな制作会社などに、自分が作った企画書を片っ端から送りつけて、面接の機会を待っていたが、なかなか面接まで辿り着けず、悶々とした時期が続き、何とか面接まで辿り着けても就職にな結びつかず、段々焦りも出てきた頃、月島の制作会社に潜り込むことができた。

給料はとてもやすく、家賃と光熱費や水道代、そして定期代を支払うとほぼ残金がなく、インスタントの袋ラーメンにもやしを入れて、そんなのを食べ続けるような生活がしばらく続いた。

僕が考えていたような、夢のあるような仕事ではなくて、実際は求められることが本当に多く、しかも当時の環境は完全にデータではなくて、色々アナログな部分も多く、そんな状態に困惑しつつ、泣きながらマウスを操作して、徹夜でデータを作成してたことも多く、仮に仕事が終わったとしても、終電に間に合わず職場に泊まったり、赤坂あたりのサウナに泊まって同性愛者のオッサンに尻を追いかけられたりしつつ、DTP屋としての日々を送ることになる。

そんなある日、その生活は唐突に終わりを迎えた。

「ここを畳むことにしたから」

オーナーの突然の言葉に、頭が真っ白になった。

先輩のDTPerは、すでに知り合いに働く口を紹介してもらえたらしいけど、新米の僕にはそんな伝手はなく、晴天の霹靂のような出来事で、僕は仕事を失った。

その夜、先輩と「お疲れ様」と「さようなら」の一杯を酌み交わして自室に戻って、万年床に寝っ転がった。

さて、どうしたものか。

酔っ払った頭で、僕は漠然と考えた。

答えは、当然でなかった……。

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