202402030345_栃木県某所にて
今週も頑張りましたよ、と
とりあえず、アレだ。
今の職場での夜勤、一週間よく頑張った!
……ってことで、ご褒美のラーメンを頂くことにしますよっと。
一番定番の醤油ラーメンなんですけどね。
ビンボー人には1,000円超えるとちょっとキツイんだよね。
だもんで、期間限定の「もつ味噌ラーメン」は諦めました。はい。
うまそうな「もつ味噌ラーメン」の画像はこちら(山岡家ホームページより)
はてさて、一ヶ月も放置してしまったnoteに何を書こうかと考えあぐねているところなのですが、まあ思いついたことを思いつくままに書いていこうと思うわけですよ。
まあ、とりあえず、年始に起きた出来事と、最近起きた出来事について、気の向くままに書いていこうと思います。
動物は家族になりえるのか?
2024年1月2日の羽田空港の事故の件で、救われることがなかった二匹のペットの話題がネットの様々な場所で議論されていますが、「動物と人間の関係性の問題」がこんなところで表出してくるのかと、個人的にはとても興味深いんですよね。
ペットを家族だと認識している人たちにとっては、この件はとても大きな悲劇だろうし、当事者の気持ちも分からなくはないんですが、「じゃあ人死のリスクを負ってまでペットの安全を担保できるか?」ってあたりの問題に対しての議論は当然あるだろうし、そもそも当事者であるところのペットにとって人間は本当に家族たり得ているのかってあたりの言及が、こういってはアレですが人間側の錯覚でしかない可能性も無くはないわけで。
これを書いていいのかわからんないですけど、本当にペットのことを考えて生活するのであるなら、ペットにとってストレスフルな環境に連れ出すことは、おそらく控えるだろうと個人的には思うのですが、荷物扱いにされてもペットを旅行に同伴させるのってどんな理由があるのでしょうかね?
ペットは家族なのか?
はたまた、自分の孤独を癒やすための代替なのか?
もしくは、自分を演出するための小道具か……?
例えがどんどん歪になっていきましたが、動物と人間の関係性は様々。
飼い主の性別や年齢、立場や人間性、その他様々な要素で微妙に変わってくるんだと思うけど、それは飼い主の側の意識であって、ペット側の意識は実際にペットに尋ねてみるしかないわけですが、残念ながら現状ではそれをする技術は確立されていないので、飼い主の側が自らが「観察」した状況から「類推」して、それを「代弁」するしかない。
しかし、飼い主の側には動物に関する知見が圧倒的に欠けているわけで、そこからの観察を類推はとても危険な行為になりえるわけで、「ペットが何を望んでいるか」を正確に掴み取るには、飼い主側の相応の努力が必要になる気がするんですよね。
……っと、話がズレてきたな。
話を戻すと、盲目的に「ペットは家族だ」と決めつけてしまうのは、とても危険だと思うわけです。
ペットは残念ながら人間ではないですから、本質的に家族にはなり得ない。
「家族」でいてもらうことはできますが、本質的には人間と動物。
種の違う生き物が、その違いを乗り越えてお互いを理解し尊重できるようになるには、お互いをもっと知らなければならないと思うんですよね。
何が言いたいかというと「本当に家族だと思うなら、「家族」ごっこは止めにして、ペットのことを考えよう」ってことです。
ペットのことを思うなら、荷物扱いされるペットの苦痛について、少しでも考えを巡らせてみるべきなのではないかと。
無理に旅行に同行させないで、ペットホテルを利用したりしたほうが良かったと思うし、もっというなら「ペットのことを考えるなら、旅行にはいけないよね」って結論にたどり着くかもしれない。
旅客機側の責任を問う人もいますけど、その前に「家族」たる飼い主側の関係性を考える人がいてもいいと思うんですが……。
事故に遭われた方々の心中はお察ししますけど、家族は荷物扱いしては行けない気が、個人的にはしています。
……皆さんはどう思いますか?
メディアにとって「原作」の価値は?
2024年1月29日に亡くなられた漫画家に降り掛かった不幸な出来事も、同様にネットの様々なところで議論になっていますね。
こちらの漫画家や描かれた作品については全く存じませんが、一番議論になっているであろう「なぜドラマ制作側は原作や原作者の意思を尊重しなかったのか?」という部分は、個人的にとても興味深かったんですよね。
漫画のアニメ化や小説のアニメ化(もしくはコミカライズ)、またはアニメや漫画や小説の実写化(この「実写」って言葉も違和感ありますが、こう表現するしか今のところないのか……)には、こうした改変はつきものではありますが、「幸せな改変」もあれば「不幸な改変」もありますね。
僕の肌感覚でしかないですが、いわゆる実写化の場合においては、「なんだかなぁ」っていう感想になってしまうことが多いです。
特に海外のスタッフが絡むと、残念な気持ちになってしまいます。
……カウボーイビバップ、視聴が苦痛で多分4話くらいまでしか消化出来ませんでした。
だって酷いんだもん、改変が。
なぜ改変が起きるのか。
一つには、元の作品よりも多い情報量が必要なメディアに作品を作り変える場合は、不足した情報を補うために改変が必要になるわけで、この補った情報が適切であればあるほど、改変の幸福度が上がっていく気がします。
こういった改変は、視聴者にも制作サイドにも、そして原作者にもいい結果をもたらすことができるわけで、結果的には大きな利益にもなり得るんでしょう。
しかし、今回の出来事はそうではなかった。
って、僕はその原作のことは全く知らないし、ドラマの方も視聴してません(ぶっちゃけ駄立体に興味もないですし……。アニメになってたら多分観てた)が、原作者が改変について申し立てていた異議なんかをネットニュース越しに拝見してて、前述の「幸せな改変」ではなかったのだなと感じました。
ちょっとこの文章を書きながら原作の漫画について調べてみたのですが、これは確かにドラマには向いていないし、原作者もドラマ化を臨んでいなかったのではないかと思わざるを得ないくらい繊細な内容に思えます。
正解がない世の中だから、安易に「こうである」と断じてほしくない。
そんな灰色な雰囲気を大切にしていたからこそ、物語のダウンサイジングをして安易な理解者を増やしたくなかったのではないか。
しかも、原作は完結していないわけですから、その点も十分な配慮が欲しかったが、それも受け入れられなかったようで……、原作者にとっては苦痛以
外のナニモノでもない実写化だったのかもしれません。
Wikipediaによると、ドラマ化に際し当初から原作準拠のドラマ化を希望していたにも関わらず、ドラマの制作サイドにその思いを反故にされ脚本に何度もリテイクせざるを得なかったことや、最終的に一部の話数を自ら脚本に携わらざるを得なかった状況にあり、相当な心労を抱えていたそうですから、そこにネットからの苛烈なバッシングを受ければ……。
ふと「推しの子」の黒川あかねが歩道橋から飛び降りようとしたときの心境を想像してしまいました。
普通の人って、ネットで叩かれるのには慣れませんからねぇ……。
ここ数日の間に、どうして今回のような出来事が起きてしまったのかを想像しながら適当にダラダラと考えているのですが、「結局は制作サイドにとって原作の持つ内容の価値などどうでも良くて、単にネームバリューとキャッチーなフレーバーだけが欲しかっただけで、スポンサーに『ワタシらはこんなイケてるものができるんですよ!』って自己表現の素材には、このコンテンツは向いているとしか思っていないこと」が原因だったんだろうなーって思いました。
あと、お金を出す側も、具体的に利益を想像できないコンテンツにはお金を出しにくいという背景もあるのでしょうから、原作のもつコンテンツ力は説得力があったのかもしれません。
ですが、内容を愛してくれない作り手が手掛けた改変がもたらした結果は、原作者や原作のファンからすれば「ドウシテコウナッタ」という悲しい叫びしかもたらさないことは想像に難くないわけで……。
その程度の価値しかもたない原作だとしたら、別にその作品の他メディアへコンバートする必要ってないですよねって思いました。
制作サイドの皆様には、自分たちで頑張ってオリジナルのコンテンツをスポンサーに認めさせてほしいです。
この出来事を受けて、様々なコンテンツの原作者からSNSなどに意見が投稿されていますが、ちゃんとそれらを汲み取って今後の制作に役立ててほしいですね。
「14へ行け」の生みの親が「パラグラフ14」に逝ってしまった……
前述の不幸な出来事とは全く関係のない話ですが、J.H.ブレナン氏が元旦に他界されていたのを一ヶ月遅れて知って「ああ、とうとう作者自ら14へ逝ってしまったのか」と感傷的になってしまいました。
まあ、若い人にはなんのことだかサッパリでしょうが、僕らが若い頃に流行ったゲームブックの名作「ドラゴン・ファンタジー(グレイルクエスト)」の作者がJ.H.ブレナン氏で、14は主人公が死んだ時に読まされるパラグラフ。
そのパラグラフがあまりにも秀逸だったからか、ゲームブックの文化がほぼ失われた現在でも「14に行け」という言葉だけは生き残り、ネットでも使われることが多々あるんですが、まさかブレナン氏もそんなふうになるなんて思ってもいなかったんじゃないかなぁ……。
かれこれ40年近く前に熱中していた物語ということもあって、手元に書籍自体がないので残念ながら14の引用が出来ずにいますが、各作品ごとに嗜好を凝らした内容になっていますので、もし機会があったら読んでいただきたいものです。
ま、そんなわけで(どんなわけだ
夜勤から昼勤への時間調整のつもりで早起きして、思いつくままにキーを叩いていましたが、そろそろ読むのも面倒になるくらいの文量になってきましたし、書いてる方も「誰が読むんやこんなもん」と思い始めてきたので、この辺で〆たいと思いますが、一ヶ月前に起きたこと書くなら北陸の震災のことも言及しとけっと気もしますけど、あちらについては現在進行系で様々な問題が出ているでしょうし、東日本大震災でさえ未だ終わっていない(と被災地の方々は思っている)でしょうから、今何かを書くのは違う気がしました。
ので、被災地に観光に行けるようになってから、何か考えたいと思います。
今は、少しでも早く平穏な生活が遅れるようになればいいなと。
今後も、まあこんな感じで、だらだら思ったことを書いていくと思いますが、皆様よろしくお願いします。
あ、タイトルは冒頭のラーメンが着丼した日時と場所で、他意はないです。
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