自己責任は誰のためか?
今回は、ちょっと職場や世間的に、ある部分常識のように語られる「自己責任」という言葉について、少し思うところを書いてみたい。
少々硬い話になると思うが、あらかじめご了承いただきたい。
昔から言われていたか?
僕の頼りない記憶力では、僕の成人する頃までは「自己責任」という言葉は、今ほど使われていなかった気がする。
代わりによく言われていたのは「困ったときはお互い様」だったと思う。
僕と同世代くらいの方には、一度思い出して欲しいのですが、あなたの若かりし頃は、今ほど個人に責任を求めていただろうか?
昔は地域で子供を育てていたような気がするし、今よりも横のつながりは強かった気がするし、困っている人に差し伸べる手は、今よりも多かった気がしなくもないのです。
ところが今はどうか?
ちょっと体調が悪かったり、成績が振るわなかったり、失敗が続いたりした時には、やたらと責任だけを問われるような気がします。
何故そうなったかを解明する場合も、責任の所在を問うためにするのであって、純粋にその失敗をなくすために行なっていることは少ない。
まあ、それらは僕の肌感覚ですし、実際は真面目に分析をして、作業を無理なく進めるための仕組みを考えている人も、きっといるでしょう。
じゃあ何故に僕がこんなことを書こうと思ったのか。
それは、こんな話があったからです。
「生理がキツけりゃ別の仕事しろよ」
今の職場は、僕にとってはそれなりに働きやすくて、退職がほぼ確定している今でも少し惜しいなぁと思っているのですが、嫌な部分も当然あって、その一つが「他人に求めすぎる空気」です。
特にベテランの社員に多いのですが、入ってまもない新人の派遣社員に大した指導もせずにベテラン同様の作業を求めてくるんですが、そんなもの当然できるはずもありません。
しかし、それができないとなるの「あいつは使えない」と言い放つわけです。
また、女性の派遣社員が生理が重くて休んだりすると「生理がきつかったら別の仕事を選べばいい」なんてことを言ったりするのです。
新人作業者のスキル不足も、女性作業者の体調不良も、自己責任では片付けられない話なのですが、それに対しても自己責任を求めてくるところは、何ともまあ日本的な企業文化だなと思ったりするんですけど、そりゃあ人が居着かないよなぁって、ベテラン社員はわからないみたいなんですよね。
「あいつらは根性がない」で片付けちゃう。
こんな空気、多分この会社だけの話ではないと思うんですよ。
そりゃあ少子化進むよなぁ
何でもかんでも失敗の責任を押し付けられるなら、誰も行動したがらなくなるでしょう。
子育てしている親御さんを「子持ち様」とか揶揄するような空気が普通になったら、そりゃあ誰も子供を育てようなんて思わなくもなるでしょう。
もちろん少子化の要因は他にもあるのでしょうが、この空気感もかなり影響しているでしょう。
僕は稼ぎもないし、結婚したのも遅かったので、残念ながら子供を育てることはできませんでしたが、もし仮に金があって、早くに結婚できていて、子供を育てている当事者まであったら、殺伐とした世の中に絶望していると思うんですよ。
この安易な、考えを持たずに責任を押し付け合うだけの自己責任論を正しいとする気味の悪い空気を、誰もが変えていかないと、多分早晩日本という国はダメになってしまうんじゃないかと、若干ですかまだ真面目に心配しています。
あと、人生をリスタートする人に対して穢れの意識が強すぎる空気も、何とかして欲しいものです。
犯罪者が更生施設での「お勤め」を済ませて、社会に復帰しようとしているタイミングで、世の中から弾かれてしまうなら、再び犯罪に手を染めてしまう可能性もドンドン上がってしまうでしょうし、社会に絶望してしまって自死する可能性も出てくるでしょう。
犯罪に手を染めることは、当然悪いことですが、必ずしも悪意だけで犯罪が行われるわけでなく、貧困から窃盗を行うケースもあるでしょう。
そうした相手に脳死で自己責任論を押し付けても、何ら解決しないのです。
願わくば
僕は思うのですが、もっと他者に優しくなれる社会の空気があれば、少しくらいは子育てを試みる人が増えてくるんじゃないかなと。
社会を支えている労働は確かに尊いですし、大切なことです。
でも、次の人たちが育たないことには、社会は維持できないでしょう。
そこはやはり「お互い様」であって欲しいと思うんです。
世の中は高齢化がどんどん進んでいくというのに、若い世代やその先の世代が割を食うのうな世の中になっては、誰も子供をそだてなくなるでしょうから、早晩国は滅ぶでしょう。
だからこそ、お互いが譲り合って、できる限り生きやすく育てやすい世の中になって欲しいなと、思ったりするんです。
ま、老い先短い上に、物知らずな僕が言ったところで、何の説得力もありゃしませんが。
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