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「話を聞く」と「言うことを聞く」の違い

赤羽雄二さん『自己満足でない徹底的に聞く技術』で書かれている
アクティブリスニングを実践中の畑中です。

夏休みの最終日、小6長男に、「今年の夏休みを漢字1文字で表すと?」とお題を出してみました。

私には、彼は、毎日遊んで楽しんでいるように見えたので「楽」や、昆虫にどっぷりはまっていたので「昆」の一文字が出るかな?と想像していたら、

小6長男:「うーん、『実(みのる)』だな」

わたし:「へ~、『実(みのる)』?!」

小6長男:「うん。なんか充実して、たくさんのことを楽しく吸収した気がする」

わたし:「そうだんだね~」

今年の夏休みは、「極力、指示・命令・確認を手放して、ほったらかして、アクティブリスニングを徹底する」をテーマに臨んでいました。そんな夏休みの最終日に、私にとっても『実(みのり)』あるひとことが聞けて、なんだか、うれしい瞬間でした。

・1日をどう過ごすかも、
・友だちとどう過ごすかも、
・友だちの誘いにのるかどうかも、
・誰とどの映画を見に行くかも、
・昆虫は何を飼って、どう飼育するかも、
・いつ昆虫採集に行くかも、
・お昼に何を食べるかも、
・お小遣いをどう使うかも、
・塾にいつ行くかも、
・夏休みの自由研究は何にするかも、
・夏休みの宿題をいつするかも、
・何時に起きて、何時に寝るかも、

自分のことは、自分で決めて楽しそうに過ごしている小6長男を見ているとこちらがうらやましくなるほどでした。

親としては気になる夏休みの宿題も、ガミガミ言わなくても自分のペースで仕上げていました。

ほったらかして、アクティブリスニングを徹底すると、「いい子」「素直な子」「親が望む子」ではなく、自分が何をするかしないかを、自分で決められる子になっていくようです。

とはいえ、子どもの「やりたい」「やりたくない」ばかりに従って、生活していたら、わがままになるのでは?と心配になったり、子どもの言うことばかり、聞いていられないと思ったりするでしょうから、今回は、「話を聞く」と「言うことを聞く」の違いについて、書いてみます。

子どもの話を聞くとは

例えば、仕事がある日に、「子どもが学校を休みたい」と言い出し、「今日、お母さん、一緒に家に居てくれない?」と頼まれたとします。

子どもからこういう話が出たときは、子どもの話を聞く=子どものお願いを聞くではないことをよく知っておく必要があります。

「子どもの話を聞く」というのは、子どものお願いを聞くか聞かないかを判断し、ただちにどう行動するかを考えることではありません。

まずは、子どもの思いを受け取ることが、「子どもの話を聞く」という行動です。

「学校を休んで家にいるから、お母さんも一緒に居てほしいだね」とか、
「一人では、居たくないんだね」とか、
「いつもは、一人で過ごしているのに、どうしたの?」とか、まずは、子どもの思いを聞きます。

その上、「一人だと、寂しいよね」とか、
「お母さんも、〇〇ちゃんと一緒に居たいよ」とか、
「こんなときは、お母さんも仕事を休みたい!でも、急に休むことはできないから、できるだけ早く帰って来るね」などこちらの思いを返せば、子どもの言うことは聞いていないけれど、子どもの話(思い)は聞けています。

子どもは、仕事に行かなければいけない親に「一緒に居てほしい」とお願いすれば、親を困らせることはわかっています。その上で、自分の本当の気持ちを話してくれているのです。

だから、こうやって本音を話してくれたことや、甘えてくれたことに「〇〇ちゃんの気持ちを話してくれてありがとう。気持ちを聞かせてくれて、なんだかとっても嬉しいよ」などが伝えられれば、次も、子どもは自分の本当の気持ちを話をしてもいいんだと思えて、安心します。

子どもの話を聞いて、ただちにどう行動するかを考えると、
「仕事を休んだ方がいいのか」とか、
「しばらく仕事を辞めて家に居た方がいいのか」とか、
自分がどうするのか?に意識がいきがちです。

でも子どもの話を聞いて、自分が何かしなくてもいいのです。
何もしなくても、子どもは話を聞いてもらえれば、それだけで子どもは元気になっていきます

noteの「スキ」で、出会った物語

私は、自分のnoteに「スキ」をしてくださった方が、どんな方なのか興味があるので、その方のnoteを読ませてもらっています。

そんなつながりから、先日、こんな一つの物語と出会いました。
今回のテーマ「聞く」と「言うことの違い」についての学びがありましたので、シェアします。


【僕が本当に母親にしてもらいたかったことは何か】

母親にしてもらいたかったことは、これだと気付いた。「要求の拒絶」と「感情の受容」だ。
例えば僕が夜遅くに「ゲームを買ってこい!」と言ったときに、

「お金も高いし、夜は寝る時間なくなるからいかない。その偉そうな態度も傷つくからやめて。」とキッパリと拒絶してほしい、ということだ。大人が、大人に対してとる態度と同じように接して欲しかった。そして話ができるくらいに落ち着いたとき、「急にあんな言い方されて驚いたよ。何かあったの?」と、対話をしようとしてほしかった。

これは、要求を拒絶して、気持ちを受容する行為だと思う。嫌なことには嫌と言って、同時に「あなたの痛みを知りたい、あなたの怒りや悲しみを教えて」という態度をとって欲しい、ということだ。能動的に、傾聴してほしい。その態度は人を癒す。
僕は「ワガママ」を受け容れてほしかったんじゃない。ワガママを言う「気持ち」を受け容れて欲しかっただけだ。

なんなら、「ワガママ」に対しては否定して欲しかったんだなとすら今は思う。叱ってもらいたかったのだ。

『あなたのしにたいは、どこから?』 著:トリ(一部抜粋)

表面的な言葉や振る舞いの内部にある、子どもの思いを聞くことの大切さを覚えておきたいですね。

言葉や振る舞いで表現している子どもの「言うこと」を聞くことと、「子どもの話(思い)を聞く」ということは、ぜんぜん違うことなのです。

怒鳴ったり、叩いたり、物を壊すのいけない行動だけど、あなたがこれまで辛い思いをしてよく辛抱してくれたことや、大切に思っていることが伝われば、子どもの退行行動の目的である親に甘えて自分をそのまま受け入れてもらえる体験になるのです。

まずは、自分が子どもの話を徹底的にアクティブリスニングして、家庭を安全基地にしておけば、こういった子どもの生きづらさの未然防止になります。

大きな社会変革は起こせなくても、半径5メートルの大切な人たちにアクティブリスニングをすることで、世の中の好循環が生み出せます。

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