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臨床家と臨床研究の距離

近年の臨床研究手法は凄いスピードで進化していて、多くの臨床家にとって遠いものになりつつあるのではないかという気がしています。これは大規模データベースの登場、マルチモダリティデータ(テキスト、画像、遺伝子…)、疫学生物統計学の発展、AIの登場など複合的な要因がありますが、この傾向はますます加速していくでしょう。

臨床研究を行っている人の中には「少し前までは、これくらいのデータでこういう研究でもそこそこのジャーナルに掲載されたのに、今では通用しない…」という経験もあるのではないかと。

特に観察研究の発展は著しく、読んでも研究手法どころか、そもそもコンセプトが理解できない、という事もありえます。例えば合成コントロール法(e.g., synthetic control method)、動的治療計画(dynamic treatment regime)、治療効果の異質性(heterogeneous treatment effect)など、初見だとコンセプトが難しいし、具体的な解析手法に至ってはほぼ理解不能なケースも。

とはいえ、大事なのはなぜその手法を用いる必要があったのか、という研究の背景と目的なので、臨床研究における目的を知りたい方は下記を是非。

CMはさておき、近年では、抄読会・ジャーナルクラブで若手の先生が一生懸命最新のJAMAやBMJの論文を読んでも、そこに至るまでの文脈を理解するのが容易でない上に、手法に詳しい人がいないので、「それで、何をどう考えればいいの?」となってしまい、直感的で理解しやすい臨床的な研究の方が良いと捉えられがちになるかもしれません(昔もそうだった気もしますが)。人によっては「知らない間によく分からない大きいデータベースが出てきて、小難しい解析をしてるからよく分からない。結局RCTやらないと分からないだろ」という声もあるのではないかと(僕は半分同意半分不同意)。しらんけど。

ちなみにTwitterやML、あるいは書籍の文献紹介を読んでいても「ん?これはちょっと誤解がありそう」「この論文の重要性はそこじゃないのでは?」ってことは時々あります。

この「小難しさ」は、パズルのピースがだんだん細かくなっていっている感覚に近いのかなと思います。昔は100ピースの話だったのが、1000ピースのパズルになって、全体像が見えにくくなるからシンプルな話が望まれるようになってしまう。しかし、研究者はより高精細なものを求める上に上記の条件により1000ピースが3000ピース、10000ピースとなって、ますます何をしているのか分からなくなって、臨床家との距離が遠くなっているような印象です。

また、爆発的な論文増加もあって、知見を統合するためのシステマティックレビューやメタアナリシスの重要性は高まっていると思いますが、一方でprecision medicineと呼ばれるように個々人レベルやsubpopulationの効果を求める研究が増える中で、統合することはどれくらい意味を持つのかという気持ちもあり。

(20230606追記:むしろHTEなんかの個別研究を単独評価するのは危険であり、メタアナリシスが必要とご意見をいただきました。確かにその通りだと思います。)


正直、研究手法を臨床家が理解するのが困難になりつつある時代の中で、AIもそうですが、black-boxはblack-boxとして受け入れれば良いのではないかと思います。そのために査読者がいると割り切った方が多分話が早い(これは先日のセミナーでも少し話になりました)。ぶっちゃけロジスティック回帰だってちゃんと理解している人は多くはないですし、難しい研究手法は往々にして多くの仮定も必要なので机上の空論になりがちではあります。ただ今後も、数年かかるRCTに比べて観察研究が指数関数的に増加するのは火を見るより明らかだと思います。

(20230606追記:Black-boxとして受け入れることで不正が増加するとの指摘をいただきました。こちらもその通りかと思います。読者が批判を辞めたら不正は広がるであろうことは確かに。一方、臨床医の理解が追いつかなくなっている状況はどうしたら良いのか自分ではまだ考えがまとまっていません)。

あとは「なぜその論文がその雑誌にアクセプトされたのか?」は大事な視点なので、今の時代だからこそ、よりeditorialを読んだ方が理解が深まるのかなと。

そういえば僕は某救○医学会で「50年後の臨床研究」というシンポジウムがあったので「50年後には臨床医は臨床研究をしていない」というテーマで出したのですが、不採択でした。生きてたらどうなっているか知りたいところです。

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