繊細さんは高い所が苦手
繊細さんの私は、苦手な場所や避けたいシチュエーションが非常に多いが、その中でもトップクラスに挙げたいのが「高所」である。
高所というテーマで10個以上の記事が書けるのではないか…と思うほど、心が強く反応してしまうのだ。
小さい頃はあまり高所に抵抗は無かったが、幼稚園の時にご近所さんの塀に登って遊んでいた所、塀から落ちて肩の骨を折った。
驚きと痛みで大泣きする私の声を聞きつけた心優しいご近所さんが私の母に連絡し、母が迎えに来るまでずっと私を慰めてくれた。
この経験で、私の幼心には「高い所に行くと怪我をする」「自分が怪我をすると、色々な人に迷惑をかける」という強固なルールが根付いた。
もともと繊細な気質を持っていた私にとって、この思い込みは何十年経っても揺るがないものになってしまったのだ。
これを読んで下さっている皆さんの中には「高い所が苦手な人の方が多いから、そこまでネガティブにならなくても大丈夫だよ」と言ってくれる優しい人がいるかも知れない。
だが、皆さんがイメージする高所と、私の高所は次元が違うのだ。
私が言う高所とは「脚立の二段目以上」のことである。
ただ、頑丈な立方体の土台であれば70~80センチ位までの高さならギリギリ耐えられると思う。
要は「脚立」を信用できないのである。
脚立の足の細さと隙間だらけの踏み板というシンプルな作りを見るだけで足がすくみ、自分の全体重を預けることが出来ないのだ。
登った途端、開き止め金具の薄い鉄板が「バーーーン!」と外れ、脚立もろとも地面に叩きつけられる自分の姿を想像してしまうのである。
また、目の前に脚立に登っている人がいたら(何かあったら、すぐに救急車を呼ばねば)と、自分の服のポケットの上からそっと携帯の存在を確認した事も、数え切れない。
もちろん、今まで一度たりともそんな状況に出くわした事は無い。
世の中の脚立がそんなに脆い商品であれば、とっくに裁判沙汰になり、世の中から消えているであろう。
ただ、この恐怖は理屈では無いのだ。
もしもメーカーの方が、脚立の仕組みや安全性を私に力説してくれたとしても、八方美人の私は「そうですか。それは安心しました」と納得したフリをしつつ、その後も脚立に乗らない日々を過ごすであろう。
そんな私が一人暮らしをしていた時に恐れていたのは、部屋の電球が切れる事であった。
リビングと寝室の場合は電球が切れても頑丈な椅子に登って何とか交換できるのだが、問題はトイレだ。
トイレのような狭いスペースに椅子を運び込むのは難しいし、例え椅子に乗れても電球に手が届くと思えないほど高い位置にあったのだ。
私が住んでいたアパートの大家さんは遠い場所に住んでいたので、すぐ頼れる人も居ない。
そもそも、トイレの電球が切れただけで大家さんを呼びつけて良いのかどうかすら、世間知らずの私は判断できなかったのである。
そこで私は、良いことを考えついた。
トイレの扉を開けて用を足せば、部屋の明かりが入ってくるのでトイレの電気を点ける必要がないのだ。
どうせ部屋の中には一人しか居ないし、この状況に慣れるとトイレ空間の閉塞感も無くなるので、意外と快適だという事にも気付いた。
トイレの電気を使わなければ、電球が切れる事態を避けられるので、一石二鳥なのだ。
むしろ、トイレに電気なんか無くても良いのではないかとすら思えてきた。
そんな自由な一人暮らしを満喫した数年後、結婚して夫と暮らす事になったため、さすがにトイレで用を足す時は扉を閉めるようになった。
ただし、夫が出張などで不在の日は、扉を開けてトイレに入り、一人暮らしだった時の習慣を少しだけ懐かしんだりしている。
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