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繊細さんは泣き上戸

私はとにかく涙腺が弱く、すぐ泣く。
悲しい時はもちろんだが、腹が立ったり嬉しい時でも涙が出るので、何らかの感情が揺さぶられると涙腺が反応するのだと思う。
そして繊細な私は感情が揺さぶられやすいので、結果的にしょっちゅう泣いてしまうのだ。

「あなたに~会え~て本当に~良かった~♪」と、小田和正の歌声が流れる十数秒のCMを見ただけで号泣するのは日常茶飯事だったが、ここ数年で私の涙腺は更に進化した。

YouTubeの動画で、ぬか床を混ぜるお婆さんの背中に猫が乗っている愛おしい光景に涙した私は(涙もろさに拍車がかかってきたな)と自覚し始めたが、極めつけは数週間前のこと。
通勤途中の弁当屋の壁に貼られた【期間限定!かにめし販売中!】のポスターを見た時だった。

私の心の中に(蟹って、本当に美味しい食材だよね…生まれてきてくれてありがとう…)と、急に蟹に対する感謝の気持ちが高まり、私は路上でスーッと静かに涙を流した。
ハッと我に返って涙を拭い【私の涙腺は、どのベクトルに向かってゆくのだろう】と半ば呆れつつ、濡れたマスクを取り替えて職場に行ったのである。

このように私が勝手に感極まって一人で泣くのは勝手だが、職場などでも泣いてしまうのは厄介だと思う。
仕事のミスなど個人的な理由で泣くことは殆ど無いが、職場で私が最も苦手なのは【誰かの退職】というシチュエーションだ。

もちろん、大好きな人が仕事を辞めるのは淋しい…と思うのは自然な感情だと思う。
ただ、大多数の社会人が淋しさをグッとこらえて別れを乗り越えているのに、気付くと真っ先に私が嗚咽しているのだ。

下手したら、退職する当人よりも泣いてしまうので、人によっては(アイツ、私より泣きやがって何なんだよ…)と不快な思いをさせているだろうと、自分でも辟易している。

ただ、一昔前の私は「そんなに交流が無かった人との別れ」にも号泣していたのだが、この部分だけは改善の兆しが見えてきた。

そのキッカケは、十数年前のこと。
私の職場に、定期的に訪問してくれる業者のAさんという男性がいた。
彼はとても愛想が良い人で、時間がある時は私や同僚達と雑談をしてくれた。
好きな食べ物や、よく見るテレビなど他愛もない話を数分する程度の薄っぺらい交流だったが、ある日Aさんが職場に顔を出した時「皆さん。実は僕、X市に転勤になりました。大変お世話になりました」と挨拶してくれたのだ。

私は(X市…?人口が少なくて過疎化が始まっている、あのX市に転勤?雪が多くて気温が低いし、たいした名物や観光名所も無いのに地獄じゃん!)と、ネガティブな感情で一杯になった。
※X市に対するイメージは、私の勝手な思い込みである。

もしかしたらAさんは、新天地での転勤を前向きに捉えていたかもしれないのに、私は勝手にAさんが気の毒だと思ってしまい「今まで…本当にありがとうござ…ウウッ…お元気で…ヒック」と、お礼の挨拶をしながら泣いてしまったのである。

Aさんは「えっ…?…いえ、こちらこそ…ではどうか皆さんもお元気で」と明らかに困惑しながら早々に部屋を退出し、私は職場の同僚から「繊細ちゃんって、Aさんのこと好きだったの?」と聞かれてしまったのだ。

驚いた私が「違うよ!別にAさんのことが好きとかじゃなくて…遠い土地で仕事するなんて不安だろうと思っただけで…」と必死に弁解すればするほど同僚は「またまた~!好きじゃなかったら、そんな心配するはず無いじゃん!」と、笑いながら自席に戻ってしまったのだ。

同僚が誤解するのは、当然だ。
私だって、もし同僚が異性との別れで涙を流していたら(あらあらまあまあ…恋してたのねぇ♪)と思い、ニヤリとしてしまうだろう。

私はあまりにも気まずく、非常に恥ずかしくなった。
そして、そんなに交流の無い人との生き別れに強く反応するのは止めようと心に誓ったため、その後は同様のシチュエーションがあっても、目が潤む程度で抑えるようになってきた。

だがやはり、交流があった人との別れはまだ大の苦手で、そこは克服できていない。

そして1点、懸念材料がある。
実は今月末、私の大好きな同僚が退職するのだ。
ひっそり静かに退職したいと思っている彼女からは先日「繊細ちゃん。お願いだから泣かないでね」と言われた。

私は「分かった。泣かないように頑張る」とは言ったものの、まるで自信が無い。
いっそのこと、彼女の事を嫌いになれれば泣かずに済むのかもしれないが、とても優しく楽しい人なので、嫌いになんてなれるわけがないのだ。
彼女の願いを叶えるためには、今からたくさん泣いて、今月末までに涙を枯らそうと思っている。

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