
「日本のデザインを変える」tacto板倉の目指す未来。
tactoは「日本のデザインを変える」という創業者の考えから設立した、デザインファームです。
tacto共同創業者でデザイナーの板倉隼はアメリカでデザインを学び、約10年現地でデザイナーとして活動したのち、「日本のデジタルデザインがダサい」という危機感から帰国を決意。
そこにはどのような想いがあるのでしょうか。
板倉の過去と今、そしてtactoで目指す未来について聞いた、約1万字のロングインタビューです。
tacto株式会社 Co-Founder / Creative Director
板倉 隼
20年間、アメリカのシアトルで生活。アメリカではシアトルに本社を持つ、Deloitte DigitalのCreative Directorとして、様々なビッグクライアントのデジタルトランスフォーメーションを手掛けた。日本のデザインを変えるべく、2017年に帰国。2020年に共同代表の中島と共にtacto設立。
アメリカに渡った理由
——板倉さんは高校からアメリカですよね。渡米のきっかけは?
祖母です。祖母はアメリカ生まれの日系二世。戦後から日本で生活していましたが、高齢でしたし、親戚も全員アメリカにいたので、連れて帰ることになりました。
ただ、中学3年生だった僕は全然行きたくなくて。英語は話せないし、海外にも全く興味がなかったので、無理矢理連れて行かれた感じでしたね。
——実際に行ってみて、どうでしたか?
最悪でした。ベルビューというシアトルの隣街に住んでいましたが、当時は日本人を見たことがない人がほとんど。歩いていたら物が飛んでくるような環境で。
学校もアジア人は少数で、日本人は数人。言葉はわからないし、アメフト部のでかいアメリカ人から嫌がらせをされるし、一緒に行った姉は「もう無理」と半年で帰国したくらいです。
その頃母が病気になり、働かなければいけない事情ができたこともあって、僕も高校をサボってバイトばかりしていました。
——そのまま約20年間アメリカで過ごしたわけですよね。なぜ帰国しなかったんですか?
消去法でしたね。
母は僕が18歳の時に亡くなり、その後進学した短大を卒業する頃には祖母も亡くなりました。そのタイミングで帰国しようと思えばできたけど、すでにアメリカに来て約7年たっているわけです。
日本とはあまり連絡をとっていなかったし、今更帰る理由もない。とはいえアメリカにいるのも不安。どうすりゃいいんだろうという感じでしたが、今はアメリカにいるし、とりあえずこっちの学校行くか、っていう。
そうして選んだのが、芸大でした。
——芸大を選んだ理由は?
手に職をつけようと考えたのが大きいです。
明確なやりたいことはなかったけど、当時バンドをやっていて、ポスターやCDジャケットのデザインを作っていました。ライブハウスでポスター作りのバイトもしていて、楽しかったんですよね。この方向性なら興味あるなと。
思い返せば、芸大に入ったくらいから、その後もアメリカで生活することを決めたのかもしれないですね。「卒業後はそのままアメリカで就職するだろうな」くらいに考えていたと思います。
——芸大での勉強はどうでしたか?
つらかったです。ノウハウを学ぶのは面白かったけど、1年もすれば「自分のクリエイティビティで何を作るか」が求められる。そこからが大変でした。
ものを作り、それを自分の言葉で説明するには、高度な英語力が必要です。周りのアメリカ人が当たり前のようにできることが思うようにできず、壁にぶち当たりましたね。その時点で10年ほどアメリカで生活していましたが、それでも英語力は足りなかったです。
アメリカでのキャリア
——卒業後の就職は?
パッケージデザイナーを目指して就職活動をしたものの、結果は全滅。パッケージとは全く関係ない小さいアジア系の広告代理店に入りましたが、つまらなくて2カ月で退職しました。
その後、Microsoft『Xbox』のコントローラーやキネクトなどを手掛けたインダストリアルデザイン会社に転職し、2年ほどパッケージングや商品ロゴなど、ブランディングやマーケティング周りを担当しました。
——念願のパッケージデザインはどうでしたか?
思ったようなパッケージは作れないことがわかりました。
僕は芸大の卒業制作で「白」をテーマにした論文に基づき、真っ白なところに光を当てると影によって3Dで文字が表れる作品を作り、仕掛け付きの箱から飛び出すレジュメとともに発表しました。そういうギミックが好きだったんですよね。

でも、普通のブランドのパッケージは何の変哲もないじゃないですか。それはそれで美しいけど、僕がやりたいのは違ったんです。
一方、当時は派手なFlashが流行っていて。デジタルの方が自由度が高くて楽しそうだと思っていたところ、IdentitymineというMicrosoftの下請けをメインにした会社からヘッドハントされ、そこで初めてデジタルを中心にデザインをやることになりました。
ちょうどiPadが世に出たくらいの時期で、入社後はスマートデスクというテーブル型の大型ディスプレイデバイスを担当し、その時代では初の24箇所同時タッチ検出可能、圧力センサー付きというケーパビリティをアピールするためのアプリ開発に携わりました。
エアホッケーのゲームのGUIや、粘土を押したり、引いたり、伸ばしたりして形を作るアプリのUIを担当し、こういう使い方もあるんだなと、デジタルの可能性を感じましたね。
——その次がDeloitte Digitalですね。どのような案件に携わっていたのでしょう?
主にビッグクライアントのデジタルトランスフォーメーションを手掛けていました。
例えば大手ディスカウントスーパー『Target』のアプリでは、ストアモードを作りました。ストアモードとは、実店舗に行くとアプリが切り替わり、どこにどの商品があるか探せたり、自分の買い物リストを元に経路を出してくれたりと、店舗でのショッピング体験の向上を目的とした機能です。
同じくリテールだと『Tiffany & Co.』や『Cartier』、スポーツ衣料の『lululemon』、他にバンク・オブ・アメリカやJPモルガン・チェースなど銀行系も担当していました。
あとは、MR(複合現実)系のプロジェクトにも携わりましたね。
例えば、ガス工事の作業員は安全性のために作業中は両手が使える状態でいなければいけません。そこでAR技術を用いてGoogle Glassで作業をしながら手順を確認できる方法を考えるなど、未来感のあるプロジェクトにも関わっていました。
アプリやウェブサイトにとどまらず、かなり幅広くやれたのは面白かったですね。
帰国のきっかけ
——その後、約5年間在籍したDeloitte Digitalを辞めて日本に戻ります。何かきっかけがあったのでしょうか。
実はDeloitte Digitalに入った頃から、アメリカを出ることは考えていました。
デザインの仕事を続けていきたかったので、先のキャリアを考えてヨーロッパへ行こうと思ったんです。特にスイスのデザインが好きだったので、そっちのデザイン会社に行けたら面白そうだなと。
そのためにはアメリカでクリエイティブディレクターを経験した方がいいと考えたのですが、実際にそこまで行くのに5年ほどかかりましたね。
——最終的にヨーロッパではなく、日本に戻る選択をしたのはなぜですか?
日本のデジタルデザインがダサいと思ったからです。
Deloitte Digitalには世界中の人がいますが、日本人デザイナーは僕だけ。みんなでリファレンスを出す時も、日本のデザインは一切上がってきません。プロダクトは何度か見ましたが、デジタルデザインは5年間で一度も見なかった。
ふと不思議に感じて日本のデジタルデザインを見てみたら、驚くほどダサかったんです。アプリも信じられないくらい使いにくい。
日本のアニメ、ゲームは世界的に評価されていて、特にゲームはデジタルデザインの一つです。それなのに、なぜアプリやウェブサイトがこんなにもダサいんだろうと。
これはヨーロッパに行っている場合じゃないと思い、日本のデザインを変えるために2017年、帰国することを決めました。


——板倉さんが感じたダサさは、具体的にはどういうことでしょう?
今はだいぶ良くなっていますし、もちろん素晴らしいデザインもたくさんあります。日本のデザインは緻密ですし、細部までこだわるのは日本人デザイナーの良いところです。
ただ傾向として、ユーザーのことを考えられていないものが多いように感じています。
作り手のビジネス視点が強く、ユーザー側はどこをどう見たらいいのかわからない。全ての情報が1箇所に凝縮されている、パンパンなデザインが散見されます。
日本は美しいものづくりをする国であり、空白の美という価値観もある。日本の国旗なんてスーパーシンプルじゃないですか。それなのに、なぜデジタルデザインには空白がないんだろうと。
侘び寂びや禅などの感覚は持っているはずなのに、そういった日本の良さがデジタルデザインでは全く生かせていない。それがどうしても納得できなかったですね。
——デザインに限らず、日本はユーザー視点を見失うことが多い気がします。なぜだと思いますか?
主観ですが、固定概念が強いことと、人に合わせすぎる人が多いことが影響しているように思います。
アメリカでは「こうあるべき」は通用しないから、さまざまな場面で意見がぶつかり合うんですよ。「みんながこっちが良いと言っているから」ではなく、「あなたはそう思うかもしれないけど、私はこう思う」と各々が意見を主張する。
それが結果的に多様なユーザーのためになるし、意見をぶつけ合うことで別のより良いアイデアが生まれることもある。そういった化学反応が起きる強さがアメリカにはありますね。
tacto創業の経緯
——帰国後はtactoを起業する前に、博報堂アイ・スタジオで3年間働いていますね。
日本の仕事に慣れる必要があったのと、日本でのコネクションを作ることが目的でした。
実はDeloitte Digitalで日本の大手メガネチェーンのアプリ制作プロジェクトを手伝ったことがあり、その際に初めて日本人と働いたのですが、アメリカとの違いにびっくりしたんです。
良くも悪くもルール化されているから、型にはまり過ぎるあまり「今までこうしていたので」で進んでしまうところがある。そういった違いを感じていたので、自分を日本に順応させなければと思いました。
——実際に日本の会社で仕事をした感想は?
UXデザイナーがいないから、ワイヤーフレームを営業がパワポで描いているのがものすごいショックでした。
資料が説明的なことにも戸惑いましたね。アメリカでは直接社長にプレゼンをしますが、日本の場合は伝言ゲームのように下から上へ決裁を上げていくから、その分説明が多い。
官公庁の案件もやりましたが、企画書の紙のサイズやフォント、文字サイズなど、指定があることが信じられませんでした。クリエイティビティーを求めているのに、なぜクリエイティブを狭めるんだろうと。今でも疑問です。
——その後にtacto創業ですね。共同創業者の中島琢郎とはどういう出会いだったのでしょう?
知り合ったのは、前職の博報堂アイ・スタジオにいた時です。「面白いやつがいるから」と紹介してもらって飲みに行くようになりました。

——なぜ共同代表で起業したんですか?
もともと一人でやろうとしていたんですけど、飲みの場で盛り上がったんですよ。「会社やろうと思うんだけど、一緒にやる?」と聞いたら「やる」っていうから。こういうのはノリじゃないですか(笑)
——(笑)
結果的に、一緒に起業してよかったですけどね。
というのも、お互い得意領域が違うんです。彼は営業からストラテジー(戦略)に転身し、それ以後ストラテジー分野を中心に携わっていて、一方の僕はエグゼキューション(実行・表現)を中心に多くの案件に携わってきました。
ストラテジーとデザイナーのペアがいれば、ゼロからデザインのエグゼキューションまで一気通貫でできます。得意領域が異なる二人がペアになったことがプラスに働いたと思いますね。
tactoが目指すもの
——tactoはどういう会社を目指していますか?
見た目だけのデザインではなく、課題解決につながる強いデザインが作れる会社にしたいと思っています。
tactoのミッションは「Design the new pattern.(未常識をデザインする)」。
UXは人の常識をつくるものです。例えば「道」は歩くものですが、そうした当たり前はUXによってつくられます。
つまり「まだ見ぬ次の常識を定着させること=未常識をデザインする」ということです。
だからtactoでは単にデザインを作るのではなく、「誰に向けた何のためのデザインなのか」を考えるところからプロジェクトに入ります。デザインのコンセプトをしっかり作った上で、それに対して必要な機能を検討し、デザインに落としていく。
それを実現するには、既成概念に囚われないものの見方をすることが重要です。必要なのはパーパスでもある「Unlock Another Angle.(視点をほどく)」こと。
まっすぐの道と曲がりくねった道のうち、最短距離は前者ですが、後者にはきれいな花が咲いているかもしれません。一般的には早く目的地に着く方が良いとされていても、視点を変えれば遠回りの道も良い道になり得るわけです。
そして、どちらの道が最適かは、人によっても、タイミングによっても違うじゃないですか。
日本では「直線の道が良い」となったらそれしか受け付けないようなことが多い気がしますが、デザイナーには柔軟な発想が必要だと思っています。
——「視点をほどく」には、どうすればいいのでしょう?
いろいろな人の意見を聞くことです。できればプロジェクトメンバー以外の、概要を全く知らない人に「パッと見てどう思う?」を聞く。
それが「視点をほどく」こと。そこから別のものの見方を知ることができ、新たな発見が生まれます。
デザインを作っては意見をもらい、作ったものを壊し、また作る。その過程で多様な視点を取り入れることで、デザインは自ずと強くなっていきます。
そのための鍵は、スピードです。
「金曜までにデザインを1個作る」という依頼を月曜日に受けたら、完成度は50%でいいから火曜日にデザインを上げる。そうすれば、さまざまな人から意見をもらい、それらを踏まえてデザインをブラッシュアップする期間が3日は取れます。
たとえ素晴らしいフィードバックをくれる人がいても、締切間際では取り入れる時間がありません。
僕は一人で良いデザインを作れるとは思っていないんです。どれほど良いデザイナーであっても、一人では行き詰る。
特に今はデバイスやチャネルが多様になり、ペルソナなんてほぼ無意味。一人の主観でデザインを作ると、どうしても偏ったものになってしまいます。
だからこそ、人の意見を取り入れながらとりあえず作ってみて、駄目なら駄目で別のアイデアを考える。そういうスタンスが必要だと思っています。
良いデザイナーとは
——板倉さんにとって「良いデザイナー」とはどういう人ですか?
自分のデザインを守れる人です。自分の考えを貫き通せる人と言い換えてもいい。
僕が芸大で学んで一番よかったと思うのは、ディベートです。ディベートには正解がなく、相手の意見を予想し、それをどう切り崩すかを考えて話します。
その考え方はデザインにおいても重要です。
デザインについて「よくないと思う」「古くさい」など否定的なことを言われたとしても、論理的に跳ね返せれば、最終的に周りは何も言えなくなる。
それはつまり、そのデザインが強いことを意味します。
多様な視点から出た意見に対して「これはこういう意図です」と全て答えられたら、それはどの視点から見ても良いデザインだということ。
逆に言えば、めちゃくちゃかっこいいデザインであっても、デザインに関する質問に答えられなければ、それは薄いデザインということです。
そういう意味でも、視点をほどき、多様な意見を取り入れられる人の方が強いですね。主観だけだと、どうしてもデザインは薄くなりますから。
——どうすればデザインを守る力を身に付けられるのでしょうか。
自分で自分のデザインを説明する機会をつくることです。
tactoでは、デザインを作った人がクライアントへのプレゼンを行います。本来、作った人がデザインについて一番語れるはず。語れないとしたら、デザインへの考えが足りていないのだと思います。
もちろんデザイナーに責任を負わせるわけではないですし、何かあればフォローはしますが、自分が作ったデザインに対して、自分の想いをぶつけてほしいんです。
日本だと、デザインについてプレゼンをするのは上司や営業であることが多いですが、それでは守れるものも守れません。自分で戦うからこそ負けても強くなるのであり、デザイナーにその機会が少ないのは課題だと思っています。
他にも、tactoでは毎週デザインクリティークをやっています。デザイナーが作ったものに対して他の人が質問し、デザイナーはそれに答える。まさにデザインを守る力を付けるための会です。

——デザインを守る力に自信がない人も、まずは場数を踏むことが重要ですか?
そうですね。あとは、スピードだと思います。
僕がアメリカでやってこられたのは、誰よりも早く、多く、良いものを作ることに徹したからです。言葉の壁がある以上、守る力では勝てませんから。
繰り返しになりますが、早く作ればいろいろな人に意見を聞けるので、その分クオリティは確実に上がります。
たとえプレゼンで紹介するデザインが一つだったとしても、1週間で1個しか作っていない人と10個作った人では、プレゼンへの自信や裏付けも大きく違ってくるはずです。
——それは量をやることにもつながる?
量をやるのは重要ですが、ブランドカラーに合わせて色を決め、商品の写真を置いて……みたいなことを繰り返してもあまり意味はありません。
大事なのは、「誰にどう感じてほしいのか」「何のためのデザインなのか」というコンセプトを作る経験を積むこと。
それがデザインを守る力を育てますし、目指すべきゴールが明確であるほどスピードも上がります。コンセプトとデザインは連動しますから、コンセプトが固まっていれば自然とアイデアも浮かんでくる。
ただ、日本にはコンセプトを作るデザイナーが少ないように感じています。
全体の世界観のコンセプトはあっても、そこから派生した各プロダクトのデザインコンセプトはない。本来、アプリにはアプリの、ウェブサイトにはウェブサイトのコンセプトがあるべきです。
コンセプトは判断軸なので、デザインを作る過程で迷ったときの指針にもなります。それによって一つ一つのデザインに意味が生まれてくる。
また、クライアントとコンセプトの合意が取れれば、クライアントとデザイナーの間に共通の判断軸ができます。
以前担当した案件のクライアントはとても厳しい人でしたが、コンセプトを立て、それに基づいて説明をするようにした結果、プロジェクトがスムーズに進むようになりました。
判断軸がない中でデザイン案を見せられても、クライアントはどう考えたらいいかわからないじゃないですか。「なぜこういうふうに作るのか」が疑問なわけで、そこを明確にするのがコンセプトというわけです。
tactoが求めるデザイナー
——板倉さんがtactoで一緒に働きたいのはどういうデザイナーですか?
自分の意思を持って、諦めずに自分のデザインを貫こうとする人です。
「このデザインにはこういう意図がある」という強い意思がある人がtactoには合いますし、僕もそういう人から学びたいですね。意見をぶつけ合えば、もっと良いものが作れる可能性が生まれますから。
そういう意味では、自分のデザインに対するダメ出しを聞いて素直に直す人よりも、イラっとするぐらいの人がいいです。それだけ自分のデザインに想いがあるということですから。
なおかつ、それを口に出してくれる人が理想的です。
僕は「だったらコンセプトはこうじゃない?」「それならデザインはこっちがいいよね」といった議論を通じてパズルがはまっていく感じが、デザインの中で一番楽しくて好きなんです。
なので、ちゃんと意見を言ってもらえることに感謝をしながら、ぜひぶつかり合いたい。デザインついてケンカできるなんて、最高じゃないですか?(笑)
——お手柔らかにお願いします(笑)
それだけデザインに信念を持った人と仕事がしたいですね。もちろんデザインスキルは持っているに越したことはないですが、ただスキルを持っているだけだとtactoのデザイナーには足りない。
仮に翌日までに上げなきゃいけないデザインで行き詰まることがあれば、僕は朝まででも付き合います。本人が諦めない限り、そこはとことん付き合いますね。
人数が増えた時にどこまでできるかはわからないですけど、個人で完璧なものを出せる人はいないからこそ、できる限りやりたいです。
——なぜそこまでするのですか?
良いデザインを作りたいからです。tactoとして出すデザインは、自分が認めたものしか出したくない。
みんなで作り上げた誇れるデザインを世に出したいので、デザイナーがこだわる限り、僕も最後まで付き合うのが重要だと思っています。

あとは、同調圧力を乱すのではなく、同調圧力があることを理解した上で、意図的にそれを壊せる人と仕事をしたいですね。
僕は毎日ハットを被っていますが、スーツを着たデザイナーと、デザイナーらしい格好をしたデザイナー、どっちがワクワクするデザインを作れそうかといったら、絶対後者だと思うんですよ。
だから大手企業でのプレゼンでデザイナーが普通のスーツを着て、その会社のコーポレートカラーに合わせたネクタイを選んでいるのとか、勘弁してよ……と思っちゃう。
僕もハットやピアスを外せ、髭を剃れと言われることはありますけど、そういう同調圧力に逆らえるのがデザイナーだと思っています。
そして、デザイナーは服装に限らず、全てにおいてそうあるべきです。グリッドに従うだけでなく、時にそれを壊せる人がその先に進めるのだと思っています。
tactoでできること
——tactoには、どのような案件があるのでしょうか。
基本的にはUI/UXをメインに、ウェブサイトやアプリ、それらに基づくブランディングを行っています。たまにパッケージングの案件もありますね。
クライアントは日本の大手有名企業が中心です。大手自動車メーカーのスマートシティに関する案件、アパレルや宇宙ビジネス関連の案件など、幅広くやっていますので、飽きないと思います。
あとは、海外案件のチャンスもあるので、日本とはまた違う経験を積むことも可能です。
——守秘義務の兼ね合いで社名は出せないものの、tactoにはかなりの大規模案件やビッグクライアントの案件があります。創業4年目、従業員数7名という規模で、なぜこれだけの案件が取れるのでしょう?
Deloitte Digitalや博報堂アイ・スタジオからのつながりで、過去に一緒に仕事をした方からお声がけいただくことが多いですね。
自分で言うのもなんですけど、それだけ評価していただいているのだと思います。

——板倉さん自身は、デザイナーとしての自分をどう評価していますか?
まだまだですね。周りのデザイナーに負ける気はないですけど、特に最近はデザインの量が減っていますし、デザイナーとして境地に到達したかというと、そんなことは全くない。
デザイナーの世界は実力主義ですから、年齢ではなく、強いやつが強い。デジタルもどんどん変わっていくので、まだまだ伸びしろしかないと思っています。
だから、本当は現場にいたいんですよ。経営やマネジメントをしなければいけないけど、本音を言えばまだまだデザインをやりたい。
——改めて、なぜデザインが好きなんですか?
課題を解決するのが好きなんだと思います。
デザインは課題解決であり、そのソリューションの一つとして、ビジュアルデザインやUI/UXがある。それがハマって課題を解決できた時がめちゃくちゃ面白い。
例えば、tactoで手掛けている大手小売業の案件では、新しい購入体験の仕組みを作ろうとしています。
さまざまな立場の方がいるので、その中には反対意見もあって板挟みになる状況もありましたが、各意見に対するロジックを組み上げ、「このデザインがベストである」と提示し、無事プロジェクトを前に進めることができました。
全員の意見に対して「それだったらこうだよね」というのが通ったわけで、そういうロジックがハマった瞬間は超気持ち良いですね。
これは上流から入るゆえにできること。「もっと良いデザインをしたい」という想いがありつつもデザインに悩んでいる人にとって、コンセプトを作るところから入れるtactoは良い環境です。
本来、デザインは作れば作るほど面白くなっていくはず。その足がかりさえ見つけられれば、デザインはもっと楽しくなるんじゃないかと思いますね。
「日本のデザインを変える」とは
——最後に、tactoに興味を持ってくれたデザイナーに伝えたいことはありますか?
誰しも長所と短所がありますが、僕は短所を補うよりも長所を伸ばした方がいいと思っています。
ジェネラリストも素晴らしいですけど、僕はデザイナーはスペシャリストであるべきだと思っています。
「アニメーションが得意」「コンセプトが強い」など、何か一つでも特化して、尖った個性や自分だけの武器を持っている方が強いですから。
うちのデザイナーにも「自分の武器を作りなさい」と伝えています。それさえあれば、どこでも活躍できるはずです。
なので、現時点で尖ったものがある人はもちろん、これからそれを見つけていきたい人も大歓迎です。
——デザイナーとしての板倉さんの尖りポイントは何でしょう?
高速PoCを回せることです。何も決まっていない企画であっても、数時間でアプリの画面に落とせます。瞬時にデザインを出すのは得意ですね。
——反対に、短所は?
飽き性ですね。何年も同じことはできない。
あとは、実は人にやらせたくない。本当は一人が一番気楽です。「これやって」と人に渡したくないんです。
——それなのに、なぜ会社をやっているんですか?
「早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」というアフリカのことわざがありますが、まさにそれです。
一人では日本のデザインを変えられませんから。
みんなとやっていかなければ実現できないことであり、そこは今後僕が成長しなければいけないポイントです。そういうのもあり、共同創業にしたのかもしれないですね。
——どうなったら「日本のデザインを変えた」という実感が持てそうでしょう?
まだ考え中ですが、一つはデザイン留学先として日本が選ばれるようになること。
現状、デザイン留学先は欧米が中心ですが、「この国のデザインがすごいから学びたい」と思われるから留学に来るのであり、日本もその選択肢の一つになれれば「日本のデザインを変えた」と証明できるのかなと。
あとは、日本のデザインが世界に広がって、ベンチマークされることですね。「日本のあのアプリがよかったから、これをベンチマークして作ろう」といった事例を増やしたいです。
日本でも、すごくイノベーティブで素晴らしいデザインを作っている人はたくさんいますが、なかなか海外の賞は取れていない。
トレンドだって海外から来てるじゃないですか。日本に入ってくるのは1〜2年後なわけで、発信源になるくらいじゃないと、いつまでたっても遅れたままです。
——何年ぐらいで、そこに到達したいですか?
体が動かなくなるまでには。それだけ腰を据えてやらなければできないことだと思っています。次の世代に託すにしても、何かしらのきっかけは作りたい。
日本のデザインを変えるということは、現行のデザインを変えることを意味します。既存顧客を失う可能性もあり、不安があるのもわかる。
でも、日本には伝統的な美的感覚や独自の文化があり、アニメやゲームなど世界的に評価されているコンテンツもあります。
そう考えれば、デジタルデザインのポテンシャルは高いはず。
だからこそ、日本のデジタルデザインの現状はあまりにもったいない。この状況を変える足がかりを作るためにも、まずはtactoの知名度を上げて、日本のデザインを変えられるだけの力を手に入れたいと思っています。
Interview & Text by Natsumi Amano
Photo by Kaname Suzuki(tacto)