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電車に乗らなくなったなという話

外出自粛が行われるようになってから久しく電車に乗らない日が続いている。

思えば、高校までの18年間を島根県で過ごした身では、移動といえば自転車が当たり前であり、電車といえば半年に一度乗るか乗らないかといったシロモノであり、それも大阪に家族旅行に行った時などに乗るような、特別な日に乗るものという存在だった。

大学生になって愛車がママチャリから小田急江ノ島線に変わりしばらくすると、電車への漠然とした緊張感がだんだんとほぐれ、周りに乗車している他の客のことなどが少しずつ見えるようになってきた。
どうせ1時間は座って揺られなければいけない道中、寝るほど眠くもなく、携帯を眺める理由もなくなってくると、見飽きた車窓からの景色を他所に、乗客の会話などをなんとなく盗み聞いたり、これからどこかへ遊びにいくのであろう若者2人や家族を見てどこへ行くのやらと思ったり、電車内であろうと仲睦まじく過ごすカップルを見ては憎らしくも羨ましく思ったりなど、駅ごとに変わった様相のコミュニティを形成しながら移動する電車を、なんとなく楽しんでいた。電車が日常の一コマへと変わったあたりには、こうした電車の中での人間模様というか、ドラマを自分から探してみたりしたものである。

ただ、時には緊張するような瞬間に遭遇したこともあった。

いつだったか都内を移動する道中、座れないほどではないが比較的人の多い電車の中で、40代ぐらいだろうか、乗客の男が「あいつだ、あいつがストーカーだ」と丁度対角線の席に座る別の乗客を指差し熱り立っていた。周りも最初は何か事件かと思いその男に注目するも、「ストーカー」と呼ばれた若い男は席に大人しく座って読書をするのみである。男は怒る男のことを目線だけでチラと見ると、またすぐ読書に戻った。それを確認するやいなや、怒り狂う男は「ほらまたこっちを見た、あのストーカーが、気持ち悪い、殺してやろうか」と騒ぎ始める。その時点で周囲はなんとなく雰囲気を察して各々の時間に戻っていく。結局、読書をしていた男は次の駅で降車した。なんとなく本来降りたかった駅ではないような気がした。

また別の日、アルバイトから帰る道中だっただろうか。私がつり革を持って揺られていると、同じくつり革を持ち、口の周りに髭を蓄えた男がこちらに向かって何がしか大声で話始めた。
「いいか、(一頻り何か主張をしていたがすっかり放念してしまった)。このままではこの国はダメになるだろう。一体誰が、この国は、誰が舵取りをしていくというんだ、おい」
最初はてっきり僕が話をされている側かと思ったが、どうやらそうではなく、この男はこの電車に乗っている乗客全員に演説をしているようであった。乗客は皆そしらぬ顔で携帯をいじっている。鼻息を荒くして日本国の行末を憂う男の言葉が、カフェのBGMぐらいの存在感になったあたりで、男は喋りながら降車して行った。窓から覗く男の背中をよそ目に、女子校高校生か中学生か、制服姿の2人が「キチガイじゃん」とケラケラ笑っていた。

なんとなく考えることがある。「キチガイ」という言葉を聞くと、差別的な、排他的な、攻撃的なニュアンスを感じるが、公共の場で呼称される「キチガイ」は、人によって捉え方が異なるのではと。

例えばあなたが電車に乗っていて、目の前の乗客が、「うー」とか「あー」などの呻き声を断続的に出していたらどうだろう。何をするわけでもないだろうが、一瞬気になってあとは放念するような人がほとんどではないだろうか。
では例えば、同じく電車で何がしか訳のわからないことを叫びながら杖を振り回すような老人がいたとしたらどうだろう。同じく一瞬気に止めて放念する人もいるかもしれないが、中には「あれはキチガイだ」と思う人もいるかもしれない。

本来「キチガイ」とは「気違い/気狂い」と表記され、常軌を逸した行動などを呼称するものである。単に「普通から外れた行動」と解釈を改めるのであれば、「キチガイ」という呼称は回帰的に自分にとっての普通を決定していることになる。

あくまでも呻き声をあげるような人や奇声をあげるような人に対して「キチガイ」と呼称しない人は、それがその人自身の何か異常性によるものではなく、例えば精神疾患などの可能性を知っているために、すぐさま「キチガイ」と評価することなく「そういう人」として落とし込んでなんとなく放念することができるのだろう。精神疾患という仮説が正しいのかはともかく、そうした存在が広く認知されるにつれて、「キチガイ」足りうる対象は減ってきているような気がする。例え何か原因足り得る何かを知らなかったにせよ、「そういう人も世の中にいる」となんとなく腑に落とすことができるような人たちが増えているような気もし、社会を見れば少しずつ、寛容な心は育っているように思えたのである。

しかし昨今は人と顔を合わせることが減り、インターネット上の有象無象のような悪意に晒される人間がいたり、訳のわからない理不尽に振り回され、車に張り紙がされた、石を投げられたなどの話もあり、漠然とした人間への不寛容さが再発してきたような気がする。

早く電車に乗り、虚無を揺らす日々に戻りたいと思う。

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