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最強の家族写真

38歳にして初めてこどもを授かった。

妻と結婚してから8年間、同棲を含めると10年間もふたりだけで生活していたことが今では思い出せない、と言ったら嘘になるが、もう違和感を覚える。

赤ん坊が我が家に来てから3か月が過ぎた。そろそろ生後100日になる。彼女の一挙手一投足がいとおしい。いまだに妻と「うちに赤ちゃんがいるよ」としらじらしくも驚いている。この新鮮さはもうすこし長続きしてほしい。


立ち会い出産から日常の子育てまで、そのために買うんだからいいでしょと言い訳をたてて買ったSONYのα7 RIIIというミラーレス一眼で撮っている。出産は動画モードで、4Kで。レンズも大きいので看護師さんが若干引いていた。


先に父母になった友人たちがスマホでこどもの写真をInstagramにアップしているのを見るにつけ、まだ親になる前の頃の自分は「一生残る思い出なんだからいいカメラできれいに撮ってあげようよ」と思っていた。

余計なお世話だった。

いざ自分が子育てのさなかにいて、そこで見つめる日常のふとした一瞬を切り取ろうとすると、すぐ手の届くところにあるカメラはiPhoneなんです。

iPhoneのカメラロールに収まったこの子の顔は、一眼カメラの中の顔よりも若干ぶさいくで、笑える。必死な顔も眠そうな顔も、気が抜けてかわいい。

カメラは「ちゃんと撮ろう」と構えてしまっていたのだ。ファインダーを覗く行為がそうさせるとも言えるけど、はっきり言って自分がまだまだカメラを使いこなせていないだけだ。大学で写真を専攻していたのに。

スマホは上手く撮ろうという気負いがない。リラックスの境地。

ベッドで並んで寝たとき、横でバタバタはしゃぐ赤ちゃんを撮りたいと思った。そのときスマホで撮れるというのは、自分の親の時代にはなかった距離感だろう。こういう写真は僕のアルバムにはない。

カメラで撮る距離感、スマホで撮る距離感。
どっちがより優れているということはなくて。どっちも好きだし、これから外で遊ぶ機会が増えていけばカメラも持ち歩くだろう(レンズが軽い単焦点がいるが)。

スマホの気軽さも、神なのだ。
そして、一眼カメラももっと気軽に接したい。


きっと、大事なのは何で撮るかではなくて。家族写真なら、撮った先に印刷することがいちばん大事なんじゃないか。そう思ってこの三連休は出産から今日までの写真を印刷しまくった。

思えば浪人時代から撮りはじめた妻の写真も、見返す手段はプリントだ(当時はフィルムしかなかったというのが理由だけど)。きっとこの子も、大きくなってこの写真たちをアルバムの中から見返すだろう。

写真のある生活をもっと楽しむ、強い動機ができた。

今日も、「うちに赤ちゃんがいるよ」と驚きながら撮っている。

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