最近の作為的に抽出されたメモ
2023/03/21
巷に言われるような恋愛は、俯瞰で見ると資本主義経済であり、主観的精神としては演技にすぎない。「モテポイントの交換」
自分をそのまま受け入れてくれる人は、おれの人生を見ても1人だけいたような気がするけれど
それも本当かは確かめる術もない。
バキ童は面白い。人は人のキャラクターを見て話して、恋愛をしているという。そういう点では、人を相手にしていても擬人化を愛しているわけで、キャラクターや動物を恋愛対象として見る人となにも変わらないじゃないかという指摘である。これは私がいう「演技」に該当する部分である。モテそうで相手が好きそうなキャラクターを演じる、作り出す。そしてそれを愛させる。おれがやっているのはその繰り返しだと思う。
でも役から降りないやり続ける
そうしてその演技を誰からみても本性にしか見えないようになるまでやり続けて、第三者から事実にする。そうして何かを得る。そのために降りない。
自意識を強めて強めて突き詰める。情けないとかで片付けない。どう見えてるかをどこまでも気にする。
2023/06/21
幸せそのものを求めていない。それよりも、意義を求めている。意義を求めて、それに悩み自らの理論立てた答えを出して行動していくことを何よりも重視するようになった。それが結果的に幸せだろうと言われたらそうかもしれないが、漠然とした幸せの形そのものに囚われて求めてはいないと言える。
生きる意味の哲学対話でベテランちがいっていた、自分の中に神を作り、自分で自分の人生がなんなのかをつくっていいのが面白いと言っていた。その点で言うと、おれはもう自分への使命というか、自分の人生がなんなのかということを自分に提示しつつあるなと思っていて、それは幸せになびかずに、自分の人生の数々の選択に対する明確な理論を立ててそれにしたがって行動するという、そして生きる意味やそれに付随する意義を作り出すという、循環的な構造をしていることに気づいた。つまり、細かな生きる意味を作り出し続けることを大きな生きる意味にしているわけだ。いやでも、なにか意義を作り出し続けることを生きる意味としている。自分の場合は、意義は自分のこの視点と理論を布教することにあるとも思う。広めたい、と思うのはそういう意義になっているのだろう。
ある意味強者になりつつある。
情報量をどれだけ与えるか、ということが一つ大きい価値になることを念頭に置いておきたい。熱量が魅力的なのは、熱量はエネルギーであり、エネルギーがあればあるだけ情報量の増加そのものになるからであると思う。熱量がそのまま情報量を担っている。
2023/06/29
自由形と言いつつも、平泳ぎ背泳ぎでもなくクロールが蔓延する。自由というものの中では結局強さを強要されるから別にイデア的な自由ではないわけで。資本主義もそう。競争が生まれるからさ、でも孤独だったら意味がないから。競争も孤独も。
2023/07/25
終電間際、急に来てと呼ばれて、4000字レポートを残しているからやめようと思ったが、ふと頭で「若さ」の再興をしたいと明確に思い立った。自分のわずかに残るバイタリティを確認できた瞬間だった。ダッシュで渋谷行きの最終電車に乗り込む、このフットワークは軽さを感じさせるし、この若さにすべての重きを置いていた時代、つまりこの若さが活動の大きい原動力になっていた時代であり、中高の感覚を思い出して、徹夜明けで死にかけていたのに良い気分になっていた。
おおよそ今は全てになんの意味があるのかと思う。それだけの感情しかない。自分がいきていくのかもよくわからない状態で、持続するような、持続を見越したような活動も行って、軸はぶれてばかりだし、死ぬならば終活をするべきだろうし、持続を見越すなら未来への投資をすべきだし、このどっちつかずで甘えた現状のまま、行動が先んじたり、頭が先んじたりして、往復が行われず、独立した先んじ合戦が始まって、そしてその混沌としている一貫性のなさに対しては意味ばかりを考えてしまう。終わるべきなんだろうなと思うけど、あの感慨も精神痛ももうやってこない可能性が高いし、仮にまたやってきた時こそ死ぬべきなのかすらもわからないし、あれを無条件で取り戻したいというただその一心だけある。
2023/09/13
鬱病的リアリズム、と言う言葉があるらしい。こういう鬱チックで感傷を感じやすい人間にとって「悲観的すぎ」とか人生をありのまま見つめられていないという内容の批判に対抗できる言葉を知ることができたと思う。私はそこらの頭空っぽで人生を楽しいと日々過ごすような妄信的な輩よりは現実をよっぽどリアルに直視していると信じていた。いままでそれを誰からも言葉で肯定されたことがなかったが、鬱病的リアリズムという言葉は私のその思想を肯定する一つの言葉になってくれている。
生きやすさより大事なものがある。これに尽きる
2023/11/03
恋愛は本来生殖であり、思いっきり倫理の範囲外にあるのだが、それを恋愛という言葉でラッピングすることで倫理のなかに押し込んでいるすでに無理のある事柄である。
2023/12/06
浮気しない男がどこにいるのか、とかいう話は、浮気しない男をはなから眼中に入れてないからだろうという反論で一貫していたが、今考えるとさらに深ぼることができる。より抽象的に核を捉えると、恋愛は道徳規範を逸脱したほうが価値が高くなるから。恋愛は道徳とは別次元にあり、男の場合は特に道徳を守ることに価値がないから。例を挙げれば、クズにハマるとか、感情を動かすゲームな訳だから、感情を動かすのに道徳規範を守るより守らない人間の方が恋愛が上手いに決まっているからだ。
2023/12/07
人の心理を知りたかったら思考だけではやはり無理だと思う。仮説を立てて行動や体験を通して理論化していくという、核としては体当たりの行動が先んじる方法でなければいけないのだと改めて認識させられた。認識が先かもしれないが、主役は行動でないといけない。意義のある実験的な行動を今からでも繰り返さないといけない。
長くなりました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?