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〈13〉誕生日に笑って泣いた話/高級旅館を満喫した翌日、ツラい現実が待っていた。

ついに65歳になった。

姉から花束が届き、Kちゃんから日本酒(大好物!)をもらい、Nさん(夫)からは現ナマを頂戴した。素直に嬉しい。私って、生まれてきてよかったんだと実感できるから。

65歳になっても、自分の存在が肯定できないときがよくあるのだ。幼い頃父から聞いた話だが、私が生まれた瞬間、そばにいた祖母が「また、オンナ…」とがっかりしたらしい。わたしは三姉妹の末っ子で、あまり期待された子ではなかったという気がしてならない。

とはいえ、ここまで生きた自分へのお祝いに、中学時代の友達と温泉に行くことにした。ずいぶん前から相談していたのだが、例のGoToトラベルが後押ししてくれた。1泊3万円の宿が2万円を切るお値段で泊まれる!しかも地域お買い物券が9千円分(2人で)もつくから、宿の飲み物や2日目のタクシーも大盤振る舞いできてしまう!なんだかテレビで絶叫してる通販の社長さんみたいだ。が、そのくらいお得感がハンパない。

地方都市の「奥座敷」的な宿。前々から憧れていたが、こんな非常事態のおかげで泊まれることになるなんて、少々皮肉だけど、チャンスなのだからありがたく利用させてもらおう。

門をくぐると、和服をきちんと着付けした仲居さんたちが丁寧に迎えてくれる(作務衣でごまかしてる宿とはやっぱり格が違う!)。案内された部屋は8畳の和室が2間もあってさらにリビングまでついている。部屋の中に長〜い廊下まであったりするのだ。造りは古いが、どこも丁寧に手入れされていて清々しい。ヒノキの内風呂まである(朝風呂はこれにしよう!)。

もちろん初日は大浴場だ。広〜い大浴場をほぼ私たち2人で貸切状態だから、平泳ぎだってできる。彼女は泳ぎ方を忘れたと、溺れかけていたが。

いよいよ夕食。一番お高い懐石料理を選んでおいた。間違いなかった。最初に出される八寸の一品、一品、本当に手間をかけ、真剣に選んでいる。テキトーな既製品を使おうなんて魂胆がない。当然だ、格のある宿だもの。お造りは、ふぐとアラ!季節よね〜。予約のときにふぐ会席とこちらをずいぶん迷ったが、そんな気持ちを見透かすように、鶴が羽を広げた姿の絵皿に純白のふぐが行儀よく並んで迎えてくれた。細いネギをくるっと巻いて、スダチをつつーっとかけていただく。あああ至福。最後のデザートのおしるこまで、もう笑いが止まらなかった。美味しすぎて緩みっぱなしなのだ。

50年ぶりの修学旅行だった。が、これで終わらないのが、私の運命なのか。

翌日、出社すると喪中欠礼の葉書が届いていた。そんな季節だなと思いながら、差出人を見てドキリ。一緒に温泉旅行にいった友人と同じく、落ちこぼれバスケの一員だった友人が8月に亡くなったという知らせ。つい昨日、温泉に浸かりながら「今度ミニ同窓会したいね、あの子も誘わなくちゃね。私、連絡できるよ」と言ったばかりなのに。

うかつだった。年賀状のやり取りだけとはいえ、ここ数年ときどき来ないことがあったのに、大して気にもとめていなかった。

顔も知らないご主人に失礼を承知でメールでお悔やみを伝えると、忌明けの挨拶状を添付してくださった。4年間の闘病の様子が丹念に時系列で綴られていた。きっと真面目なご主人なのだろう。その挨拶状の中でとりわけ強い印象を受けたのは、妻とか家内とかと呼ばず、例えば「まゆみさん」という風に、全てさん付けで書かれていたことだった。妻とか家内とか役割で呼んでしまうと、どうしても彼女を表現できなかったに違いない。日頃そう呼んでいたように、名前にさん付けで呼ばなくては、彼女が存在しないじゃないかと訴えている気がした。それほど愛された友に合掌した。

再会と別離を経験した誕生月。私の時間はまだたっぷりありそうだけど、本当はどうなんだろう?



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