見出し画像

〈45〉白内障の手術で世界は変わった。/生まれたての目がオバサンに宿った!

ずっと以前から白内障とわかっていたけれど。

40代の頃から「白内障がある」とお医者さんから言われていた。いずれは手術しなくちゃいけないだうと思っていたが、それは70代になってからと漠然と考えていた。ところが、60代のいま、すでに視力で困る場面に直面した。

運転免許の更新では、視力検査で落とされるギリギリだった。免許はどうにか更新できたが、運転するのが急に怖くなってきた。私の白内障のせいで誰かを傷つけたらと思うと、身がすくむ。

もうひとつ、とても困ることがあった。Nさん(オット)とゴルフに行っても、自分が打ったボールの落ちどころが見えない。100ヤードちょっとしか飛ばないのに、いちいちNさんに「どこに行った?」と聞かなくてはならない。ましてやNさんのボールの行方を私が追えるはずもなく、Nさんは二人分のボールを探すハメになる。迷惑をかけるのが心苦しかった。

そろそろ手術を受けよう。今年の夏、そう決心して近所に新しく開院した眼科に行った。「白内障日帰り手術」を看板に掲げている病院だ。検査を受けると手術が必要だと言われた。そうだよね、覚悟はしていたけれど、やっぱり怖い。

白内障手術は痛くないという都市伝説。

いろんな人から「白内障の手術は短時間で終わって簡単だ」と聞いていた。でも、実際は違った。手術そのものの時間は15分程度ですむが、決して「なーんだ、簡単だったな」という気分にはならない。
簡単と言った人は、やせ我慢でそう言ったに違いない。小学校で予防接種の順番を待っているとき、打ち終えた子が腕を見せながら「ぜーんぜん痛くなかった」というセリフに似ている。

これまで何度も手術を受けた経験のある私でも、白内障手術は痛くて怖かったというのが正直な感想だ。感じ方には個人差はあると思うが、誰かに訊ねられたら、まず「白内障の手術は痛いですよ」と教えてあげたい。

一番の痛みは、眼球に麻酔の注射を刺すときだった。目薬で麻酔をした後だから平気かと思っていたら、じ〜〜んと重い痛みが頭の奥まで広がる。二日酔いの頭痛みたいに不快な痛みだ。
それが済むと次は強い光を当てられ、脳の中を覗き込まれてるんじゃないかと思うくらい目玉を強く押される(気がする)。頭痛の芯を押されているようで痛くて気分が悪い。子供のころテレビで観たUFOにさらわれた人の話も、こんなんじゃなかったっけ。頭の中で面白い話に置き換えてやり過ごそうとしたが、実際は「やめて〜っ」と叫ばないようにするのが精一杯で、ハァハァと肩で息をしていた。
短時間で済んだのだけが唯一の救いだった。
「ぜったい簡単じゃないよね」と思いながら、ふらふらと手術室から待合室に出た。Nさんは「痛かった?」と聞いてくれたが、声も出せず、早く帰ろうと仕草で伝えるのがやっとだった。

が、痛みや恐怖はすぐに去った。なぜならそれを上回る奇跡の体験が待っていたからだ。

世界が変わった?いや、私の目が変わった!

翌朝、病院で手術した左目を検査をすると、術前に裸眼で0.2だった視力が0.7まで戻っていた。
視力が回復するって、世界を見る目が変わるってことだ。
帰りの車の中で、私は叫んだ。アスファルトの小石一つひとつが浮き出て立体的に見える!木の葉は一枚一枚が光と影に彩られくっきり立体的だ!スーパーの魚売り場のワタリガニの青い甲羅の斑点が目に飛び込んでくる!
家に着いてタオルのループ状になった糸が浮き出て見えたときには、びっくりした。生まれたての目を取り戻したようだった。
世の中は光のツブツブで構成されていて、まるでスーラの絵画のようだ。私にいま絵筆を持たせたら、小さな光の点で世界中を描けると思った。草間彌生もこれが見えてるのかもしれない。(実際の彼女は恐怖心から水玉を描くらしいけれど)

0.7の左目で見る世界の中で、一番美しいのは水だった。洗面ボウルに大量の水を一度に流すとウズ巻きができる。大小の泡を包んだ透明な水が、洗面ボウルの底の金属の排水栓の上で輝きながら落ちてゆく。見慣れた光景のはずが、うっとりするくらい美しい。顔を洗うときも、除湿器の水を捨てるときも、その透明なウズ潮にゾクゾクした。

片目を閉じるだけでひとりビフォア・アフター。

1週間後に右目の手術を受けるまで、私は白内障の目と健康な目の両方を持っていた。術前の右目だけで風景を見ると、黄色いかすみがかかってどんより曇っている。しかし術後の左目で見ると、まるで空気が青い色を帯びているかのように、すべてが青みがかり、みずみずしく映る。
白内障とは、まるで汚れたすりガラスの部屋の中から世界を見ているようなものだったのだ。
私は左目、右目を交互にウインクしながら、ひとりビフォアアフターを満喫した。

遠くのアパートの窓が見える!ボールの行方が追える!

1週間あけて、もう片方の右目を手術した。
視力を取り戻した目で、風景を楽しむ。遠くのアパートの窓が一枚、一枚、数えられるくらいくっきり見える。遠くの上空で着陸を待つ飛行機の機体が輝いて見える。十三夜の月のどこが欠けているのかがわかる。

手術から2週間後、運転してみた。カーブミラーに映る車や人がはっきり見える。これなら狭い路地の四つ角に入るのも怖くない。信号の下の交差点名も見えるし、前の白い車にプリントされた老人ホームのロゴまでくっきり見える。

ゴルフにも行った。ゴルフボールの落ちどころがはっきりわかる!Nさんに「斜面を転がってフェアウエイに出たよ!」とか「グリーン右横の小山のラフの中で止まってる」と教えてあげられる嬉しさ。視力で人の役に立てるってなんていいんだろう!

手術前から近視で乱視で老眼だったから、
遠くも近くもメガネをかけた。
手術後、レンズを作り替えた。
もちろん、すっごくよく見える!

視力は再び落ちるけれど、記憶は消えない。

ちょっと残念なこともある。手術後、後発性の白内障が出現しているらしく「視力が落ちたらレーザー治療で治しましょう」と言われた。「緑内障もあるかも、もう一度検査を」とも言われた。

この美しい世界を現在のレベルで見られるのは、ほんの限られた時間かもしれない。でも、これほど美しい世界をいま見ることができたのは最高に幸せだった。だって赤ちゃんのときに見えていたとしても、こんな風に感激したり、noteに書き残したりはできない。これだけは経験豊富なオバサンでよかったと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?