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”だめだめ”な自分でもいい


出先のファミレスでぼーっとしている。店内の窓から見える桜の木をぼーっと眺めている。

普段は自宅でnote記事を書いていることがほとんどなんだけど、煮詰まってくるとだめだめな気分を吹き飛ばしにこうしてファミレスやカフェに出掛け意識的にぼーっとする。

自宅や図書館など静かな室内で缶詰になっているよりも、周囲に適度なノイズがあったほうが集中できたり、良いアイディアがひらめくことが多かったりするからだ。

外の桜の木をぼーっと眺めながらnote記事のネタになりそうな自分自身の過去の出来事をあれこれとほじくり返していたら思いがけず懐かしいエピソードを思い出し、すかさず携帯を手に取った。

記憶を頼りに目的のSNSアカウントを検索してみるとあっけなくヒットした。そして、そのbio(自己紹介欄)を見て懐かしさと共におもわず顔がほころんだ気がした。

bioエリアから投稿に目線を落とそうとしたちょうどそのタイミングで日替わりランチが運ばれてきた。持って来てくれた店員さんの制服に目立つように大きめの名札が1つ付いていて、”研修中”と書かれているのが目にとまった。

そういえばさっきファミレスに来る途中、宅配便を預けに寄ったコンビニの店員さんの胸にも”研修中”が付けられてたっけ。

毎年のことだけど、この季節になるといわゆる新社会人とおぼしき店員さんやスタッフさんを街のあちこちで見掛ける機会が多くなる。


新生活

新年度を迎えて新社会人になったり新天地であらたな生活をはじめる人が増えるこの時期。

そんな毎日のなかで、張りつめていた気持ちがふっと途切れた瞬間なんかに劣等感や惨めな気持ちに襲われたり、本当にこの仕事を続けていけるんだろうか?とか、これが本当にやりたかった事なのかなって不安になることもあるとおもう。

あたかも順調に適応していってるように映る同期たちと比べてしまって焦燥感に駆られ、消えてしまいたくなる瞬間もあるとおもう。

慣れない環境で膨大に覚えることや課題があったり、同期や上司との人間関係だったりと、毎日が目まぐるしすぎて疲れを感じる暇すらない頃かもしれない。

不安、焦り、自己嫌悪、必要以上に周囲と比べてしまう、否が応でも比べられてしまう。自分が自分ではないみたいだ、本当の自分がわからない。


ナイフとフォークで目の前のハンバーグを平らげていたら、さっきの”研修中”の札を付けた新人店員さんが通路を挟んだ対面のテーブルでお客さんに頭を下げて謝っている光景が目の端にとまった。

遠目から見た感じどうやらオーダーミスだったようでサーブしてきた料理を一旦下げ、程なくして別の料理を再度持って行きまた丁寧にお客さんに謝っていた。謝る角度の初々しさがまさに新人さんのそれだった。

僕が10代のころ一番最初にアルバイトをしたのも飲食店だったので、なんとなく新人の頃の自分と目の前で謝っている新人店員さんとがオーバーラップした。

僕のバイト先の店長はそれはそれはバイオレンスな教え方で、アルバイトを始めたての僕は要領が悪く仕事覚えもあまり良くなくて「もう駄目かもしれない・・・逃げ出したい。」、「何でこんなにダメなんだろう。」そんなことばかり考えていたし、今日でばっくれようって何回考えたかわからない。

余程このアルバイトが嫌だったんだとおもう、大人になった今でも数年おきにこのバイト先の夢を見て大汗かいて飛び起きる。完全にトラウマ化している。

当時はSNSなんて無かったし、店長や先輩にバイオレンスな教育を受けるのも自分のダメさ加減のせいだと思って受け入れていたけど、今になって振り返ればどう見ても狂ってる。怖くて言い出せなかったけど最低時給以下で働いてたし!


さて、この記事のタイトルにもなっている、”だめだめ”という言葉は駄目【だめ】という形容動詞を2つ重ねた語で、元々の ”だめ”という言葉の響きと比べてPOPな印象を受ける言葉だ。

誰かに対して「だめだめ!そこは立ち入り禁止ですよ。」と、行動を制限する呼びかけであったり、自身の至らなさに対して「だめだめ、今日は良いアイディアが浮かばない。」といったような使い方が一般的だ。

そうした”駄目”、”だめ”、”ダメ”がネットの海にとめどなく膨大に放流されるこの季節、僕はきまってある楽曲を思い出しその楽曲に無意識的に足が向いてしまう。それが『だめだめ』という楽曲。

『だめだめ』

アンスリューム”っていう僕が好きなアイドルグループがあります。2019年3月デビューのグループで、いわゆるライブアイドルと呼ばれる枠では中堅どころの一角を担っており、ライブアイドルシーンでは認知度のあるグループです。

『興奮と高揚をあなたに。』がデビュー以来一貫して掲げているコンセプトで、そのコンセプトを地でいくようなキャッチーで楽しい楽曲を中心に、個性的なメンバーが魅せるハイパワーなパフォーマンスが魅力のグループだ。

そのアンスリュームがまだまだ駆け出しだった2020年、『だめだめ』という楽曲がリリースされそのMVがグループの公式You Tubeチャンネルにあります。

4分少々のMVなので1度目を通していただいて、それからあらためて記事を読み進めていただけると嬉しいです。

この『だめだめ』のMVでは2019年にグループがデビューした頃からの初期メンバー(サムネイル向かって左から、ちぎらちゃん、黒木いろちゃん、天神・大天使・閻魔ちゃん、月埜ヒスイちゃん)の4人が出演しています。
※2024年現在、7人体制となったアンス(アンスリューム)とはメンバー構成が異なっている。

これ楽曲の良さはさることながらMVの作りも見どころが多くて、4人のキャラクターが映像を通してよく表現されているし、都内各所で撮影されていて見ていて楽しい。

一度見始めると何度もリピートしちゃうんですけど、全然飽きがこなくて後を引くしなんだか妙にクセになるMVだ。


話を戻して、そんな『だめだめ』という楽曲なのですが2024年の3月で5周年を迎え活動が6年目に突入した現在のアンス(アンスリューム)は、メンバーの入れ替わりや新たな楽曲が続々と増え続けていることもあってか、残念ながらライブで『だめだめ』を目にする機会が事実上消滅してしまっている。

僕はアンスの初期楽曲のなかではBest5に入るぐらいこの曲が好きで、ライブで見ることが叶わなくなりつつある現在でも時々こうしてMVを見ては4人だった初期アンスの思い出に浸ったりしています。

できないんじゃない、本気じゃないだけさ

この『だめだめ』の歌詞を書いたのは現メンバーでもある赤色担当の ちぎらちゃんというメンバーさんなのですが、POPな曲調に合わせていまどきの若者が葛藤する素直な気持ちが描かれていて曲とも良くマッチしている。

そんな揺れ動く心情が歌詞には詰まっていて、最後には私もキミもこう在り続けていてもいいんだと、勇気づけられるそんな言葉で締めくくられています。

『だめだめ』Lyrics: ちぎら(アンスリューム)

この歌詞に流れる諦めにも似た感情であったり、劣等感や自己嫌悪からくる自問自答。それらを蹴とばして開き直ろうとする様子であったり、でも最後にはそういう自分自身を丸ごと受け入れようとする生命力みたいなものに僕はいつも強く心を打たれる。

そしてこの曲には、気分が落ち込んだときや人生の壁にぶつかった時期に、なにか人の心を惹きつける魔力のようなものが宿っているような気がしてならない。


ヤマさんとぼく

僕自身の昔話をすると、10年ぐらい前にこの先のキャリアや生き方について結構深刻に悩んでいた時期がありました。ライフステージの変化にともなって誰もが一度や二度は経験することだとおもいます。

仕事仲間に相談するにはプライドが邪魔をするし、かといって家族に話したところで期待するような答えが返ってくるとは思えず、来る日も来る日も悶々としたまま言葉にならない言葉を無理やり飲み込みながら仕事場と自宅を往復する、そんな日々を送っていました。

そんなときに、以前共通の趣味で知り合った知人が僕に語ってくれた言葉がいまも忘れられない。

その人はヤマさんといって僕より少し年上、共通の趣味は僕なんかよりずっと歴は長いしそこに掛ける情熱もスキルも段違いに高い人だった。

良く言えばアニキ肌で正義感が強く情熱的で裏表のない人なんだけれど、それゆえに空気を読まずに火の玉ストレートを投げ込むものだから、おなじ趣味界隈の人たちと摩擦が生じることも度々あった。

ちょっぴりピーキーな性格で思わぬところに地雷が埋まっているヤマさんだったけれど、僕はそんなヤマさんの情熱と不器用さが表裏一体となった性格が好きだったし、ポリシーをしっかり持っていて尊敬できる人だった。

ある日、そんなヤマさんに意を決して悩みを打ち明けた。キャリアのこと、人生設計のこととか、ずっとこころに溜まっていたことを少しずつ話した。べつに的確なアドバイスが欲しかったわけじゃなくただ聞いて欲しかった。

そしたらしばらく黙って聞いていたヤマさんがぽつりぽつりと話し始めた。


「たこまりねくんさ、みんな将来を深刻に考えすぎてるし周りが言う”こうしないと人生詰むぞ”っていう煽りに乗せられすぎてるよ。」

「じっくり見渡してみなよ、いわゆる”詰んでる人生”ってやつを送りながら生きてる奴はたくさんいるし、人生うまくいってる奴なんてほとんどいないんだよ。」

「周りが言う”普通の人生”ってやつのレベルが異常に高いってことに気が付かないと、いつまでたっても不幸だと思い込み続ける事になると思う。
成功者にならなくたって、安定した生活じゃなくたって生きていける。
そういう人達を存在しないことにしている視野の狭い人間が”詰んだ”と言ってるに過ぎないんだよ。」

「”だめだめ”でもいいんだ。大丈夫、僕らは何とでも生きていけるよ。」


少々乱暴な言い方もあるんだけれど、ヤマさんの言葉は当時の僕がぶち当たっていた壁を次々と崩していって、一気に視界がクリアになった感覚があった。

人生を無理ゲーにするものとは

結局のところ、他人から拝借した”普通の人生”という得体のしれない物差しで自分の人生を測ろうとしたってそんなことには無理が生じてくる。

そんな得体の知れないモノに1度しかない自分の人生を預けてしまってよいのだろうか。人生の設計図ぐらいは借りものじゃなく自分の物差しで線を引きたい。

ときには他人の物差しも必要なんだけど、楽だからといってそれにばかり頼ってしまうとどうしたって生きるのがしんどくなってくるし、周りと比較することでしかひと時の安心を得られない。

”だめだめ”でもいい

『だめだめ』MVの最後のシーンで「誰よりも人間らしいダメな君で イイ!」と歌っている元メンバー黒木いろちゃんの屈託のない笑顔と言葉にぼくは今も優しく背中を押され続けている。

この部分の歌詞を自分なりに分解してみると、字面どおりにダメな状態の自分を丸ごと肯定すればいいというわけじゃなく、慎重にじぶんの気持ちを観察して向き合わないとダメなんだとおもう。

ヤマさんも言っていたように周りが言う”普通の人生”があたかもじぶんにとっての”普通の人生”だって妄信せずに、ちゃんと自分の正直なこころの動きに気付いて振る舞うことが、「誰よりも人間らしいダメな君で イイ!」っていう肯定感につながると僕は解釈しています。

せめて、ヤマさんが僕に指摘してくれたように知らず知らずのうちに”幸せと不幸せ”を他人と比べてしまって、生きるハードルを自ら上げてしまっていることで辛くなってはいないだろうか?ということを、一旦立ち止まってよくよく考えてみるだけの余裕は残しておくべきだ。

幸不幸だけじゃなく、”損得”だけを行動基準にしちゃうのもやっぱ他人と比べるから辛くなってしまいますよね。損を拾ってしまったときに「どうしていつも自分だけこんな目に・・・」と、劣等感と他責思考でにっちもさっちもいかなくなってしまう。

そういうときは、”こうしなきゃ”と誰かの物差しで決めた”損得”に流されずに、”こうするべき”という自分のポリシーであったり、”損得”を超えた自分にとって譲れないものに気がつけると、自分なりの幸せに近づいていくんじゃないかなって僕はいつも考えている。そのためにはよくよく自分の気持ちを観察しなきゃならない。

どうにもならないことなんてどうにでもなっていいこと

具体的な事柄、例えば遅刻が多いとか、忘れ物が多いみたいなことについて”だめだめ”だなと感じて自省と改善策を練る分にはその先には成長がある。

けれど、そこから抽象的でどうにもならないことにまで”だめだめ”を発展させて、じぶんがここに存在する意味ってあるのかな?とか、どうして生きているんだろう?みたいな領域にまで悩みが入り込んでしまうのはさすがに不毛だ。

僕にもそういう自暴自棄で不毛な考えに陥るときはモチロンあって、そんなときに考えるのは、”いま自分のコントロールの及ばないどうにもならないことなんて考えても仕方がないのでひとまず忘れたほうがいい”ということ。

チーズがいつまでもそこにあるとは限らない

ヤマさんはその後あれだけ長年熱心に取り組んでいた趣味をすっぱりと辞め、資産価値としても高額な収集品を全て手放してしまいました。発端はどうやらその情熱を注いできた趣味界隈への失望が大きなきっかけになったようです。

けれど自分自身の信念にそぐわない環境にイヤイヤ身を置き続けるより、よっぽど健全だとおもうし、それだけ好きで情熱と愛情を傾け続けた趣味だったからこそ離れる決断をしたのかもしれない。

まるで、「やっぱりあいつはダメダメだったんだよ」と言わんばかりに後ろ指を差されながらも自分のポリシーを曲げずに界隈と決別し潔く去って行ったヤマさんを当時僕はカッコイイとおもった。

仕事においても趣味においても、多少の不満がありつつもその界隈や組織に長く身を置くことにメリットを見出して離れることが出来ないというのは、大なり小なり誰にでも身に覚えがあるとおもう。

けれども、ある日そのはしごを急に降ろされたら・・・というのを想像すると、嫌な事や不満もたくさんあるけれど面倒くさいからこのままでいいや、という考えもかなり危険をはらんでいるなあと感じずにはいられない。なんだか耳の痛い話しである。

自ら望んで飛び込んだ新しい環境がどうしても合わないと感じたら、そこから距離を取ったりヤマさんのように新しい道を探す勇気や覚悟を見せるタイミングは人生で必ずあるし、そのためにはまず自分のことを信じてあげなければならない。

”自分を信じること”

この『だめだめ』MVに登場しているアンスリュームの初期メンバー4人のうち2024現在まだ在籍しているのは、ちぎらちゃんと月埜ヒスイちゃんの2名だけだ。

黒木いろちゃんと天神・大天使・閻魔ちゃんの両名は自身でグループを離れる決断をし、現在は新たな道を歩み始めている。

自らの意志でグループに残る決断をした2人、自らの意志でグループを離れる決断をした2人・・・。

だからこそ余計にいま『だめだめ』で彼女たち4人が”だめだめでもいい”、”自分を信じることも今はできる”と歌っている姿に深みや説得力のようなものが出ている。

”自分を信じること”とは、

言い換えると、自分の内にある正義と信念に基づいて行動することでもある。ヤマさんはきっと当時から”自分を信じること”ができる人だった。

同時に自身の”だめだめ”な部分もよく理解していたんだとおもう。そうじゃなきゃ「だめだめでもいいんだよ。大丈夫、僕らは何とでも生きていけるよ。」なんて言えないハズだ。

自分自身のだめだめな部分を素直に受け止めてあげることができると、きっと他の人のダメダメな部分も大切な個性として認め合うことができるし、それが支え合いであり社会そのものでもあるとおもう。

本音をいうと不安でしかたない

その後の僕はヤマさんの言葉に密かに支えられながら大きく人生の舵を切っていくことになるのだけれど、共通の趣味界隈から去って行ったヤマさんとはそれ以来 疎遠になったままだ。

本音を言うと未だに10年前の選択が正しかったのか振り返って考える夜もあるけれど、たとえどう転んでも”何とでも生きていけるさ”という精神的な余裕はこの10年間で獲得できた。

そしてそんな僕を見て「10年前よりちょっとは生きるの楽になったんじゃない?」って神経質そうな眼鏡の奥から、ヤマさんがはにかみつつやさしく語りかけてくれてるような気がする。


エール


ランチセットを食べ終えたあと、途中でスワイプを中断したままのSNS画面に視線を戻した。

画面の投稿欄には全く違うジャンルの趣味で生き生き活動している様子のヤマさんが軽快にポストを連投していた。

相変わらずあちこちに敵を作りそうな物言いは変わっていなかったけど、新天地でノビノビと新しい趣味を満喫しているようだった。また顔がほころんだ。

「空いたお皿 お下げしてもよろしいですか?」と、ふいに声をかけられ携帯から視線を上げると、さっきの新人店員さんが立っていた。

「がんばってね!」と声をかけたりはできなかったけれど、後ろ姿に心のなかでこうエールを送った。

「”だめだめ”でもいい。
  大丈夫、僕らはなんとでも生きていけるさ。」


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