すかし1

最終話 そして20年後のはじまり

 ここは、お江戸日本橋の大黒屋

 数え40歳になった大黒屋4代目の主 潮五郎《ちょうごろう》は、半ば緊張気味に、目の前にいる大きな身体のお武家様と見つめ合っている。

 娘のおりさの婿を探し始めて早二年。
「おりさに恋仲の男が出来たらしい」という噂を口の軽い後家の婦人方から聞き、どのような男なのかと案じていたそんなとき、りさ本人が「結婚したい人ができた」といって、少し高めに造ってあるはずの御店(おたな)の入り口を、腰を曲げてくぐらなければ入れないほどに背の高いお武家様を連れてきた。
 それが、岡部哲治郎という同心である。
 年の頃は、30には今少しというところ。18のりさとは、かなり年が離れて見える。顔の方は文句の付けようがないほどに見目麗しい、凜々しい色男。体は健康そのもので、比較的大柄な潮五郎がまだ見上げるほどに大きい。だがその表情は優柔不断そうでどことなく頼りなく、貧乏神が取り憑いたような、侘びた風情がある。
「お手前は、お武家さまでございますよね?」
「左様、拙者、北町奉行所同心、若奉行様付きの御祐筆見習いを申しつかっております、岡部哲治郎と申します」
「もうすでに家督を継いでいるお武家様が、大黒屋の婿にお越しになるのは……いささかムリがございませんかねえ」
「婿!?」
 潮五郎が言う「婿」という言葉に驚いて、哲治郎が素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいやいや、某はおりさ殿を岡部家の嫁にいただくつもりで父上にご挨拶に参った次第。某はすでに岡部の家督を継いでおります故に、大黒屋を継ぐわけにはいき申さぬ」
 初めて聞いた話だと首を振り、哲治郎は「しからば御免」と慌てて大黒屋をあとにする。

 むしゃくしゃする心を癒やそうと、哲治郎が立ち寄った先は北町のお奉行所。
 奉行邸宅の庭に行き、庭から屋敷の中に「兄上」と声をかけた。
「おう。テツジかい」
 哲治郎を「テツジ」と呼んだのは、愛しいりさとまったく同じ顔。いささか、神妙な面持ちで哲治郎の方に顔を向けたが、もう一つ、知らぬ顔が哲治郎に目をやった。
「おや、お客様でございましたか。とんだ無礼を致しました」
 帰ろうとする哲治郎に、「あら、哲治郎様。いらっしゃい」と、廊下を歩いてきた美しい女性が声をかける。
「春。お客様がお帰りだ」
 低い声で、『兄上』が妻にそう告げると、「ああ、そうですか、しからば御免」と、お客の方が『兄上』に手をついて、不機嫌そうに立ち上がる。
 突然現れた哲治郎のせいで奉行所を追われる形となった客は、機嫌の悪い顔を隠さずに、すれ違いざまに哲治郎をにらみ付けた。
「……これは……失礼を致した」
 そう言いながら、哲治郎は客である男の顔立ちの美しさに驚く。
 年の頃合いは四十かそこらか。先ほど出会ったりさの父、潮五郎とそう変わらない。薄化粧を施して、いっぱしの風流人を気取っているつもりだろうが、たしかにその顔立ちには品があり、年に応じぬ艶めかしさがあった。「おや……?」
 男の方も哲治郎の顔を見上げ……それから部屋の中で腕組みをしたままの、女性らしく、愛らしい顔立ちの『兄上』を見つめる。
「あらあら、おやおや……『兄上』……ですか」
 派手な扇で口元を隠し、すべてを理解した顔をしながら、客は哲治郎に「せいぜい、若奉行をお楽しませして差し上げなさい」とだけ言い置いて、その場をあとにした。
「客には、悪いことをしました」
 客が姿を消してから、『兄上』の前に座り込み、哲治郎が首の後ろをひっかく。
「材木問屋の相模屋の主だ。そうとうの阿呆のようで、22になる息子が働かぬのだが叱ってくれなどと申すので、親父の方をしかり飛ばしていたところだ」
「兄上の説教ですか。そりゃあ、あの親父、相当堪えたでしょう……」
 さっきちらりと見ただけの美しい客に同情して、哲治郎がうなだれる。「哲治郎さん。いま、お酒と将棋盤をご用意いたしますわね。今日は、一晩中、なお殿の面倒をみて差し上げてくださいませ」
『兄上』……なお殿の妻であるお春が哲治郎に向かって微笑んで、部屋を出て行った。
 お春の姿がなくなったのを確認してから、哲治郎は、なお殿の方を向く。「兄上。りさの父親に、会って参りました」
「……ほう? で? 首尾はどうだ?」
「いいたくありませんな」
 哲治郎の眉間の皺をみて、潮五郎との対面失敗が見て取れて、なお殿が大げさに笑う。
「そりゃあ、残念だったな。まあ、何度か行ってみな。そのうち、潮五郎の気も変わるだろうよ。なんだったら、父上に頼んで、りさをお前の嫁にやるように、潮五郎に命じてやっても良いんだぞ」
「けっこうです。自分の嫁の世話くらい、自分でなんとかします」
 ぷんとそっぽを向く哲治郎を指さして、なお殿がまた、大げさに笑う。

 夜通し、なお殿と飲み明かした哲治郎は、翌朝早くに酔い心地の千鳥足で我が家への帰路につく。
 ……と……
 家もほど近い八丁堀に入ってすぐの道ばたで、哲治郎は何かに転んでずっこけた。

「……なんでぃ、この大きな石は!」

 転んだ石を指さして、酔っ払った哲治郎は大きな声で叫ぶ。

 ちょうど、家を出ようと玄関の引き戸を開けた隣宅の齋藤某の妻が、転んだ哲治郎を見てぷっと吹き出した。
「あらあら、哲治郎ちゃん。そんなに飲んで……大丈夫?」
 祖父がまだ存命中から知っている、隣の家の哲治郎に優しく声をかけようとするその初老の女性はふと……哲治郎の転んで土で汚れた着物に、ねっとりとした赤い何かがこびりついているのを見て、大きな悲鳴を上げた。「……おばさん!?」
 哲治郎の酔い心地が、齋藤の妻の悲鳴でいっぺんに消し飛ぶ。
「……どうした、おばさん!」
 齋藤の妻を抱きかかえようとしたが、齋藤の妻はその手を拒んだ。

「人、人、人……人殺し!!」

「え?」
「哲治郎ちゃん、あんたって子は……その人、殺しちまったのかい!?」
 齋藤の妻の指さすその先に……。
 土埃にまみれた男の遺体があった。
「な、なんだ! これは!!」
「なんだじゃないよ! あんたが斬り殺しちまったんだよ!」
 齋藤の妻は、「なによりの証拠だ」と、哲治郎の血みどろの手を指さす。「お、おばさん、違う! この血は、転んだときについた……」
 哲治郎の話など聞くような齋藤の妻ではない。齋藤の妻はそのまま我が家に駆け込んだ。程なくして、夫である齋藤が出てくる。
「哲治郎! お前というヤツは!」
 状況をにわかに察知した齋藤が、哲治郎を怒鳴りつけた。
「ちがう、おじさん信じて、俺じゃない!」
「うるせえ! 引っ立ててやる、神妙にしやがれ哲治郎!」

 こうして……哲治郎は、齋藤某によって、北町の奉行所に突き出された。


 後日、小石川の療養所の蘭学医、佐久間遊山が検分したところ……。

 男の遺体は、相模屋の主……お信乃の夫だとわかった。




え? なんで、ここ? という終わり方ですが。
このお話は、ここでおしまいが正解です。

最終話は、本編「こんぺいとう」の第2話の冒頭。
2話をよんでいただいた読者様から、「若様とお信乃のなれそめが気になる」というお話をいただき、リクエストいただいてから3年経ってからでもうしわけなかったですが、遅ればせながら書かせていただきました。

リクエストくださった方のお気に召すかはわかりませんが……自分的にはスッキリしています。

「死」というところで切ってありますので、少々、後味の悪い話になっていますが、このあと、哲治郎とりさが若様を殺した真犯人を見つけ、犯人も重々反省していますので、どうぞお許しくださいませ。
(登場人物紹介でチョットネタばらししてますが)

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

TACO

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