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道具は使われてこその道具〜オートバイを手放したお話〜

9年間生活を共にしたオートバイを手放した。
カワサキのニンジャ1000である。

たまたま1ヶ月の休みができた時、軽い気持ちで大型限定解除で免許を取得した。

その直後にリリースされた1台だった。
初めて買ったバイクと同じカラーリングだった。
初めて買ったバイクと同じように、一目惚れだった。

まさしく羽であり、鉄の馬であり、相棒だった。愛車だった。
マスツーはせず、タンデムもせず、の主義だったのでいつも一緒にだった。

ロングツーリングを終えて、「キン...キン...キン...」と音がするオートバイに話しかけるのなんていつもの事だった。
『今日もお疲れ様、ありがとう。やっぱりかっこいいよなぁ』

そして。
時が経ち、仕事が変わり、会社が変わり、オートバイとの関わり方も変わった。

そして今、また大きく人生が変わろうとしている。

そう考えた時に、オートバイを手放そうと思った。


道具は使われてこその道具。
使われてこそ真価を発揮する。
この先、何回乗ってあげられるだろう。
後ろに人は乗せないと決めているから、誰かと楽しむ事も無い。
せっかくの名車を、手元に置いて朽ち果てさせていいものか。
道具としての真価を発揮出来ないままにさせていいのか。
こんなに素晴らしいオートバイなのに。

もちろん、売ればいくばくかのお金にはなる。
そういう打算も当然ある。

その一方で、手元に置いて眺めてたい気持ちもある。
日帰りで600km走った事もある。
1日で約1200km走った事もある。
人に会うために夜中走った事もある。
ニュートラに入らず立ちゴケした事もある。
温泉に行って帰りに湯冷めした事もある。
高速道路で土砂降りの雨に震えつつ走った事もある。
ラーメンを食べるためだけに明け方から走った事もある。
出来心でアクセル全開にした時、これは死ねる道具と思った。
ちょっとした四輪よりも遥かにパワフルで生命力に満ちてた。
点火してない時は重いのに、乗り出せば羽のように軽かった。

眺めてそんな思い出に浸るのも悪くない。

悪くないけど。

朽ちていくのを見ているのもつらい。
手入れして飾っておくだけなのは主義じゃない。

チェーン職人だし。
スプロケ職人だし。

まだまだ状態はいい。
次のオーナーさんにも沢山乗ってもらえる。
道具としてきっと輝ける。
道具として真価を発揮できる。

道具として、目いっぱい使われて欲しい。
次のオーナーさんともたくさん走って欲しい。

道具として、幸せになって欲しい。
道具は使われてこその道具だから。
きっとそれが幸せだと思う。

オートバイは乗られてこそのオートバイだから。

9年間ありがとう。

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