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倒産させた理由を改めて考える

やりたいこととやっていることの乖離

大きな会社のことはわかりません。あくまでも30人とか50人とか100人くらいまでの中小企業のことだと考えてください。
会社の方向はやっぱり社長が決めます。経営陣が決めるというより社長が決めます。

そうなりますと、社長が全知全霊をかけて取り組むわけですね。会社の運営を。舵取りは社長の仕事なわけです。
前の会社は製造業だったわけですが、製造業に限らず商いをする上で、注文を頂いた際に、最も必要なことは「お客様が望む以上の性能(品質)で商品を供給する」こと以外にはありません。

商社の場合は仕入先にそのクオリティを求めてお客様に提供するわけですが、製造業の場合は(外注品を除くと)自分のところでどれだけ品質を確保していくか。向上していくか。いわゆる製造技術の徹底的な工場は、経営にとって最重要課題の一つです。

経営理念をちょっと展開したものとして経営方針がありますが、私が社長になったときの経営方針はこれでした。

1 私たちは電気と名の付く何でも屋です
2 お客様の喜ぶ顔が浮かぶ製品づくりを行います
3 製品開発、技術の向上に力を入れます。
4 人との出会いを大切にし、全員営業に取り組みます。

どこにも品質とか性能とか書いてない。そもそも製造業の経営方針じゃないですね。どちらかというと開発屋です。
つまり、私のやりたいことは、新しい製品の開発であって、製造ではなかったわけです。製造したものでお金を頂いている製造業のくせに。

このように社長がやりたいことと、実際に会社がやっていることに大きな差があった場合、選択肢は2つになります。
(1)やりたいことを優先する
(2)やっていることを優先する

それを早急にやらないと、会社はどんどんだめになってしまいます。じっさいうちの会社はどんどんだめになってしまいました。

根拠のない「明日になれば」

で、やっていることとやりたいことの違いが続くと、当たり前ですがストレスがたまります。
毎日毎日楽しくない日々が続きます。社長のくせに会社に行きたくなくなるのです。でも一旦会社に行ったら返ったときの家庭のぬくもりが逆にストレスになり、家にも帰りたくなくなるのです。
嫁さんからは毎日不安の声があがります。当たり前ですね。どんどんお金かっぱいでるわけですから。そんなときにいう言葉が
「大丈夫、もう少しでなんとかなる。いやなんとかする」
根拠なんか何にもありません。自分を奮い立たせる言葉でしかありません。

私は性根が楽観的な人間なので、いまでもなんとかなるさという感じで行きているのですが、その頃は無理やりなんとかなるはず。明日は夜が明けるはず。そんな思いでしたね。

この根拠がない「明日になれば」は経営者として持つべきものではありません。

思っていることと言っていることの乖離

最初にやっていることとやりたいことの乖離を書きましたが、社員さん、従業員さんに日々言っていることと自分自身が思っていること、この距離が大きくなるというのも、会社が傾く原因だと思います。
ちゃんとしたものをしっかり作りましょうなんて朝礼で言っているくせに、心の底では、今日中にものを納めてくれないと資金繰りに影響が出るから、兎にも角にも今日出荷して欲しいと思っている。
商品開発には問題の可能性を少しでも減らさないといけないと言っているくせに、基本機能が満足したらすぐにでも発表して1円でも売上につなげたいとも思っている。

品質無視でとにかく納期優先だとか、開発は基本性能だけであとは成り行きで考えるからとにかく市場に投入しろだとか、本音はそうなのに違ったことをいう。社員さんは言っていることを正しいと思うわけですよね。
でも社長は違うことを思っている。
これじゃうまくいくものもうまくいかない。

中小企業家同友会では、経営指針の大切さを経営の一丁目一番地だと言っていたにもかかわらず、経営指針が間違っていることを自分自身が認めようとしなかったこと。
自分の心が製造業に向いていなかったのに、心も変えず、行動も変えなかったこと。

色んな理由があったかもしれませんが、製造業の経営者としては失格者でポンコツだったんですね。

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