合獣の森 2-2章
第2-2章:晩餐
夕暮れの空に、深い影が落ちる中、軍の本部にカイルは足を運んでいた。軍服に身を包み、堅苦しい雰囲気の建物が立ち並ぶ中、カイルは幹部たちとの会話に身を委ねていた。彼の目的はただ一つ──バトラを戦争に巻き込まないよう画策することだった。
バトラという存在は、まだ解明されていない謎が多く、その力を戦争に利用すれば、未知の危険が軍や街に襲いかかる可能性があった。カイルはその危険性を理解していたし、何よりバトラを使うということはサナを危険に巻き込むということになるので、何としてもバトラの戦争利用を阻止しなければならなかった。
会議室のテーブルを囲む軍の幹部たちは冷静な表情でカイルの報告を聞いていた。彼らはバトラという言葉に顔を見合わせ、表情を緩めるようだった。
「しかし、現状を考えれば、バトラを戦争に投入せざるを得ない状況もありうるのだよ。むしろ我々の手には未知の力だからこそ、畏怖し紛争に立ち向かえるかもしれない。」
一人の幹部がそう口にすると、他の者たちもうなずき始めた。しかし、カイルは固く首を振り、反論の言葉を紡いだ。
「それはできません。バトラは未だ私たちには理解しきれない存在です。戦争に巻き込むことは、市民を巻き込む可能性もあり危険すぎます。」
軍の上層部は冷たいまなざしでカイルを見つめた。彼らの中には新たな武器、戦力としてバトラを活用して、戦果をあげ昇級することしか考えていないように見えた。
「君はこの軍に仕えている訳だ。そして、バトラの処遇については君が指揮を執れる資格がある。ただし、その人事権は我々側にある。」
カイルは心底嫌悪を感じながらも、無理に表情を崩さず、条件を聞いた。
「君がバトラを使わないなら、君が戦場に立つしかない。」
幹部たちの中の一人がそう告げると、他の者たちはうなずいた。カイルの考えには同意しない、ならば戦場で指揮を執れ──その圧力に屈するしかなかった。
会議室を後にしてカイルは近くの壁を叩いて、同僚のジェフに不満を漏らした。
「こんなことになるとは思わなかった、上層部は勝手すぎる。俺たちがバトラにどれだけの想いを込めているかを知らないで。」
ジェフは共感の表情を浮かべながら、カイルの不満を受け入れた。
「わかっている。現実がこれほど厳しいことも、君の置かれている状況も。バトラが戦火に巻き込まれなかっただけでもよしとしなければならないよ。今は現実と向き合いこれからのことを考えないといけない。君のすべきことはなんだ。」
「ああ、その通りだな」
カイルは顔を上げて小さくつぶやいた。
「家族と合獣のことを頼む」
少し間をあけて、ジェフに頭を下げた。ジェフは黙ってカイルの肩を叩いて、その場を後にした。そうして激動の波に二人も巻き込まれていくことになった。
翌朝、サナは淡い陽光と共に目を覚ました。その穏やかな朝の中に、どこか薄暗い不安感が漂っていた。居間に足を運ぶと、そこには固い表情で座るカイルの姿があった。
(パパがこういう顔をするのは、何か厳しい話を伝えるときだわ・・・)
サナは心の奥底で不安を感じながらも、普段通りに過ごすように心掛けた。カイルもまた、表情を崩さなかった。エマは朝食を用意し、家族が日々の平穏を大切にしようとしていることを感じさせるような雰囲気だった。
しかし、空気には無言が漂い、糸が張り巡らされたような緊張感が部屋を包んでいた。言葉数が少ない中エマが用意した朝食をみんなで食べ終えた後、カイルは静かにその口を開いた。
「俺は、軍の前線を指揮することになった。明日にはここを出ないとならない。」
カイルの突然の告白に、サナとエマは驚きを禁じえなかった。サナは横にいる母の顔をそっと見るとその顔には怒りと同時に、涙ぐむような悲しみもにじんでいた。
「私、そんな話は聞いていない。」
エマの声は微かな震えを帯びていた。突然の話にサナも話についていけなかった。
「軍で指揮をとれという命令が出た。これは命令で断ることはできなかった。俺もこうならないようにしてきたつもりだった。迷惑をかけてすまない。」
エマはただただ黙って顔を落としていた。
「軍によるとここも危ないらしい。ここら一帯も避難命令が出る予定だ。君たちも疎開してほしい。戦争が始まる前に安全な場所へ行くべきだ。」
カイルは一瞬、言葉に詰まるような表情を見せました。
「自分勝手なことを言わないでよ」
エマは怒りとともに弱々しい抵抗を見せた。すまない、と小さな声でカイルは謝罪した。
「俺は指揮官だから、危険な場所には行かない。必ず戻ってくる。今はここも危ないから君たちにも逃げてほしい。一旦散り散りになるけど必ず家族全員で戻ってこよう。必ずだ。」
言葉には力強さと不安が混ざり合っていた。気まずい雰囲気が広がったが、この最後の日を明るく過ごすことが家族の共通の希望だった。家族の笑顔が一番の宝物であり、それを守りたいという思いが、日常を繕う力となっていた。
エマは涙を拭いて、深く息をつきながらコーヒーを淹れた。その香りが静かな部屋に広がり、少しずつ穏やかな雰囲気が戻っていくかのようだった。
一息してからカイルはサナとジュンも連れてバトラとの訓練場に向かった。広大な空間に、風とともにサナとバトラが息を合わせていた。カイルは彼女の訓練を静かに見つめていた。
サナは懸命にバトラとのコミュニケーションを深め、少しずつ赤の瞳を自分のものにしていた。その動きは一層洗練され、信頼と絆がカイルにも伝わってきた。
カイルは、彼女が初めてバトラに触れた頃と比べ、その変化に感慨深さを覚えた。彼女の優雅な動きや、ステラとの調和が二人のワルツのように美しく映った。
(サナ、君は立派に育った。きっとこれからもっとすごいことを成し遂げるだろう。できれば彼女の成長をおれが・・・)
サナの成長した姿を見て、カイルは涙が頬に伝っていた。
ステラの背から降りたサナは、草原の風が優雅に彼女の髪をなで、太陽の光が瞳をキラキラと輝かせていた。彼女の拙いながらも洗練されてきており、内に秘めた力が外にもオーラのように現れていた。
「俺の知らぬ間にお前たちは本当に成長したな。俺はこんなに素晴らしい子供たちに恵まれて幸せだよ。」
そう言いながらカイルは二人の頭をくしゃくしゃと撫でた。サナとジュンは誇りと感謝の気持ちを抱えて目を合わせて声を立てて笑った。
「おじさん、本当に戦争に行くの?」
ジュンは気を取り直して尋ねた。その声には不安が漂っていた。
「そうだよ。君たちが戦争に巻き込まれないよう、そして合獣たちが平和にいられるように俺はできる限りのことをするつもりだ。」
カイルはほんのり笑みを浮かべながら答えた。
「合獣たちはどうするの?私、彼らを置いていけないわ。」
サナは一抹の不安を心に感じながら、気にしていたことを尋ねた。
「同僚に任せている。俺の一番信頼できるパートナーだ。それは心配しなくていい。」
「でも・・・」
サナの不安そうな様子をみてカイルは首に下げていた美しいネックレス状の笛を手に取った。
「これは君が大人になった時に渡すはずだったけど、今渡しておこう。」
笛の先には、複雑な模様が彫り込まれていた。それは合獣たちとの特別な絆を象徴していた。
「これは合獣たちとのつながりを保つための笛だ。君が大人になって、壁にぶつかった時に助けになるだろう。ただし、どうしても困った時以外には使わないでくれ。これは父さんとの約束だからね。」
サナは笛を手に受け取り、その美しい模様をながめながら、カイルの微笑みに感謝の気持ちを込めた。
家に帰るとエマは竈の前にしゃがみこんで、火を起こしていた。いつもなら電気式でプロフを使った簡易なものしか作らないが、こういう時は限られた特別な日の習慣だった。
パチパチと火が音を立てると、火の中に葉っぱで包んだものを焚べた。
「何を作っているの?」
香ばしい匂いに誘われながら、サナは火に焚べたそれを見ながら尋ねた。
「お父さんの故郷の郷土料理よ。鹿肉をハーブの葉で包んで焼いているの。ハーブの葉から出る成分でゆっくりと火が通りながら、肉を柔らかくするのよ。サナに作ってあげるのは初めてだったかしらね」
サナは煙から出る匂いを深く吸って、お腹を鳴らした。「もう少し待っていなさいね」と言って母は慣れた手つきで料理をすすめた。
「バトラの世話をしていてどうだった?」
少し時間が経ってから突如として母が尋ねてきた。
「楽しいわ。バトラと心が通じ合うとき、私の心も解放されるの。何もかも忘れて自由になる瞬間がある。バトラとの縁が切れることはこれからもないと思う。」
サナはバトラと宙を舞った一瞬を思い出しながら語った。
「合獣は哀れな存在だわ。人のエゴによって、人のエゴのために使われる。合獣の世話は嫌いではなかったけど、人の汚いとこを見ているようで私は辛かった。」
エマは唐突に語り出した。
「合獣はこの世界を作りかえてしまうだけの力を持っているわ。でも、それを作り出したのは人間なのよ。人間は再生不能なまでに世界を壊してしまったけど、それでもまだ世界の支配者として君臨しようとしている。自然の秩序を無視して進む先に何があるのかしら。」
エマは一息に話してしまうと静かに腰をかけて、火の面倒だけに集中しているようだった。サナは会話に挟み込む余地がなかった。
焚べたものを取り出し、葉を広げるとフワッと香ばしい匂いがさらに広がった。「うん、いい感じだ」と小さくつぶやくとご飯の皿を並べ始めた。。
「サナ、お父さんを呼んできてくれるかしら。ご飯にしましょう。」
サナは黙って頷き、父の部屋に向かおうとした。
「サナ、さっきの母さんの話難しかったと思うけど、忘れないで。合獣は尊いけど、使い道を誤れば兵器になりうるわ。大人になるまでこのことをゆっくり反芻してみて。」
サナは振り向きながら小さく頷いて、居間を後にした。
父の部屋に入ると、腰掛けの椅子にたちながら部屋にある大きな棚を整理していた。埃と紙の本の独特の匂いが部屋に充満していた。
「この本は何?・・」
サナは唖然としてしまった。自分の家なのに、こんな本があるということを今まで知らずに過ごしてきた。
「ここにあるのは全て合獣に関する本だよ」
「こんなに本があること今まで知らなかった。」
「合獣は禁忌にあたるものだからね、その存在は巧妙に隠されないといけないんだよ。本も含めてね。」
そう言って父は棚から一冊の本を取り出し、椅子から降りるとサナに向かって本を掲げた。
「この本には合獣の歴史の初期の歴史を描いている。人類が合獣という存在をどのように生み出したのか、その時の時代背景、人々の生活等細やかに描かれている。ここにある本全てがそうした合獣と人との切っても切れない関係を描き出したものだ。サナにはこの歴史を背負う覚悟はあるかい。」
唐突に尋ねる父の声に戸惑い、サナはただただ呆然と父の姿を見つめていた。
「もしかしたらゆっくり話せる日は今日が最後かもしれないから、少しだけ父さんの話をしよう。バトラとの関係とも密接に結びついてくる大切な話だよ」
そう言ってカイルはさっきまで立っていた椅子に腰をかけて、サナにも近くの椅子に座るように促した。カイルは少し躊躇いがちに話を始めた。
「1000年ほど昔、まだ合獣は存在しなかった頃だ。人はこの地球を作り替えてしまうほど、人口が爆発し、贅沢を尽くし、夜でも昼のように明るく、至るところで夜のこない街が生まれていた。人は競うように高い建物を作って、狭い世界にギュウギュウに押しつぶされながら、誰が一番優秀かを競い合って生きていた。
その世界には山脈を挟んで2つの大国があった。お互い競い合い、睨み合いながらも近代化を強固に進めていた。両大国は、量子エネルギーをベースとしたエネルギー開発で競いあっていた。エネルギーというのは言ってしまえば生命の源だ。それを自由自在に作り出すことは人類にとっての夢だった。そして数百年と時間を費やした結果、その夢のエネルギーをついに生み出すことに成功した。その恩恵は大きかった。あらゆるテクノロジーが加速度的に成長を遂げた、ロボティックスやAIなどの利用が一気に進み、人類はまた一歩先の世界に進んだ。エネルギーを大量に得た人々は使えきれずに最後には宇宙にまで飛び出そうとしていた位だ。」
サナは信じられないという顔を浮かべながら黙って話を聞いていた。
「だがある日事件は起きた。量子エネルギーを元にした発電所が暴発したんだ。世界中に高レベルの放射線が撒き散らされ、世界の20%が住めない汚染地域となった。その影響は世界にまで波及し、気候が変わり、多くの種が絶滅した。いくつかの種が絶滅するとドミノ倒しのように生命全体に広がっていった。人類も絶滅寸前にまで至った。」
「そんな話聞いたことない。」
サナは知られざる歴史の話に、口を挟んだ。
「そう、これは合獣とともに封印された歴史なんだ。そして皮肉なことに人は神になったことにより、自滅したんだよ。」
カイルは少し間をあけて力強く語った。サナは体を強ばらせながら真剣に耳を傾けた。
「ただ生命は力強く、人は住めなくても放射線の影響を受けながら、いくつかの種は住み続けた。放射線の影響でいくつかの獣が突然変異をするようになった。これが合獣の初期だ。そこから汚染されてきた世界でも生きていけるヒントを見出すために研究がされてきた。」
サナの瞳には、過去の出来事が映し出されるようだった。
「父さんは合獣を生み出し、平和利用するための研究をしている。一度だけその不毛の地に合獣を連れていき、合獣の生態を研究したことがあった。結果は驚くべきものだった。一年間放置したら合獣が生息していた範囲には森が生まれ、多様な生命が吹き込まれていた。」
カイルは大きく息を吸い、丁寧に言葉を紡いだ。
「俺らはそれを『合獣の森』と名付けた。合獣はこの世界を作り替えるだけの力がある。良くも悪くもな。」
「合獣は森をつくるために研究されていたの?」
サナはカイルに向き合い、問いを投げかけた。
「表向きには食料生産のためだが、現実には戦争の武器にできないかという点で国から予算が降りていた。いつの時代も時代を進めるのは戦争だった。俺たちは、その不都合な真実を書き換えるための別の道を模索していた。」
カイルの深刻そうな顔を見て、サナは察するように聞いた。
「合獣が戦争に使われそうなのね。」
「ああ、大きな汚染や気候の変動もあったが、人類が減ったことで安定してきた。幾分か人類にとって住みにくくなったが、生命の回復力は凄まじく大きな過ちを反省し、世界は幾分かましになったはずだった。
それでも人間の本質は変わらないのかもしれない。今どこかで世界のバランスが崩れ始めている。何かしらの意図が働いているのかもしれない。俺はそれを見極めるために行かなければならない。」
カイルは最後には椅子から立ち上がり、あたりを右往左往しながら語ると椅子に戻り腰を据えた。
「だから(・・・)」
「サナ、何をしているの?早くしないとご飯が冷めてしまうわ。」
サナはカイルが最後に何か付け加えたのに気づいたが、エマの声が下から響いてきた。なんて?と返そうとするが、カイルが遮るように軽口を叩いた。
「早く行かないとエマが怒ってしまうね。」
カイルはそういうと食卓に向かって腰を上げた。
「サナ、君が本当に歴史を必要とする時にこの扉は開くようにしておこう。今の話は誰にも話してはいけないよ、エマにもね。今は胸の中にしまっておいてくれ」
去り際にそう言うと、カイルは階段を駆け下り、サナも後に続いた。
食卓に降りると特別な晩餐の夜には、香ばしいハーブに包まれた鹿肉が食卓に並んでいた。温まった部屋にはぬるっとした暖気と、ハーブの芳醇な香りが満ちていた。
食事の最後には、特別な日にふさわしいお酒が振る舞われた。カイルは丁寧にワインを注ぎ、家族は乾杯を交わした。
「これはお前たちの未来への幸福を祈っての乾杯だ。」
カイルの言葉とともに、ワインの杯が重なり合った。さっきまでの話はなかったように、その瞬間は家族は温かい絆で結ばれていることを確認し、未来や過去から離れ、ただただ家族との時間を共有した。
サナは鹿肉を手に取り、口に運ぶとほっぺたが落ちるような美味しさに衝撃を受けた。
お酒を交わした後、家族は笑顔でおしゃべりを楽しんだ。サナは家族の一員として、これまでの思い出や感謝の気持ちを分かち合いながら、特別な夜を過ごしていた。
そして、お酒のほろ苦さや温かさとともに、家族の愛がこの特別な夜を彩っていた。食事が終わり、家族はおしゃべりに花を咲かせながら、川の字になって眠りにつくのだった。
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