合獣の森 1-4章
第1−4章:空を舞う
ジュンはエマの厳格な条件のもとで合獣たちとのふれあいを許可され、これまで以上にエマの家に頻繁に通うこととなった。とはいえ、最初の数週間は、合獣に関する基礎的な知識と自己防衛に関しての指導をエマから受け、徐々に合獣たちとの接触を学び、新たな経験と知識を積んでいった。
最初の日々は緊張の連続だった。合獣たちは大人しいとはいえ予測不能で、ジュンは彼らに注意を払いながら触れ合った。エマはジュンに感情を持つ生き物をどのように尊重し、信頼を築くか指導した。
「合獣たちには敬意をもって接することが大切よ。彼らは知恵ある生き物で、感じる心を持っているのだから。」
ジュンは頭ごなしには受け入れてくれない合獣たちと向き合い、じっと耳を傾けた。そうして時間をかけながらコミュニケーションを取り、最初はお互いに警戒心を抱きつつの交流だったが、次第に互いを信頼し合うようになった。
ジュンの成長は素早く、ひと月もたたないうちに彼はサナよりもテキパキと合獣の世話ができるようになった。彼は合獣たちに声をかけ、餌を与え、ケアをし、信頼を築いていった。ジュンは確実に合獣たちが彼に少しずつ心を開いていくの感じていた。
何度も合獣の世話をする中で、ジュンの精神や感覚は研ぎ澄まされていった。合獣にも性格や個性の違いがあることに気づき、そうした新たな発見がジュンの大きな原動力の一つになっていた。そうした中いつもの通り世話をしていると遠くから普段聞こえない美しい鳴き声が、そっと耳に届くことに気づいた。
「サナ、今聞こえる音ってもしかして・・・」
「あら、気付いた?これがバトラの鳴き声よ。この鳴き声が聞こえることは滅多にないのよ。竪琴を鳴らすように遠く震えるように響いてくる。そういう生き物なのよ」
ジュンとサナは、仕事を中断し雪の中に横たわりながら、ただただその美しい音にだけ神経を集中させた。透き通るようにどこか遠く儚げで、その響きは、まるで大自然の魔法が込められたかのようだった。ジュンはこれまで以上に好奇心を掻き立てられるようだった。
(・・・世の中には様々な生き物がいるんだな、なんとかして会うことはできないだろうか)
「サナ、君はバトラにあったことがあるのだろう。どんな生き物だったんだ」
サナは合獣の体毛の美しさや、誇り高い姿をあたかも自分の誇りのように語り出した。サナにとって、合獣という存在が大きなものであることを感じざるを得なかった。
「でも、ママがいうようにバトラに会おうなんて考えてはダメよ。」
「どうしてさ、僕はよくやっているだろう。世話やりも今はサナと比べたって上手くやっていると思うよ」
「そういう問題じゃないのよ。バトラという存在がいること自体が隠されているのよ。私でさえ、パパがいる時にしか会わせてもらえないわ。」
ジュンは失望の顔を浮かべたが、バトラとの邂逅に対する彼の情熱は衰えなかった。バトラの存在は、彼の心に不思議な魔法をかけていた。追い討ちをかけるようにサナは語りかけた。
「それにバトラの住処は、雪道を特定のルートを辿っていかないとたどり着けないわ。そして、着いても認証しなければ入ることはできないのよ。だからジュンが自力でバトラの場所まで辿り着くのは不可能に近いわ。」
「やっぱり諦めないといけないのかな」
サナはそんなジュンを静かに自分の胸に引き寄せ、明るく微笑みながら耳元で囁いた。
「これは独り言だけど、明後日の朝、パパにバトラに会わせてもらえるのが楽しみだなあ。雪で足跡が着いてしまうけど、まさか朝早い時間に誰かがこっそりついてくることなんてあるはずがないわ。」
「君は悪い人だね」
ジュンとサナはお互い顔を見合わせて、声を立てて笑いながら約束の日がくるの待ちわびた。
その日はまだ日も出ない薄暗い夜明け前に目を覚ました。吐く息が凍てつくように白く、肺が凍りそうな寒さだった。ジュンは、全身を覆い隠すような防寒をしながら、顔を隠すまでマフラーで覆いサナとカイルがバトラのとこに向かうのを待っていた。
じっとしているとそのまま凍えてしまいそうなので、雪を踏み固め少し足踏みをしながら待っていた。やがて山の奥が少しずつ黄色っぽく染まっていき、さっきまで広がっていた世界を覆うような全面の宇宙の世界が少しずつ太陽に飲み込まれていくようだった。
(・・・太陽が出ても星たちはきっと太陽の影に隠れながらも輝いているんだろうな)
そう思うとなんだか太陽も星も繋がっているような感じがして不思議な気持ちがした。そうやって物思いに耽りながら時間を過ごし、日が昇るのとほとんど同時に、奥から小さな人影が歩いてくる様子が見えてきた。
ジュンは風でできた大きな雪の吹き溜まりに身を隠しながら、黒い影が近づいてくるのをそっと見守っていた。だんだん影の姿が小さな影と大きな影に分かれていき、そのまま少し遠くの方で通りすぎるのを待った。
二人が十分見えなくなるのを待ってからジュンは雪についた足跡をたどっていった。斜面が全面真っ赤に染め上がり、朝焼けの中に足跡が続いていた。いつも見慣れている景色がまるで違う景色のように見えた。
ひたすら足跡だけを追いながら歩いていると、やがて本当に見慣れない景色が広がっていることに気付いた。サナの家からはそう遠く離れていないはずだし、サナの家の周りは遊び尽くしているので、知らない場所などないはずなのに、周りの景色は明らかにジュンが知っている場所ではなかった。段々と来てはならない場所に来てしまった気がして、ジュンは急に冷や汗が流れるのを感じた。
(・・・ここまで来て引き下がるわけにはいかない)
ジュンは覚悟を決めて、とにかく前だけ向いて進むことを決めた。どこまで続くかわからない道のりは長く、気が遠くなりそうになりながらひたすら歩いた。日が頭上に昇る少し前に、ジュンは足を止めた。
(・・・どういうことだろう。さっきまで続いていたのに急に足跡が消えた。それに正面はなんだか異様な雰囲気がする。)
本当に来てはならない場所に来てしまったと少し後悔の念を感じながら、ジュンはその場で立ち尽くした。この足跡より先に進んでしまったらそれ以上はもう戻れない気がして足がすくんだ。
そんな時、ほろろん、と奥の方からバトラの鳴き声が聞こえてきた。
(もうすぐ近くにいる。バトラが僕のことを呼んでいるんだ。)
ジュンの小さな、だけどとても大きな一歩を踏み出すと、その先にも足跡が続いていることに気付いた。景色も岩が目立つようになり、ますます目的の場所に近づいている予感に、ジュンの足は早まった。パッと前方を見上げると小さな木の小屋がジュンの前に広がっていた。
小屋の前で、サナとカイルが認証をし入るところを見た。しばらくすると小屋の中からサナよりずっと大きな合獣が現れた。バトラが背伸びをするように頭を逸らすと、あの美しい鳴き声が辺り一体に響き渡り、彼らに温かな歓迎の様子を浮かべていた。
ジュンは胸に手を当てながら、この小さな感動をゆっくりと噛み締めるように、サナとカイルが世話をする様子を遠くから見守った。ジュンはこれが先にも後にも人生で最も印象的で感動的な瞬間の一つになるだろうということを悟った。
それからしばらくの間、ジュンはバトラとの出会いを思い出すたびに、彼の心は高揚し、不思議な感触が胸中を満たした一方で、なぜバトラが隠されているのか、あの小屋がどこにあるのか、どのようにしてそこにたどり着くのか、ジュンはあまりにも謎めいたバトラという存在に興味を抱いた。
「カイルさんは、道中何かヒントになるようなことを言ってなかったの」
いつもの通りジュンはサナと一緒に遊びながら、小屋の場所について何かしらの手がかりがないかを模索していた。
「パパとは道中ほとんど無言だったもの。私も一人であそこにたどり着けたことはないわ」
「地図を見てもあんな特徴的な場所はないぜ。どういうトリックが使われているんだろう。」
彼は地図や星座の本を読み、小屋の場所を特定しようとしたが、実際に地図通りにその場所に行っても小屋はまるで魔法のように姿を消すかのようで、見つけることはできなかった。
「なんで星座の本なんて読んでるの?ジュンは星が好きだったっけ」
「星は好きだけど、それが理由じゃないんだよ。昔は天文学と言って星を頼りに目的地まで向かったらしい。ここらへんはよく星が見えるし、もしかしたら何かが見つかるかもしれないと思って」
その時、サナは頭の中で何かがひっかかった。星座、星、星座、星・・・、サナは独り言をポツポツと呟きながら必死に彼女の中に残っている何かを引き出そうとした。
「何か思い出したことがあったのかい」
「少し黙ってて、今思い出せそうなの」
しばらく沈黙が続き、ジュンは黙って星座の本をめくっていた。やがてサナが小さく口ずさみ、何か思い出したようだった。
「そうよ、そうだわ・・何で忘れていたのかしら。歌だわ、ママがよく読み聞かせてくれた歌があったわ」
「歌?歌が何かのヒントになるの?」
サナは母が子守唄代わりによく聴かせてくれた歌を、自分がもっと小さな時に寝る前によく聴かせてくれたあの歌を思い出しながらジュンに聞かせるように歌い始めた。
北極星の輝き、夜空の指針
星座の中で導く者、星々の航路
永遠の闇の中で輝き続け
バトラの隠れ家、あなたの望みの先
北極星の光を背にし
古(いにしえ)の氷の川へ至る
急峻な壁を下り
朝日の到来、道を照らすべし
歌が終わってもジュンは黙って何か考えるように俯いたままだった。何か古くとても懐かしいような感じがし、サナの優しい声が、心に染み入るようだった。ジュンがしばらく黙っていたのでサナは少し期待外れだったのかもしれないと落ち込んだ。
「この歌がヒントになるかもしれないと思ったんだけど、そうでもなかったかな。」
「そんなことはない・・と思う。今までノーヒントだったのに手がかりができただけでも強力だよ。」
「でも、どうやってこれを使ってバトラの場所を見つけるの?」
「きっと星座を使うんだと思う。でも歌だけだとヒントが少なすぎるし、当てにできない。それに歌詞の全てを理解するのはとても難しそうだよ。」
「そうね。でも、星座や北極星を組み合わせて、特定の方向に進めば、バトラの隠れ家に近づけるかもしれない。」
数ヶ月にわたり、ジュンとサナはバトラの隠れ家を探し続けた。星座や地図、歌詞を駆使し、毎日根気よく研究しました。
星を観察し、星座の位置を記録し、その星座を目印に、山道を進んでみたりした。また、歌詞と地図を照らし合わせ、可能性のある場所を特定しようと試みた。地図上のポイントを訪れ、歌詞のヒントになりそうな景色や特徴を探し出した。
エマにもさりげなくヒントを聞き出していた。意外にもジュンは人の懐に入りながら情報を探り出すということに長けていた。こういうことはサナの領分ではなかったので、カイルから情報を引き出すことはできなかったが、それでも着実に前進していた。
最終的に、星座のガイドと地図上の特定のポイントが一致し、歌詞が物語に繋がっていることに気付いた時、ジュンとサナは心してバトラのいる場所へ向かった。
バトラのいる場所に近づくにつれ、周囲の景色はどこか見覚えのあるものに変わっていくのをサナは感じていた。匂いや外の空気が懐かしくなり、ずっと昔から知っていた場所に変わっていた。
「ママ、ここはどこ?」
「ここはね、バトラが住んでいるお家よ、バトラは気高く美しい生き物なのよ。その鳴き声は竪琴のように響き、その翼は風を切る。」
サナはその鳴き声や、風に伝う匂いを頼りに駆け出した。走って走って小屋
にたどり着くとカイルが待っていた。
「サナ、よくここまで頑張って来たね。とても偉いよ。」
「パパ、あのね、すごく頑張ってきたんだよ。一生懸命色々調べて、お母さんがよく歌ってくれた歌を頼りにしながら頑張ってきたの」
カイルは優しい笑顔を浮かべながら、サナの頭をそっと撫でた。
(あれ・・何か大事なことを忘れているような・・)
「そうかよく頑張ったね。バトラも歓迎しているようだね。そっと撫でてごらん」
サナはカイルのいうままにそっとバトラを撫でた。その瞬間、手と手を繋ぐようにバトラと心が繋がるような感触を覚えた。バトラが何を考え、どうしたいのかが痛いほど伝わってきた。
「パパ、バトラが背中に乗ってほしいって言ってる。私には分かるの!乗ってもいい?」
「サナがそう言うなら乗ってみなさい」
カイルがサナを持ち上げ、バトラの背に乗った。足からバトラの体温、匂い、汗や呼吸が伝わってくるようでその瞬間、サナはバトラであった。バトラの背中にしっかりと座り、風に吹かれながらサナは空高く舞い上がった。地上の建物が一瞬で砂粒のように小さくなり、空は自分の世界になった。太陽も星も飛んでいる間は全て彼女のものになり、空を駆け巡る自由とその畏怖に慄いていた。
(このままどこかへ遠くまで行ってみようかしら、ママは許してくれるかしら)
あれっママ?ママはどこに行ったのかしら?それにここまでどうやって来たのだったっけ?
(・・サナ、サナ)
(お母さん??)
「サナ!」
「サナ!大丈夫か?」
サナは少し頭が痺れるような痛みを感じながら、自分が横になっていることに気づいた。風を通さないように雪の壁に隠れたところでジュンが敷いてくれたマットの上に寝転がりながら彼の上着を羽織っていた。ぼんやりとした表情で周囲を見渡しながら、サナはジュンに微笑みかけた。
「ちょっとぼーっとしていたみたいだけど、私は大丈夫よ。大丈夫というより気分はとてもいいわ。」
「本当に大丈夫か。さっきまで自分が何をしていたか覚えているか」
「あまり覚えていないわ。でも昔の夢を見ていた気がする。パパとママに囲まれながらバトラと一緒に空を飛んでいたの。空が広くて、風に乗っているようだったわ」
「サナ、君はここがどこだか分かるか。」
そう言われて初めてサナは、周りの景色をよく見渡した。慣れ親しんでいる景色ではないが、それでも忘れることのない場所だった。
「私たち、バトラの小屋まで来たの?どうやって?」
ジュンはその経緯を語り始めた。最初は地図や星座を頼りに進みはじめ、ジュンもサナも記憶を頼りにしながら、確実に進んでいた。次第にバトラの鳴き声や匂いが感じられるくらいまで近づいてくると、サナの様子は変わっていき、ぼんやりとした表情が深まり、彼女の瞳の色は赤く染まっていた。ジュンは、サナの異変に戸惑いと違和感を感じ始めた時、サナが確信めいた足取りで進み始め、進路を見失うことなくバトラのいる場所まで駆け出していた。
ジュンはバトラの姿に感動する一方で、サナの異変は止まらず、そのままバトラに近づいてその背中に飛び乗っていた。幸いにバトラはしばらくすると元の場所まで戻ってきてくれたが、サナは失神しており、風の当たらない小屋の中で休ませていたところだった。
やっとの思いでサナの背中を追いかけ、ついに小屋の外までたどり着き、ふと空を見上げると、そこにはバトラとサナが浮かび上がるような姿があった。サナはバトラの背中に座り、バトラは優雅に空を舞っていました。その背中に座るサナは、風になびく髪と共に空に舞い上がり、星々の光に照らされていた。
まだ日が出る前の薄暗い夜空の中、バトラの美しい翼が雪の結晶のようにキラキラと輝き、星の数々を繋ぐように空を舞い続け、瞬く間に見えなくなった。ジュンはその圧巻の光景に見とれる一方で、それは彼にとって大きな脅威になりうるようにも感じられた。
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