合獣の森 第2−3章

第2−3章:旅立ち

翌朝、家族は静かなる別れの時を迎えた。陽が窓から差し込み、部屋には穏やかな光が満ちていた。サナは窓辺に立ち、地平線に広がる雪景色の遠く果ての世界を想像しながら見つめていた。朝風が窓辺のカーテンを揺らし、サナの髪をなでるようにそっと触れていた。この氷に閉ざされた大地でさえ、少しずつ日は伸び、徐々に春の香いが運ばれてくることを感じた。窓越しに軍の車が向かってくるのが見え、サナは慌てて居間の方に降りた。

カイルはすでに旅立つ準備を済ませており、お別れの瞬間までの僅かなエマとの時間を大切に過ごしていた。軍のお迎えの車が静かに家の前に停まり、家の扉を開けると若い青年らが敬礼をしながら立っていた。

「では行ってくるよ」

そう言うとカイルは優しくエマの肩を抱き寄せ、キスをした。それは永遠とも呼べるほどに深く、そして一瞬だった。その時だけは時間という概念から離れ、その場の空間からも隔絶され、二人だけの王国を築いていた。

「行ってらっしゃい。サナのことは任せておいて、しっかりと面倒をみるから。あなたの旅路に神の祝福がありますように。」

そうやってエマは涙をこらえながら、祈りを込め、微笑み返した。二人の目には、別れの寂しさと家族への深い愛情が宿っていた。

次にサナがゆっくりと歩み寄り、カイルに抱きつくと、カイルは抱擁しながらやさしく彼女の頭を撫でた。

「母さんのいうことをちゃんと聞くんだよ」

「うん、わかってる。絶対戻ってきてね。約束だよ」

二人はもう一度ギュッと抱きしめ合うと、カイルの体温や力強さがサナにも流れ込んでくるようで、涙が溢れ出してきて止まらなかった。

そして、カイルは家族との最後の挨拶を終え、車に向かって歩み出した。そして青年らも再度お辞儀をしてから車に乗り込み発進した。車は雪道をひたすらに真っ直ぐに走り続け、サナはその車の姿が見えなくなるまで、そして見えなくなってもしばらくの間は涙を流しながらずっと手を高く上げてその手を振っていた。


カイルが去った後、サナとエマの家には寂しさが漂っていた。大切な何かが欠け落ちたようで、家族に大きな隙間ができていた。エマは心を落ち着けようと、厨房で茶を淹れていたが、その様子からも寂しさがにじみ出ていた。その様子を見ているとサナは急に不安が立ち込めてきた。

そばに行くとそんなサナの様子を見て母は、サナがもっと幼かった時のように、サナを膝に座らせてすっぽりと抱きかかえてくれた。

「これから私たちどうなっちゃうのかな。」

エマはサナの頭をそっと撫でながら、やわらかな微笑みを浮かべた。

「ここから西にあるオアルト山脈を超えて、サルーラという都市に向かうわ。そこにはお父さんの故郷がある。人伝てを頼っていくわ」

サナの言葉に、エマはしばらく黙っていた。部屋の暖炉からは暖かな光が踊り、小さな窓からは外の冷たい空気が差し込んでくる。エマはサナの手を取りながら深いため息をついた。対岸に広がる風景は変わりゆく未来への不安が入り混じったものだった。

「サナ、この旅は正直に言ってかなり厳しいものになるわ。飛行機で国外に出るにはさまざまな理由が必要で、国外に逃げ出せないようになっているの。だからオアルト山脈を超えないといけないわ。厳冬期には越えられないし、本当に厳しい山脈なのよ。これまで多くの命を奪ってきた場所だわ。」

「えっ、そんなに難しいの?」

サナは旅の厳しさに顔をしかめた。

「そうなの。だからもう少し暖かくなる間氷期になって、雪が落ち着いてきたら出発するわ。」

「でも、戦争が近づいているのに大丈夫?」

「そうね。だけどオアルト山脈を冬に抜けるのは現実的ではないわ。だから今のうちに色々準備をしておいて、夏に山を越えられる準備をしておく必要があるわ。

まず、山を越えられるだけの装備や食糧を用意しておかなければならない。途中で都市によって食料なども調達できるかもしれないけど、戦争にやられれているかもしれないし用心に越したことはない。そして私たちも山を越えられるだけの体力をつけないといけない。そしてそうやって逃げるのに移動の痕跡は残さないように気を付ける必要がある。そうした知識も身につけないといけない」

エマの重たい話にサナは気が滅入っていた。ただでさえ、カイルがいない不安がある中でそのような過酷な状況に耐えられるのか自信がなかった。そんな様子を見て、エマはさらに深くサナを抱えて明るい話題に話を変えた。

「母さんはこっちに来る前にサルーラで一夏を過ごしたのだけど、まるで未来都市のようなところなのよ。工業都市だけど、そこには最新の技術と機械が溢れているの。スノーラインとの境界に位置しているから、寒冷な季節にも最新の技術が活かされているの。

夏になると、一気にこの街が生き返るの。草木が茂り、花が咲き乱れ、まるで絵画のような美しい風景が広がるの。なかなか氷に閉ざされたネーデルにいるとピンとこないかもしれないけど。それがまた、未来都市としての厳格なイメージとは対照的で、本当に魅力的なのよ。

その短い夏の間に、人々はロボットや自動機械を使いながら収穫をし、収穫祭ではみんなで集まって楽しい時間を過ごすの。食べ物が美味しくって、笑顔が絶えないんだよ。技術と自然が一体となった美しい風景が広がって、そうやって人と機械が共存している街なのよ。

だから悪いことだけしかないわけではないわ。そこに行くまでは確かに過酷かもしれないけど母さんとそこで新しい生活を楽しみましょう。」

サナはそれでも言葉にならない不安を強く感じていた。だけど深い闇の中の一縷の希望を抱きながら母の手を握りしめ、この過酷な旅に備える決意を固めた。



カイルが家を出てから数ヶ月が経った。風の香いはずいぶんと変わり、南から湿った緩い空気がやってきて、白夜に近づき太陽が水平線を這うように夜でも顔を出すようになっていた。雪が完全に溶けることはなくても、晴れる日が続き、人を含めて多くの動物たちは活動しやすい時期になった。サナは母とジュンと共に家の外に立ち、日差しを感じながら準備を始めた。この旅にはジュンも同行することが決まっていた。エマは丁寧に食料や必需品をリュックに詰め込み、サナは手に持った地図を見つめながら出発の計画を練っていた。

「サナ、これからは気を付けないといけないことがたくさんあるわ。人の少ない道を進むこと、食料や水を節約すること、そして何よりも移動中には人には気づかれないように注意深く行動すること。」

エマの声にサナは頷き、ジュンも黙って準備を進めていた。出発の時が迫るにつれ、家の中に残された思い出が一層鮮明に感じられた。

そしてついに、準備が整った日が訪れた。重い足取りで家を後にし、オアルト山脈へと向かった。寒さと厳しさが試される旅路だったが、結束が彼らを支え、サルーラへの旅が始まった。

旅路の途中、エマは彼女が持つ知識を駆使して一行を導いていた。道すがら、彼女は植物や草花についての知識を優雅に語りながら、どの植物が食用に適しているかを教えてくれた。

「この赤い実はウィンターベリー。寒冷地に生息しているけれど、栄養価が高く、食べられるのよ。」

サナは驚きと共に興味津々でエマの話に耳を傾けていた。エマの語る植物たちは、彼女の経験と知識に裏打ちされ、まるで自然の図鑑のようだった。

また、夜にはキャンプを張り、エマが星空を仰ぎながら語り始めた。

「星座にも注意しないと。北極星が北を指していることを知っている?それがわかればどこにいるかも分かるし、方針を立てやすくなるわ。」

そして寝床につく前には、エマが地面のわずかな変化や動物の気配からも安全な場所を見つける方法を教えてくれた。ジュンも、エマの教えに真剣な表情で耳を傾けていた。

サナは母の知識の豊富さに改めて驚き、同時に母がこれほどまでに広範で深い知識を抱えていたことを初めて知った。家でみるエマの様子とだいぶ違ってイキイキしているように感じられた。サナはそんな様子にエマの意外な一面を見たように感じた。それはただの知識以上に、エマがこれまでに過酷な状況を生き抜いてきた過去を彷彿とさせるものだった。


そうやって数日が経ち、オアルト山脈は一層サナたち一行を大きく立ちはだかっていた。オアルト山脈を超えるには、その玄関口である麓の街を抜ける必要があった。そこから一本道が続き、オアルト山脈を超えられるのだった。そのタイミングでサナたちは街で食糧や必需品を調達しようとした。

街に近づいていくとなんだか様子が明らかにおかしかった。人々の出入りがほとんどなく、近づいていくにつれて焼け焦げたような匂いが鼻につくようになっていた。なんとなく嫌な予感を全身に感じながら緊張した趣きで街に向かった。

そこに辿り着いた時、サナたちは唖然とした。そこにあったのはかつての繁栄とは裏腹の焼け野原であった。どうやら紅藩王国の軍勢が無慈悲な攻撃を仕掛け、街は灼熱の焼夷弾によって容赦なく燃え尽くされていたようだった。

サナは歩みを止め、焼け跡に広がる荒廃を見つめた。空から爆弾が落ち、その爆風が街を襲い、建物は崩れ、火花と煙が立ち昇り、街は一瞬で地獄絵図となる姿を想像した。死体の残骸や焼けた灰が散乱し、燃え尽きた建物からは異臭がただよっていた。

サナは焼け野原で初めて戦争の痕跡というものに直面し、その残酷な光景に言葉を失った。焼け爛れた建物の残骸、血に塗れた土壌、そしてまだ冷めていない死体が道路に散らばっている光景に、彼女の心は凍りついた。

急に吐き気を催して、ここに立っていられないほど震えが込み上げてきて、その場で蹲った。自分は死ぬかもしれないという恐怖感よりも人が人を殺すというその非道徳的な人間が存在するということ。そして自分も同種であるということにたまらないほどの嫌悪感と憎しみが込み上げていた。

「サナ、ゆっくり深呼吸をして。息をゆっくり吸って吐くのよ。」

エマの言う通りに呼吸を少しずつ整えていく。途中焦げた香いや腐敗臭が鼻をかすめ、吐き気が募ったけど、呼吸を落ち着かせていくと少し心も落ち着いてくるようだった。

「立てる?ここは危険だから、早く立ち去らないと。」

エマは冷静に状況を見極め、サナの手を取りながら言った。

「でも、なんでこんなことが…?」

そう言いながらエマの手に引かれるままにサナは歩みを進めた。ひとまず目立たない場所に隠れてからエマは語った。

「戦争というのはこういうものよ。人の欲望やエゴ、プライド、正義心が複雑に絡み合い、人を戦いに駆り立てるのよ。戦いはお互い疲弊し、疲弊したのちに残るのは憎しみだけだっていうのにね。」

まだ熱を帯びる焼け落ちた建物に手を触れ、戦いの跡を感じた。

ジュンは何を思っているのか呆然と遠くを見ていた。建物の先からオアルト山脈がはっきりと見てとれ、この憎しみの渦の中にあっても、いやその遥か昔の人が誕生したときから変わらずその歴史の繰り返しを眺めて、そこに居座り続けていたのかと思うと可笑しく思えた。


しばらくしてから一行は進んだ。焼け野原の中を進むサナたちは、まるで滅びた文明の中を歩いているかのような錯覚に陥った。建物の骨組みがただれ、焼け残った壁は影を落とし、歪みきった窓からは昔の生活の名残が見え隠れしていた。

彼らは遺跡のような場所を慎重に進んでいく。足元には粉々になった建物の瓦礫や割れたガラスが散らばり、進むたびにギシギシと音を立てた。まだ軍が残っている可能性が十分にあったので、焼け野原を通りすぎるには、軍の監視をかわして慎重に進むしかなかった。

突然、エマが手で合図を送った。「止まって。」

目の前には軍の監視役がふらついているのが見えた。壊れた建物の影に身を潜め、サナとエマは息を潜めた。

監視役たちは焼け野原を徘徊し、時折遠くの建物の残骸に隠れているサナたちに気づいて近づいているように見えた。

「どうすれば…?」

サナはエマに小声で尋ねた。

「待って、彼らが遠くへ行くまで。そして、進もう。」

エマは囁くように言った。サナたちは息が止まるかと思うくらい、呼吸をひそめ、影に身を潜めていると、監視役の一人が不審げな視線を向けてきた。サナの心臓が激しく鼓動し、エマは落ち着いて手で合図を送った。

「こっちを見ているみたいだね。」

エマは冷静に言った。サナはふとした音で顔を上げると、監視役の視線が彼女たちのいる方向に向かっていた。何かを感じ取ったのだろうか。焦燥感がサナの中に広がり、彼女は動揺を隠せなかった。

「静かにしよう、彼が近づいてくる。」

エマがサナに囁いた。そして、彼女は腰に巻いた布を握りしめ、慎重に動かないように注意を促した。

監視役が急に歩み寄り、サナたちの存在に気づいたことを確信したのか、一気に駆け出してきた。エマは慌てずに手早くサナを引っ張り、サナも全力で足を動かした。

焼け野原の中での足取りは不安定で、時折躓きながらもサナたちは逃げ続けた。監視役は執拗に追いかけ、彼らの後ろからは怒号や命令が飛んできた。

「急いで!あそこに隠れて!」

エマが指差す方向に向かって、サナたちは最後の力を振り絞って逃げ続けた。途中で見かけた瓦礫に身を隠し、サナたちは息を殺して身をひそめた。

瓦礫の隠れ場所で息を殺しているサナとジュン。エマは視線を監視役から引きつけるために自らをさらす覚悟を決めた。

「サナ、ジュン、よく聞いて。このまま隠れていてもいずれ見つかってしまうわ。あなたたちはこの瓦礫の山を越えて逃げなさい。私はその間足止めをしているから。」

「いやだ。ママと逃げるわ、一緒に逃げようよ。」

サナが言葉に詰まりながらも必死に訴えた。そんなサナの頬をエマは撫で、優しく微笑んだ。

「私もいくつか戦う手段を持っているわ。だけどあなたたちを庇いながらだと戦えない。あなたたちは逃げて、私は戦う。これが一番生き残れる確率が高いわ。昨日過ごしたキャンプサイトは覚えているわね。あそこで合流しよう」

ジュンも悲しみにむせび泣きながらもエマに向かって頷く。エマは二人に背を向け、監視役に向かって歩き出した。

「サナ、行こう。こっちだ、早く!」

ジュンはサナの手をとり、再び瓦礫の中を駆け抜けた。

寒風が舞い散る中、サナとジュンは監視役の追跡をかわし、氷雪に覆われた道を全力疾走していた。後ろから迫る足音が段々と大きくなっていくのがわかったが後ろを振り返る余裕などなく、とにかく息をするのも忘れて走り続けた。

彼らの息は荒くなり、逃れる望みが消えゆく中、サナは絶望感に押しつぶされていた。もうダメかもしれないと覚悟を決めたとき、いきなり銃声が響き渡り、一瞬にして静寂が戻った。足音が急に止まり、凍てつく空気の中でサナとジュンは振り向いた。

雪に覆われた地面に、真っ赤な血しぶきが飛び散っていた。敵がいると思っていた場所にはエマが立ち、手にした拳銃から立ち上る煙が冷たい風に舞い散っていた。監視役は倒れ、雪原に真っ赤な血痕を残していた。しかし、エマもまた自身の体が傷つき、真っ赤に染まっていた。

サナはエマのもとに駆け寄り、彼女を支えるようにして言葉を発する前に、目に溢れた涙が雪に落ちました。

「銃を使ったから居場所がすぐにバレるわ。私はもう長くないし、動けそうにない。ここから早く逃げなさい。」

その時、泣き崩れるサナの首から首飾りが垂れ下がるのを見た。エマは驚きの表情でサナの首飾りを見つめた。

「サナ、その首飾りは・・・」

エマはサナの首飾りを手に取りながら、ため息をついた。

「おかしなことね。あれほどカイルが止めようとしていたことなのに。その要因を彼自身が作って、私が自体を引き起こしてしまうなんて」

エマは荒れた呼吸の中で少し口角を上げて、皮肉をこめながら言った。

「いい、私は今から大罪を犯す。決してマネをしてはダメよ。」

そういってサナの首飾りにある笛を手に取り、強く吹いた。サナはその笛の音がバトラが持つ鳴き声とそっくりなことに気づいた。どこまでも遠く、深い音色が響いたあとに、静寂が広がった。エマは苦しそうに呼吸を続けて、サナは励ますことしかできなかった。

しばらくすると頭上から大きな羽が空を切る音が聞こえてきた。突き抜けたような青い空に白い点が現れて、それが近づくに連れ、段々見覚えのある生き物に変わり、その音がどんどんと大きくなるとサナは何が起きたのかを理解した。

それは空中で優雅に旋回し、雪の結晶が翼の先にきらきらと輝き、日の光が白い毛並みに銀色の光を投影していた。何度か旋回を続け、やがて空を滑空しサナたちのいる方へ一気に向かってきた。強い風が吹き荒れ、しゃがみ込んで吹き飛ばされないようにしているのが精一杯だった。そして雪の粉が舞い上がり、翼の音も消えさると真っ白に染まったバトラのステラがそこにいた。

サナはステラが放つ香いと温度をずいぶんと懐かしく感じた。警戒した様子で立ちすくむステラを宥めながら、どうやったらみんなが助かるかを必死に考えた。エマの様子はますます悪化しており、ステラに乗せることが難しいことは一目瞭然だった。

サナはステラに近づき、雪の覆ったその毛並みにそっと撫でるように手を触れ、次に体を寄せてステラとの会話を図った。そうすることでサナはなんとなくステラの気持ちがわかるのだった。ジュンがぼんやりと眺める中、サナは深呼吸を繰り返し、ステラに乗る覚悟を決めた。しかし、不安が彼女を締め付け、心臓の鼓動が全身に伝うようだった。

「サナ、大丈夫、あなたなら飛べるわ。あなたはもう自由よ。」

エマが弱々しく微笑んで言いましたが、その瞳には不安と別れの覚悟が交錯していた。

サナは背中でエマを支え、ジュンにも手を差し伸べました。

「ジュン、一緒に来て。あなたもステラに乗れるようになるんだ。」

しかし、ジュンはまだ立ちすくんでいた。それでもサナは彼の手を引き寄せ、ステラの毛並みに触れさせた。

「ステラは頼りになる仲間だから。君と一緒に乗り越えよう。」

ジュンは首を振った。

「僕はここに残る。君だけでいくんだ。」

風が雪を舞い上げ視界が閉ざされた空で、突如として轟くような爆風が響き渡った。エマとサナは一瞬のうちにステラの巨大な影に身を寄せ、爆風から身を守った。風が激しく吹き抜ける中、サナはエマを抱きしめ、心臓の鼓動が轟音に混じるなかで不安な表情を交わした。

そして、ジュンは遠くまで吹き飛ばされた。彼の姿は爆風に押され、空中を舞い、遠くへと消えていった。サナは手を伸ばすようにしてジュンを呼び戻そうとしたが、風の勢いには逆らえなかった。

「ジュン!」

サナの声が、混沌とした白銀の世界に消え去った。一方で、ステラが降り立ったせいもあり、敵は様子を伺いながら、その影がますます彼らに迫っていた。

「サナ、行って!逃げるのよ。」

サナはステラの背に急いで乗り込んだ。

「ママも早く」

「お母さんはいいのよ。ステラとの旅は耐えられそうにない。あなた一人で行くのよ。早く行って!」

サナはいやだ、と涙ながらに叫びながら、ステラの上から動けずにいた。

「生きなさい、生きることと呼吸をすることは似ているようで全く違うわ。悲しみも憎しみも受け入れて、それを受け入れる美しさを愛しなさい。そして誰かを愛し、愛されて生きなさい。あなたを愛しているわ。」

そういうのと同時に大砲の轟音が響き渡り、気づいた時にはエマの倒れ込む姿と共に、真っ白な雪原に血飛沫が空中を舞い、赤に染めていた。体温は残っていたけど呼吸はしていなかった。エマの倒れた姿が、真新しい雪に哀愁の足跡を刻んだ。敵は恐ろしくもすぐそこに迫りくる中、サナはその光景に絶望の表情を浮かべた。

「エマーーー!!」

サナは絶望と怒りの中叫んだ。母の死を理解し、サナの瞳は深紅に染まり、心の中の怒りがその身に宿るようだった。サナはエマの亡骸を見据え、激しい感情に囚われていた。その激情に呼応するかのように、ステラの羽は燃ゆる炎で包まれた。

サナは手にした首飾りを握り締め、その怒りと悲しみが身体を震わせました。突如として広がった炎は、彼女の心の熱さを反映しているようでした。ステラの背に跨り、サナは怒りに燃える瞳を空に向けました。

(私は絶対に許さない・・・)

サナは感覚が鈍くなるのを感じた。冷たい雪の感触、手に伝わる武器の冷たさ、それらが少しずつ遠のいていくような気がした。だが、彼女はその感覚の鈍さを無視し、ただ一つの焦点、銃口を向けた相手に意識を絞り込んでいた。

その相手に向かってステラは駆け上がり、銃口を向けた相手を軽々と突き飛ばし、そのままの勢いで身体を大きく躍らせた。どすッと鈍い音を立て、憎むべき相手はあっさりと亡くなったが、彼女の瞳はすでに暴走しはじめていた。

ジュンは強烈な爆風に巻き込まれた後、身体は地面を転がるように吹き飛ばされていた。雪の結晶が舞い散り、彼は辺りの深い雪に叩きつけられ、動けずに、肺を凍らす冷たい空気の中何とか息をしていた。

彼の視界にはサナの姿が映っていた。彼女はまるで怒りに塗れた神々しい存在のように、炎を纏ったステラとともに高く空へ舞い上がっていた。瞳は深紅に輝き、その輝きは今までのサナとは比べものにならないほどに激しく、燃えるような怒りに身を包んでいるように見えた。

遠くから、ジュンは「サナーー!」と彼女の名前を叫ぶが、その声は雪と風に飲み込まれ、サナの耳には届かなかった。サナは力強く羽ばたき、高く高く昇り続けた。空に舞い上がると、燃え盛る炎の輪郭が彼女の影を赤く照らした。

悍ましい火の玉を掲げた彼女は、まるで復讐の女神と化していた。空中で静止すると、ステラは方向を敵の方に向けた。炎を纏ったステラはその口元一点に火を集中させ、一気に放射状に炎を吹き散らした。

熱風が彼女の頬を撫で、火花が空を舞い散った。まるで焦げ付いた空気の中で、サナは敵の姿を見失いつつも、炎に包まれた戦場を一望し、自我を取り戻した。その場は火と煙に巻かれ、破壊の光景が目の前に広がっていた。焼け野原と化した街並み、残骸の中で揺れ動く炎は、まるで地獄のような風景だった。

サナの中には衝動が渦巻き、彼女は自らが引き起こした破壊と、それに伴う罪悪感と恐怖が心を締めつけていくのを感じた。戦場の中での人々の叫び声、爆発音、焼け落ちる建物の音が、彼女の耳を圧倒し、心を揺さぶった。

(どこか…どこか遠くへ逃げなきゃ。)

サナは自らにそう告げ、意識の底から湧き上がる焦燥感に駆られるようにして、炎の海を後にした。手は悴み、息は凍るほど冷たく、急に徒労感が体をえぐるように強くなった。彼女はステラの上で倒れるようにしながら、ステラはサナの気持ちを押し図るかのように、ゆっくりと翼を羽ばたかせ、遠くへと去っていった。

彼女の姿が雪の中で次第に遠ざかっていく中、ジュンは寒さと無力感に震えながら、ただそこに立ち尽くしていた。サナとはこれで永遠の別れになることを予期した。オアルト山脈を見上げると、山脈に沈もうとする夕日の中、小さくなったステラの姿が夕日に溶け込み、ジュンとの別れを告げているようだった。

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