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この記事にタイトルはいらない

遠い昔、中学生時代には、「わがまま」「ひねくれ」「天の邪鬼」といろいろ言われてました。何気なく発したことなのに、素直に思った事を言っただけなのに・・・空気を読めていなかったのか。
かと言って、友達も少ない方ではなかった。多ければいい訳ではないけど。
だから、今はほどんど音信不通。連絡先を伝えてないのもありますけど。
尖っていましたが、現在は、改心しまして、丸くなっております。

時は過ぎて・・・

高校3年になったくらいの帰り路で、友達に「進学先決めた?」と言われ、いつもの調子で、「大学に行きたいよ。でも、俺なんかを入れてくれるような大学には行かねーよ」と返した。当然、友達は「ん!?」てなりますよねー。「ちょっと何言ってるか解らない」をサンドイッチマンより先に聞いた気がする。
「私、も一回聞くよ。進学先決めた?」
「俺が受からないような大学に行きたいな」
言い方を変えただけで同義なのでした。
「やっぱり解らない。違う話して帰ろっか」って帰った記憶がある。
結局、『俺なんかを入れてくれるような大学に行きました』となりました。

言葉って、難しいなぁと大学入って、改めて思いました。
矛盾に気づきましたよね?
自分自身で言って内容を破ってますので。
その後、忘れかけたころに
校舎の壁に「シール禁止!」って書いてあるシールが貼ってありました・・・
どう思いますか?
そりゃ、「ちょっと何言ってるか解らない」ってなりますよね。
友達の気持ちが分かりました。

似たようなパラドックス的な表現で
「二重否定でないものは使ってはいけない。」
「文章は最後まで書かなくてはなりま」
「誤字、脱寺に気をつけてくさい。」
「漢字を間違えるのは絶体に裂けなければなりません。」
「あま、り変なと、ころで、読点を使、わないよ、うにしましょう」
奇妙ですけど、面白いですね。

自己言及と自己矛盾。
正しそうに見えるけど、実は間違っている事。
間違ってるように見えるけど、実は正しい事。
矛盾をいかに発見するか回避するか、道具としてパラドックスは必要です。
論理的矛盾の追究が本質の洞察につながります。
古代ギリシャの賢者たちから受け継ぎ、次世代へつないでいくのでしょう。
疑いから真理にたどり着く。

あ、「この記事にタイトルはいらない」とタイトル付けたのは自己矛盾?

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