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チバユウスケと話した、ほんの一瞬の思い出話

「Rock」が嫌いだった。正確には「Rock」という言葉の虚像に群がる連中が嫌いだった。アーティストも、そのファンも。僕からすると、カッコ悪い代表だった。特に、日本人がそれを口にした途端、圧倒的なハリボテ感と共に、そのスカスカな精神が浮き彫り立つ感じがして、寒気がした。
「Rock」のさらに上をいく最悪な単語が、「Rock’n Roll」だ。ダサいを通り越して、死ねる。僕はディスる意味以外で、その言葉を口にしたことはない。その意味を履き違えたとしか思えない画一的なカッコをした偽物のオトナたちが、気安く「ロッケンロー!」などと叫ぶ。
本物がどんなものかも知らないが、こいつらが「Rock」なんかじゃないことは確かだ、そう思っていた。

チバユウスケが死んだ。食道がんだったそうだ。
そこに因果関係があったのかどうかはわからないが、僕の知る限り(と言ってもメディアを通した本当に小さな断片でしかないけれども)いつもビールを飲んでいたし、いつもタバコを吸っていた。

もう何年も前のフジロックで、夜、ライトを照らして道を歩いていると、前から明らかにフラフラと足取りのおぼつかない男が歩いてきた。隣の女性に腕を支えられて何とか歩いていた。すれ違い様、僕の手にしたライトを指差し立ち止まって言った。「おお、いいもん持ってるな、それ、貸してくれよ。真っ暗でなあんにも見えねえよ!」聞き覚えのあるしゃがれ声。片手に缶ビール。長身、顎髭。
チバユウスケだった。明らかに泥酔している。
こちらからは全く彼の目が見えない程の、濃い色のサングラスを掛けていた。
「サングラス、外せばいいじゃないですか」そう言った僕に「そんなの粋(いき)じゃねえ」とだけ言って千鳥足で僕を通り越し、そのまま歩き去った。
隣の女性が「すいません、ホントに」と頭を下げた。

カッコいい。素直にそう思ってしまった自分に驚いた。
粋とは、なんだ。
野暮の対義語とされる。
野暮とは、洗練されておらず、無風流、無骨。分からず屋で融通の効かない様。江戸時代、野暮は最もかっこ悪い代表だったそうだ。
そうか、今までの僕にとって「Rock」とは野暮のことだったんだ。

目の前のチバユウスケそのものじゃないか。
それなのになぜ、これがかっこいいんだ?

缶ビール、胸のはだけたシャツ、しゃがれ声、夜のサングラス。
「Rock」を絵に描いたようなステレオタイプだ。しかし、彼はそれを粋(いき)だと言った。きっと何の疑いもなしに。僕は、その純粋さに色気を感じたんだと思う。

野暮に色気が加われば、今まで見えていたカッコ悪い要素全てが、粋に転じる。その瞬間を体験した夜だった。

しゃがれた声で「Rock’n Rollを一曲!」と言って歌う彼の姿、それは粋であり、本物の「Rock」の姿なのだろうと、今にして思う。

世紀末に、僕が今ままで聞いてきた音楽全てを置き去りにする様な、圧倒的速さの16ビートで疾走したミッシェルガンエレファントの楽曲。
まさか人生までそんな早さで駆け抜けるなんて。55歳で逝かなくても、早すぎるよ。
引き際、散り際の良さこそ、粋の真髄とされるそうだ。
そんな死に様まで。カッコつけすぎだよ。
でも、カッコいいよ、粋だよ、チバ。「Rock」ってカッコいいんだな。知らなかったよ。教えてくれて、ありがとう。
最後に、一言、あんたへの賛辞を込めて言わせて欲しい。たぶん、もう2度と使わないこの言葉。あんたみないな本物には、もう、会えないからさ、たぶん。

「Rock’n Roll!」



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