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5年ぶりの社内駅伝大会を走り、あらためて知ったOさんの功績

毎年この時期に行われる、僕が勤める会社の駅伝大会。コロナでずっと開催が見送られてきたが、今年、無事に開催された。
なんと、5年ぶり。オリンピックよりも期間が長い。
しかも今年は、70回大会のメモリアル。
走るしかないでしょ!と意気込んだが、5年のインターバルの溝は、思いのほか大きかった。それまで毎年走っていた連中に声をかけても、反応がイマイチだったのだ。
いやー、もう無理っすよ、走れないっす。
とっくに引退しましたよ。
え?まだ走るんすか?すごいっすね。

1チーム、4人。たった4人集めることが、こんなに難しいことなのか。僕は、駅伝大会といえば彼、のOさんをずっと思い起こしていた。
走るのが趣味であるOさんにとって、会社の駅伝大会は年に一度の輝く舞台だった。自分が出場するのはもちろん、同じ建屋で働く多くの人たちに声を掛け、出場を促し、集まったメンバーをチーム分けし、その結果、毎年研究所7号館からは8チームほど、出場していた。大会後に体育館でおこなわれる交流会という名の飲み会も、7号館の出席者分の飲食物の全てを発注、準備してくれていた。
今年は、そのOさんがいない。約1年半前、違う部署に異動になってしまったのだ。

Oさんは、研究所の仕事があまり得意ではなかった。
それゆえに、周りからの彼に対する風当たりは強く、一応、チームのリーダーを担当している僕に、Oさんへの苦情を言われることは少なくなかった。
「ちゃんと出来るようにしっかり指導してよ」
「一緒に仕事してたら日が暮れちゃうよ」

とにかく、仕事が遅かった。他の人の倍を要した。〇〇しながら他の〇〇が全くできないため、全ての仕事が直列となるのが原因だった。他のメンバーたちは、測定に掛かる5分の待ち時間の間に、次のサンプルの準備をしたり、隣の測定機も同時に使用しながら、まるで1人流れ作業の如く、次々と伝票を消化していく。
そのやり方を、根気強くOさんに教えても、どうしてもダメだった。そのやり方だと、ミスを誘発してしまう様になったのだ。きっと、彼はそういう特性の人なのだ、そう理解した僕は、マルチな作業にならないポジションに、彼を配した。他メンバーの目から、彼を少しでも離そうとしたのだ。
その対応が果たして正解だったのかどうかは、わからない。そもそも、手先の器用さや、マルチな対応が求めれれる測定専門の部署に、不器用でマルチタスクが苦手なOさんの適所があったのかすら、怪しい。
その後、Oさんは2交代の製造部に異動になった。本人が強く望んだことであったと、後から聞いた。

今年、7号館からは3チームが参加した。僕もなんとかメンバーをかき集めることができた。他チームも、毎年自動的にチームの編成までしてもらっていたのとは異なり、メンバー集めに苦労したそうだ。
交流会の勝手もわからず、3チームそれぞれが別々に飲食物を発注したため、多くの非効率が生じた(飲食物に過不足が生じ、紙皿や割り箸などの準備にも不備があった)。参加チーム数減少も、交流会の不手際さも、その原因がOさんが不在であることを皆わかっていた。
そして、同時に、同じことを思わずにいられなかったと思う。
これを、毎年、Oさんは一人でやってくれていたのか、こんなに大変なことを、毎年毎年、ありがとう、と。

今年、Oさんは、製造部のチームの一員として出場していた。
全体で160チームを超える出場チームの中で、Oさんのチームは準優勝だった。優勝惜しかったですね、と話しかけると、子供みたいな笑顔で、嬉しそうに寄ってきた。今の職場はとても自分に合っている、そう話していた。さらに、色々と気を使ってもらったのに、ごめんね、と謝られた。なんのことだかわからず、?の顔をしていると、仕事で、迷惑掛けて、ごめん、と。

僕はなんて言い返せばいいのかわからず、こちらこそ、すいませんでした、とだけ言った。

そういえば、毎年、駅伝大会に出場したメンバーたちに、Oさんは一人一人、「出てくれてありがとう。来年もまたよろしく」と言って回っていた。本当は、お礼を言わなければならなかったのは、僕たちの方だったのに。

僕が寄せ集めたチームは、35位くらいだった(正式順位の発表は後日)。よく走った方だったと思う。

月曜日、出勤したら、まずは出場してくれたチームメイトに一声掛けたいと思う。
「出てくれてありがとう。来年もまたよろしく」


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