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からだの気持ちシリーズ・嗅覚が閉じてしまった私の五感の使い方

noteに「からだの気持ち」もいろいろUPしていきたいと思っています。今日は、何年も閉じてしまっている私の嗅覚についてスタンドFMで話してみました。お聞きください。


からだの気持ち・慢性副鼻腔炎(スタンドFM)

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五感の中でも嗅覚は最も本能に近い感覚です。それが10年くらい前、「あれ?においしてない?味もなんだかいつもと違うぞ」って思ってから、いわゆる皆さんが思う「嗅覚」とは違う感覚を持って過ごしてきました。「匂わないけど匂っている」「味がないけど、違う味わい方をしている」そんな感覚です。大変なことなんだけど、それでもからだは何を言いたいのかな?と考えていくと、私なりの嗅覚の使い方になっていくから「からだって本当に面白い!」

バナナの味を知っているから本当は味がわからないのに「記憶の中のバナナの味をちゃんと感じながら食べている」とか、「敏感になりすぎている感覚を柔らかくしてくれている」とか。この匂わないという経験から「からだ」の本当のすごさを体感しているといってもいいかもしれません。

ここでは慢性副鼻腔炎の気持ちをを中心に書かせていただきます。
私自身の難病指定「好酸球性副鼻腔炎」の気持ちを書いてみたいと思います。

長編なので、一気に読んでいただくことは難しいかもしれません。
自身の備忘録、慢性副鼻腔炎でお悩みの方の参考になれば幸いです。
2019年4月30日、好酸球性慢性副鼻腔炎の手術を受けたのですがその当時の
ブログ記事をまとめてみました。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術までの道のり(思い癖)

平成最後の日。
難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術を受けることになりました。お産以外で入院したことないですし、手術も生まれて初めての経験です。思い起こせば
「副鼻腔炎」とは小さいころからの付き合いでこの副鼻腔炎の状態を振り返ることで自分自身も振り返ることができそう・・・そう思ったので書いてみようと思います。

思い出せる一番古い記憶は小学生の頃。なぜ、覚えているかというと
夏になって「水泳」の授業が始まると副鼻腔炎がひどくなって
毎年2回くらいプールに入ったら後は耳鼻科の先生に診断書を書いてもらって見学する。そんな6年間を過ごしたからでした。

「からだ学」でいう「副鼻腔炎」の気持ちは「自分の才能へのふた」
「親の抑圧」。子どものころ、実の親なのに両親にとても気を使う子で
欲しいものをねだる・・・というようなことも1度もしたことが無い。

なぜそうだったのかは記憶があまりないのですが、いつも昼夜問わずに忙しくしていた両親、とりわけ、母を見ていたことで私が手をかけてはいけない。ましてお母さんにべったりだった弟を見ているとなおさら甘えることなんかできなかった。

「親からの抑圧」

子どもの時には自覚はなかったのですが、いつしか「私は良い子でいよう」というどこか信念に近いものが目覚めていたのだと思います。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術までの道のり(出産)


慢性副鼻腔炎で薬が欠かせなかった私が全部手放せた時期があります。それは長男、出産後です。それまでひどかった鼻の症状が突然なくなったのです。当時は出産で体質が変わったのだと思っていたのですが、今、思えば、自分が親になったことで「親からの束縛」が解かれた瞬間だったんだと思います。

3人子供を産んで専業主婦の間、症状は全くなく、その後、ドラッグストアに就職してからその仕事が天職だと思えていた20年間は本当にその症状とは無縁の私になりすっかり忘れているくらいのことでした。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術までの道のり(管理薬剤師時代)


症状が再発したのはドラッグストア時代、毎月主要店舗に「出張相談会」に
行くようになったころからでした。一店舗の管理薬剤師でありながら
他店に乗り込んで相談会をするのですからなんとなくプレッシャーは感じていました。誰一人私を責めたり、うとましそうにしたりする販売員は
いませんでしたし、むしろ各店舗の社員さんは喜んで迎えてくださいました。そもそもこの相談会が始まったのは、自身の接客が会社としての方針と合致していないのではないかと思って転職を考えたのがきっかけでした。

1通の転職サイトへのメール。

一店舗で接客していくなかで症状と思い癖をからめながらお客様に店頭でお話させていただくなかで独自のスタイルが目に留まり、上層部の管理職のお一人から逸脱した私を止めたいというプレッシャーを随所に感じるようになり転職を考え始めたときのこと。

管理薬剤師の転職サイトの仮登録をしてみようと思い、希望事項にチェックを入れてどんな選択肢が出て来るかやってみたことがありました。

そうしたら、なんということでしょう。その時、勤めていたドラッグストアがあなたに最適です!と返ってきたのです。あまりにびっくりしたのと
これはネタにするしかないと思いました。当時仲のよかった上司に笑い話として電話したらすごい答えが返ってきたのです。

「お前!笑っている場合じゃないでー。
『御社にぴったりの薬剤師さんがいます。』
と私の名前がその転職サイトからドラッグストアに流れてるぞー」って。

仮登録をそのまま流されると思っていなかった私。転職しようとしていたことが会社にばれてしまう。居場所がなくなる・・・・

そう思った時に救ってくださったのが「社長」でした。そのことを詰問することなく「今、君は何をしたいんだい?」と聞いてくださったのです。そしてその時に提案したのが今までずっと温めてきた主要店舗でのカウンセリングだったのです。何の躊躇もなく「やったらいい」と社長はおっしゃってくださいました。

それで始まった主要店舗での「相談会」は盛況で、毎回楽しかったのですが、こころのどこかで、とはいえ、「私をうとましいと感じている幹部がいるんだ」という思いが払しょくされることはありませんでした。

「才能にふた」

折角、のがれていた環境をまた自分で引き寄せてしまったのでした。やりたいことが薬剤師の仕事ではなく、からだの気持ちを通訳することだと気づいた私は思い切って天職だと思っていた管理薬剤師の仕事を辞めたのでした。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術までの道のり(喘息の誘発)


再就職先である「介護福祉用具の会社」では私の仕事の仕方に興味を持ってくださった社長から介護予防事業の立ち上げを任され、一人部署で全部自分で決めて事業展開していくことになりました。もちろん社長と相談しながらではあるけれど、やっぱりそのプレッシャーには敵いませんでした。

このころ、初めて「鼻茸」(ポリープ)があるから手術しないかと耳鼻科で言われました。

けれど、ポリープを取っても、再発することを知っていた私は手術しようとは全く考えませんでした。嗅覚テストをしたら異常はなかったので、匂いはしないが、根本的な五感はちゃんとある。そう思って手術の決断はできませんでした。

症状は悪化の一途をたどり、ついに重篤な喘息発作も続くようになりました。喘息の特徴は「息は吸えるけれど、しっかり吐くことができない」という状態に陥ります。これを一度やってみてください。相当苦しいことなんです。

呼吸が浅く、何をしたらよいのか自分の外の環境(空気)を一生けん命拾おうとするけれど、それをちゃんと咀嚼して自分の意見といて人に伝えることができない(吐くことができない)。

そんなイメージが湧いてきます。自分自身のその時に置かれていた立場は
まさにそんな状態だったのだと思います。というわけでその会社も志半ばで退職を余儀なくされたのでした。

自分ではがんばるつもりだったのですが、両親に「お金が必要なら私たちの年金をあげるからそんな体調で働かないで」と懇願されてハッとしたのです。

一緒に暮らしていない両親なのにそんな風に映っている私って???!!!こんな親不孝なことはない。やっぱり親に「良い子」でいたい私がむくむくと起き上がってきてこれは辞めるしかないと決心したのです。年齢は50歳もとっくに過ぎていたのに。。。(苦笑)

思い切って会社を辞めると社長に伝えました。その日、家に帰ったら
なんと大量に買って箱で置いてあったりんごの甘い香りが家中に拡がっていたのです。

こんなにあっさり無くなっていた「匂い」を取り戻すことができるんだ。。。からだが会社を辞めることに許可を出した。そう思いました。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の手術までの道のり(停滞期)

介護福祉用具の会社を辞めてしばらくは快適な生活が続きました。ところが自営業として自分なりに頑張って来てそれなりに結果も伴ってきたのに、やはり、副鼻腔炎と喘息の症状が頭をもたげてくるのです。

そして遂に、慢性副鼻腔炎が続く中で免疫細胞の好酸球が増えることで大人の難病「好酸球性副鼻腔炎」と診断されました。

半ばもう「共生」していくしかないかと思いながらひどい時にはステロイドの吸入も使い、漢方薬に頼ってみたりした時もありました。喘息は実は発作によって命を奪われることもあり、放置すると危険な病気です。

鼻の匂わないことは8年くらい続いていましたが、これも私自身が自分に取り入れる情報量を操作してくれているくらいに思うようになっていました。

におわないといっても「五味」はある。

辛い・甘い・しょっぱい・すっぱい・苦いはちゃんと感じることができる。
人生のそれもまた、ちゃんと感じることはできていたように思います。ただ、風味がいっさいわからない。味わいが無いのです。

人生をちゃんと感じていたがそれをしっかり味わえていなかったのです。

味わえない=味わいたくないとも考えられるし、私の中で呼吸の浅さに連動して何か、自分の出合う出来事に対処する自信がなかったのかもしれないとも思ったのです。

難病「好酸球性副鼻腔炎」の道のり~まとめ~

ここまでの「からだの気持ち」をまとめてみます。

こどものころの私の慢性副鼻腔炎はおそらく親の期待に応えたいという
私の勝手な思い込み「親の抑圧」
がキーワードでした。

そして自分が大人になって親にもなってからの副鼻腔炎は自分自身が自由に動けないことを理由にしてしまった自分の「才能へのふた」が主な原因です。

ここでお気づきかもしれませんが、どちらも私がそう思い込んでいた・・・ということであって実際は親の抑圧も自分の才能へのふたも多分、私の思い癖、思い込みに起因しているということです。

併発していた「喘息」に関しても「言いたいことがうまく言えない」
「言ううべきことを我慢していた」という私の思い癖が
作っていたものです。この思い癖・・・なかなか手ごわいのは決して自分でそう思いたいわけではなく自然にそういう思考回路が小さい時から様々な要因が重なり合って創られたものだということです。

でもね。この「思い癖」に気付けることが最も大事なことなんです。
自分で反省したり、ダメだしすることもなくただ、「そうなんだー」と気づくこと。それがとても大切なことなんです。

なぜならそれに気づき始めたら、いろいろな「意味ある幸せな偶然(セレンディピティ)」を引き寄せやすくなるから。

今までの投稿の中で一番長くなったので、手術を決心したり、その後、様々なセレンディピティを引き寄せた話はまた、後日。

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