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プぺルとルビッチは正に「風」の時代の申し子。そして西野亮廣そのものだった。~映画・えんとつ町のプぺル~

先日映画「えんとつ町のプぺル」を観てきました。
煙突の煙で見えなくなった夜空に輝く星を信じて行動するルビッチとプペル

1999年、「ノストラダムスの大予言」がまことしやかに語られ
地球は滅亡する・・・という説が皆の中に浸透していた年。
地球は滅亡しませんでした。私は小学校の時にこの「ノストラダムスの大予言」を知り、何十年も先の地球滅亡を思って子どもなりに眠れない夜を過ごしていた時期があります。ただ、地球は滅亡しなかったのです。けれど明らかに2000年から地球は変わりました。それは携帯電話の普及。携帯電話の電波は目には見えないが私たちの身の回りの空気中に無数にその周波数が現れ、きちんと会話しないと、相手の言うことの意味を理解できない時代になりました。つまり、「以心伝心」が通用しない時代になったのです、と私は思っています。あの頃から地球上の人と人のコミュニケーションはすっかり変わってしまったのではないだろうかと。

おっと、プペルの話に戻します。作者の西野亮廣は、こう思っていたそうです。『2000年になって、みんなが「ノストラダムスの大予言」が嘘だと気づいたときにインターネットが入ってきて、様々な情報が正しく入手できるようになった。「嘘やデタラメは許されず、あの日を境に世界は駆け足で正しくなった』と。

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以下、西野亮廣「ゴミ人間」から引用(リンクあり)

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それからは、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれてしまうのでもう誰も見上げることをしません。皆、足元を確認しながら歩くようになりました。
互いの行動を監視し合い、少しでも踏み誤ると容赦なく叩く。
おかげで世界はすっかり正解で溢れましたが、間もなく僕らは、正解であふれた世界がこんなにも苦しいことを知ります。

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誰も世界の緩め方を知らずに、こんな未来を望んでいなかったはずなのに。
そんな状況の中、望んでいる未来をゴミ人間プペルとルビッチは見ようとしていたのです。

2000年といえば「土」の最後の時代
これが「土」の時代だという象徴のような20年。
ここで極まって、行き過ぎたものを覆っていたのが煙突から出る煙そのものなのではないでしょうか?この時代の変わり目に、煙突の煙で覆われた世界に真実があるのではなく、見上げた空の上にこれからの希望が詰まっていると教えてくれる映画でした。

そしてこのゴミ人間こそ、「土」の時代に副業を許されず、クラウドファンディングを怪しいと非難され続けてきた西野亮廣自身なんだとわかったのでした。

この映画は「えんとつ町プペル」の絵本にはない設定があります。
実は映画にするために構想を練って、その一部である絵本の内容を先に公開するという手法が取られています。

私自身、私が持つ多くのコンテンツをちゃんとマーケティングして
売っていった方がいいと多くの方に言われましたが、西野亮廣はそれを「商品」と呼んでいます。そして自分が本当に伝えたいものを「作品」だと。
マーケティングして商品を創らない代わりに、自身の生み出した「作品」をきちんと世に出すための「子育て」が必要と説いています。
その子育てが映画の前の絵本の出版という訳です。

私がどんなマーケティング手法にもこころが踊らない理由もわかったような気がします。私は常に「作品」を産み出したい人であり、
決して誰かに合わせて「商品」を売りたいわけではないのだと。

「えんとつ町のプぺル」の絵本や映画に感銘を受けただけでなく
遠くから見ていた時代の申し子のような西野亮廣さんをとても近くに感じた年明けになりました。

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