コロナ

流行り初めの頃はどうなるかと思ったが、結局ぴんぴんしてるな。

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新型インフルエンザが流行った頃、あれは2009年だったから、だいたい10年前か。

中学生だった僕は、幸いにも(?)旧型のインフルで学校を休んでおり、復帰した直後に自分のクラスが学級閉鎖となった。

 

私の周りは田舎だったし、まだまだ子供だったのもあり、基本は学校と家の往復である。その中でも流行したのだから、よほど猛威を振るっていたのだろう。

 

学級が悉く閉鎖していったが、テレビを見ていたら社会は相変わらず動いているようで、自分の両親でさえもいつものように働いていた。

 

幼心ながら、「なんで働いているんだろう?休めばいいのに」と思った次第である。学校には学級閉鎖があるが、会社には会社閉鎖などない。しかも当時は、テレワークなんて概念は無いようなもので、2015年の某電通事件も起きていないためブラック企業という言葉すらピンと来なかった時代だったように思えるから、働くのが当然だったのかもしれない。

 

それから時は経ち、社会人になってようやく1年、という時に突如新型コロナウイルスなるものが流行りだした。

 

最初は武漢で流行っていたものが、みるみるうちに中国だけでなく、日本や韓国等アジアに広まっていくではないか。

 

あれよあれよと言う間に、数々の国が出入国規制をかけ始め、私が住んでいる土地の観光エリアでは、あれほどいたキャリーケースの大群がふっと姿を消した。

 

そんな状況下であっても、日々出勤している自分がいた。そして、あの時の疑問に対する答えが分かった気がする。休まないのではない。休めないのだ。

 

別に上司になにを言われたでもないし、普段からブラック労働環境に勤めているというほどでもないのだが、休めないのである。

 

これは集団心理なのだろうか?しかし、休みたいのにみんなが休んでいないから休めない、という雰囲気ではないような気がする。

 

どちらかというと、元気な状態では働くものだという既成概念によるものではないだろうか。特別な事由が無いのに有給休暇を取りにくい、といった状態に近いような気がする。

 

就活オンシーズンになり、就活生らしき人や内定者らしき人を見るが、諸君らに伝えたい。働き方改革の波が押し寄せているとはいえ、企業とはそんなに融通のきくものではない場合が多い。私も一年前まで実感が湧かなかった。

 

パンデミックになったら、ようやく企業はストップをかけるかもしれない。結局自分に実感がわかなければ人は動かない。

 

不安を覚えた私は、コロナに関する情報を集め始めた。だが、延々と報道されるニュースも、SNSを前にするとどこまでが真実でどこまでが建前なのか分からなくなる。

 

そこで興味を持ったのは、報道にはコロナの情報だけでなく、行政の対応への批判めいた内容も含まれることである。もっと興味深いのは、それがツイッターニュースになると、リプライ欄が政府批判の応酬になるところである。

 

そんな時、とある歌の詞を思い出す。「ほんまやめとき 本当の敵がいるのに 仲間で揉めだすのは」

私だって批判をしたくなるのだが、それで何が変わるのだろうか。どのような対応のせいで、どのような被害拡大に繋がってしまったとしても、過去のことである。今は、事態収束や感染拡大防止のために、各人がなにが大切かを考え行動に移すべきでないのか?

まあ、批判してる人々に対する意見をこうして投下してる時点で、私も同類なのだが。

 

現状の最中にいる私が得たのは、日本ってこんな国だったのか…という認知である。批判でも否定でもない。そうだったのか、と分かったのである。(こうでも書かねば、どこから槍が飛んでくるか分からない。)

 

人間、痛い目に会わなければその大切さに気づけないというのはなんとなく分かっていた。だが今回改めて分かったのは、会ったとてせいぜい気付く程度で終いなのであって、知恵として血肉に残しておくことは望み薄だということだ。

 

まだなにも収束していないが、今後新たなパンデミックが起きたとしても、歴史は繰り返される。民が不平不満を漏らして終わる。

 

今まさに、このような国に住んでいる事実を受け止めねばならない。批判している行政の動きだって、民主主義であるから、少しは責任がある。

 

せめて、マスクの常備着用、手洗いうがいは徹底しようと思った次第である。

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