最近の気付き②~質問は質問ではない~

”最近の”とは銘打つものの、昔から思っていることを改めて記事にしているだけです。

さて、今回の気付きは「質問は質問ではない」ということです。
より詳しく言うのであれば「(立場が違うもの同士の会話の場合)質問は質問ではない(場合が多い)」、ですかね。

記事に起こそうと思った発端がこちらのツイート。
ツイート上では「質問は詰問ではない」となっていますが、実際生活では「質問は詰問になっている」という状態。
いやー、確かに…。とみなさん思ってしまうのではないでしょうか。

思い返せば
母からの「なんでそんなことするの!」
監督からの「なぜできない?!」
上司からの「どうしてこうなった?」
全てにおいて疑問文にたいして回答すると、「そうじゃないでしょ!」/「言い訳するな!」が返ってくる。まず間違いなく。

蛇足ですが、私も仕事上でとある社内申請を通そうとしたところ、その申請が却下されました。却下されるのみで、却下理由が抽象的であったためもう少し具体的に教えてほしいと連絡をしたところ、
「教えてほしいとはどういうことですか?」
「~というわけで、具体性が無かったからです。ご理解いただけましたか?」
「ご理解いただけたとはどういうことですか?」
など、勝手に相手をヒートアップさせてしまった始末。こっちにも非はあったかもしれませんが、面白かったのでレスバに乗りました。
なんやかんやで、申請は通ったのでOKです。

また、詰問の意図が無い場合でもそう受け止められる場合はあるようです。
先日メルカリで出品した際に値引きを求められたため、その理由を窺いました。すると、長々と本当だか分からない理由を述べられたのち、「不快でしたら申し訳ございません」という文言が。どこにもそのようなことは書いていないのに。

やはり、人は鏡なのかもしれませんな。
どこにもそのようなことを読み取れる部分は無かったのに、こちらの気持ちを推し量っているというのは、相手側にもそう思わせたかな?という気持ちの現れ…。

そういえばこんなこともありました。
社内で活動していて、「お前、身内にこの会社を勧めたいと思うか?」と横部署の先輩(おっちゃん)に聞かれました。
「あー、まあ悪くないんじゃないですか?」と当たり障りのないコメントを返すと、
「違う、俺は勧めたくない。理由はあーでこーで・・・。」と、こちらに聞いたにもかかわらず自分の意見を言うばかり。
こんなのされたら若い子はみんな「なんで聞いた?!」となりますわな。
それ以降、その人に対する内心の評価はフラットの状態からマイナスになりましたね。別に私からの評価が下がったからといって何かどうなるわけでもないですが。

身から出た錆、自業自得とはよく言ったもので、その概念を上手くことわざや四字熟語に収めた古人には拍手を送りたい。

もうなんか相手に対して変な気遣いするの/されるのやめたくないです?
私はやめたいです。

言葉を額面通りに受け取らずに会話する、ハイコンテクスト文化のせいなんでしょうか。それとも、他人に迷惑を掛けないように生きよう精神の賜物なんでしょうか。

勝手に想像して勝手に生きづらくなっている人たちもいますし。もっと人に対して寛容的でありたいですよね。

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