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人生、これからをもっと楽しもう!

[第54号 5月11日発刊]
 共通の知り合いがいてお互いびっくりした根来さんからバトンを受け取りました。hisaです。
さて、私、何にでも前向きに取組んできた人と思われがちです。しかし実は挫折に後悔ばかり。今の3rd Placeとはちょっと違いますが、第三の居場所を感じながら生きてきた人生をちょっとだけ振り返ってみます。

少しばかり不登校気味だった中学時代

実は中2の後半は昼登校や早退を繰返していました。中1で東京から福岡へ戻り、標準語を話す私はターゲットにされ、逃げようのない息苦しい日々でした。そんな私を救ったのは学習塾でした。塾で同じ高校を目指す仲間ができ、目標に向かって勉強する、それだけで中学生活が楽に送れるようになったのです。そして高校生活もスムーズにスタートできたのでした。高校生活は実に楽しかったです。 

会社生活のライフラインチャートは乱高下

新卒で就職したのは、電機メーカーでした。文系総合職、いわゆるメンバーシップ型採用です。希望部署には配属なかったものの、皆さんにかわいがっていただき、秘書業務も加わり、仕事が楽しくなりだした頃に最もやりたくなかった営業への配置転換。その後また秘書業務へ。会社員は仕事を選べない。辞めたら生活できなくなる恐怖がありました。乱高下を何度か繰り返すと「落ち込んでいるときは上るだけ、いい時ばかりじゃない」と変な割り切りも生まれました。その時の支えは小学校から続けているガールスカウト活動でした。会社にリュックサック背負って、そこから長野までキャンプに行くなんて芸当もやってのけました(笑) 

仕事は、楽しかった学校職員

少し飛びますが、3年の専業主婦を経て、学校職員となりました。そこで出会った仕事が就職支援です。学生と関わる仕事がこんなにもやりがいがあるのかと思う日々でした。私が必ず伝えてたことは、「新しい土地で就職したら、職場以外の居場所を見つけよう。趣味などのつながりを作って」ということでした。仕事だけのつながりしかないと、仕事に行き詰まると辞めるしかなくなってしまうことが判っていたからです。やりがいのある仕事ではありましたが、職場環境は最悪。正に「やりがい搾取」です。半面今まで知らなかった業界に魅せられていたものまた事実です。
もうこの頃には自分の居場所や支えが数多くあり、なんとか乗り切りました。 

キャリアコンサルタントとしてのこれから

公的機関での就職支援業務の職を得ました。同時に養成講座に通い、キャリアコンサルタントになり、その後2級技能士に。若年者支援を専門とし、多くの方々と向き合う日々です。キャリコンになっての世界の広がり方は今まで以上!多くの3rd Placeに関わらせていただいています。今の私にとっては昔の逃げる場所としての3rd Placeではなく、自分自身を広げるためのもの。プロティアンの世界でいう社会関係資本の蓄積によって、助けていただき、刺激を受け、人生を豊かにしている実感があります。これからも一つ一つの仕事を丁寧に、クライアントに真摯に向き合う自分でありたいと思っています。

さいごに

ボーイスカウトとガールスカウトの創始者である、ロバート・ベーデン=パウエルの最期の言葉を少しだけご紹介します。
「私は、非常に幸せな生涯を送った。ですから、君たち一人一人も、幸福な人生であるよう願っている。」
自分の人生に感謝し、次世代の方の幸福な人生を願う。私も最期の時にはそう思えるよう、タイトルのように「人生、これからをもっと楽しもう!」

 次回[第55号]は、山歩き大好き!の北田香里さんにバトンをお渡しします!

※画像は部屋から見える佐賀県基山(きざん)の山並みです。新緑が美しい季節。電線はご愛敬です(*^^*)

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