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いま絵画にできる、最大限。中園孔ニ「ソウルメイト」

中園孔ニ展をみるため、丸亀の猪熊源一郎美術館へ行ってきた。素晴らしい展示だった。雑感の記録。

ひとりの作家とは思えない多彩な表現、そのうえでの中園らしさ

中園さんは25歳の若さで逝去されるまで、およそ9 年間という短い制作期間で、約600ものキャンバス類の絵画作品を生み出している。めちゃくちゃ多作。
しかも表現が多彩なのだ。絵の具を厚く盛っているのもあれば、薄塗り、擦れているような表現もあり、しかもそれらがひとつの画面上で混在していることが多い。面で画面構成したり、線の表現で統一したり、それらを重ね合わせたり。具体的なモチーフもあれば、抽象的なものもある。支持体はキャンバスに限らず、板、アクリルなども。
多彩な表現だが、それでも各々に何かしらの「中園さんらしさ」がある。特に目と口の顔表現が特徴的だが、それ以外でも不思議とほとんどの作品には、なんというか、中園さんだ、という納得感がある。

いま絵画にできる最大限が、ここにあるのでは。

先ほどの「中園さんらしさ」にもつながるのだが、中園さんはインタビューのなかで、「描く世界はひとつ」と言っている。彼のみている世界の断片を描いた結果であるから、すべての絵画に何らかの共通がみえるのかもしれない。
確かに作品の向こうにはわたしの知らない世界が広がっている。
彼のノートには、こうある。「素晴らしい絵画に出あったとき、その四角の中身に驚いているのではない。知らない間にのぞかされた穴の向こう側に心をうたれているのだ。私は絵画を描くということをとおして、まだ世界に存在することにせいこうしていない穴を出現させたい。穴を、ほるのではなく穴を絵画という物質を通して発見するのだ。」
中園さんは確実に穴を出現させている。穴からのぞき見える世界は、理想郷ではない。その世界はあからさまではなく、とらえどころがない。美しい、優しい出来事もあれば、残酷で恐ろしいこともある。
観客を襲ってきそうなほどところ狭しと並べられた作品たちが、彼が表すひとつの世界の断片を、おぼろげにだが伝えてくれる。鑑賞者にこの体感を与える。これは、いま絵画にできる最大限なのでは、と感じるほどだった。

絵画をみる儚さ

中園さんの作品はレイヤーが何層にも重なったような複雑な構造。注目する箇所が変わると、まるで騙し絵のように、見えるイメージが変わる。遠くからみると顔が描かれていて、よく見たくて近づいてみるとぼんやりして逆に見えなくなる。離れてみて、近寄ってみて、を繰り返して、なんとかしてこの作品を自分の(頭のなかの)ものにしたい、落とし込みたい。そう思ってトライするも、なかなかうまくいかない。
絵をみるって、なんて儚いんだ、ちくしょう。と思ってしまった。
そんな半ば悔しさが、展覧会の終盤ですくわれた。「絵画のよいところ→一瞬で目に入ってくるところ すべての面がこちらを向いている」「絵画は、作者を含む、見る者の”思い”を無いものとしない。忘れない。見ぬふりを、しない。」中園さんが記した言葉だ。
わたしはたとえあの絵画ともう出会うことがないとしても、頭に完璧に思い描けないとしても、最初に目に入った驚きと、目を離せなかった没入感を確かにこの体で体験した。それでいいか、と思えたのだった。


メモについての考察

展覧会の各所に散りばめられた中園さんの言葉から、彼は自分の考えを言語化するとき、慎重に、確実でありたかったのだろうと思う。メモ書きなのに自分の言葉に真摯。言語でもすくいとれないものを、手を動かして表していた。
展覧会は作品だけでなく、中園さん自身にも近づこうとしているつくりだった。来訪者はきっと作家個人に魅了されただろう。みんなわたしと同じように、作家に心を寄せたい、近づきたい、と思ったのではないか。
メモは作家が芸術を通してしようとしていたことを紐解くのにとても役立っていると思うし、私も嬉々として読み、心を動かされた。一方で、それらのノートはめちゃくちゃ個人的で、見ることに罪悪感を感じてもいた。彼がおそらく自分だけのためにつづったもの。それが公開されるのは作家の宿命と考えればよいのだろうか。それとも芸術家は作品のみで評価されるのが望ましいのか。難しい。

瀬戸内海

丸亀へは、岡山を経由した旅だった。特急「南風」にゆられながら、中園さんが眠っているであろう瀬戸内海を眺めた。彼の絵がなければ、今日、こんなに輝く海を見ることはなかった。それも含めて特別な展覧会だった。

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