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私が初めて日本の野球界に疑問を感じた時①

小学生だった私は、学校から帰宅すると、玄関にランドセルを放り投げて、すぐにバットとグラブを持って近所の空き地にまっしぐら、そのまま日が暮れるまで野球をしていました。それほどのめり込んでいて、この時の時間の経つ早さをよく覚えています。無我夢中とはこういうことを言うのだと思いました。 
このころの野球は大人の介入が一切ない「草野球」です。ただただ楽しかった記憶しかありません。ところが4年生になって、正式に少年野球チームに入団します。

子供たちだけの草野球では、子供だけで考えた独自のルールを作ったり、投げる時はプロ野球選手のやれ誰誰だ!打つ時もやれ誰誰だ!と憧れの選手になりきってプレーしていましたが、組織だった少年野球チームでは、完全に大人が支配していました。

打ち方や投げ方は全員同じ、僕たちのプロ野球選手の誰誰のように打ちたい投げたいという願いは一切許されません。それどころか何かにつけて怒鳴られてばかり。「もっと大きい声出さんかい!」と意味不明の大声をいつも強要されます。

その結果、良いプレーをしようというより、怒鳴られないようにしようという事を優先するようになっていきました。

例えば打撃練習で2球続け続け空振りすると、怒鳴られて、「打撃ゲージから出ろ!もう打たんでええ!」と言われてしまいます。そうなると、次打たしてもらえた時、思いっきりバット振ることより、当てる事しか考えないようになります。

そう考えると、組織だった少年野球チームに入る前の方が楽しかったことは明白です。それでも野球を辞めるという結論には至りませんでした。ただ悶々とした状態で少年野球を続けていたのですが、そんな私が中学3年生になるとボーイズリーグ日本選抜に選出されました。

今では世界大会がありますが、1979年当時は日米対抗戦としてオールジャパンチームが渡米し各地でホームステイをしながら転戦し、各地のオールスターチームと12試合行うものでした。ちなみに、JAPANのユニフォームに袖を通せると思っていたので、まさかNIPPONとは思いませんでした。

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私の人生の1回目ターニングポイントが幼い頃南海ホークスの野村克也さんのホームランを見た時だというお話は以前このブログでもお伝えしました。このアメリカ遠征こそが私にとって2度目のターニングポイントとなります。それはそれは頭がまだ柔らかい15歳の私にとって非常に大きなターニングポイントとなるのでした。

アメリカでは各地に着くと歓迎パーティーを開いてくれます。

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ほとんどの土地でアメリカの皆さんはまずオールジャパンの選手たちを見て驚きます。理由は簡単、全員丸坊主だからです。今でこそオシャレボウズというのがありますが、当時は必ず「何か悪い事したの?」とか「もう軍に入隊してるの?」とか「日本でベリーショートにしなければ野球はできないの?」などと聞かれました。

同世代のアメリカ人選手たちは、それぞれオシャレに伸ばしていました。

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やはり私が小学生の頃から思っていたように、丸坊主の強要はおかしい事なんだと改めて気付かされました。

それだけではありません。「ウォーミングアップで声が出てない」と怒鳴られたり、「足が揃ってないからもう一周」と言われたりするオールジャパンを見て、再び「軍隊みたい」と言われてしまいます。アップの時間が大袈裟ではなくアメリカチームの3倍はしていたのを見て、「そんなにアップしたら疲れないの?」とか「それだけ大声をずっと出していたら、危険な事や大事な事が聞こえないね」とか、言われて、子供ながらに「おっしゃる通り」と思ったものです。

一方でアメリカのチームはというと、試合中でも、指導者が罵声を飛ばす事はありませんでした。厳密には40年も前の話ですからアメリカでも多少罵声を発する指導者も存在していました。それでも日本の比ではありせんでした。

滞在中、子供ながらに強く感じたのは「思いっきりプレーして上手くいかなくても、アメリカでは褒められる!」ということです。思いっきりバット振って空振りの三振でも「ナイストライ!」と言われていたのは衝撃でした。

私たち日本の野球少年はいつも怒鳴られてばかりなので、怒られないようにプレーしていたというのに、彼らは褒められたくてプレーしているように私の目には映りました。怒られないように行動するのと、褒められようと行動するのとでは随分力の出方が違うんだろうなとも感じました。

驚いたことはそれだけではありません。試合中ベンチの横には大きなポリバケツが2つ3つあり、そこに大量の氷といろんなドリンクが入れられており、アメリカの選手たちは自由に飲む事が出来ました。この光景も衝撃的でした。

今でこそ水分補給は当たり前になりましたが、私たちおじさんが子供の頃の時代は、大人たちから「水は極力飲むな!バテるぞ!」と今では信じられないことを言われていました。私は「アメリカでは、日本のように嘘をついてトイレに行くと言って手洗い場の蛇口を捻って水を飲まなくでもいいんだ!」と「水は飲んだ方がいいんだ!」と今では当たり前の事を感じたのです。

アメリカで経験した衝撃はまだまだあります。皆さんは洋画「がんばれ!ベアーズ」、アメリカでのタイトルはThe bad news Bears(1976年)をご存じでしょうか?

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私が小学生の頃父と観に行った映画です。主役テイタムオニールさん演じる少女エースが降板後、飲んだくれの監督が自分のビールを冷やすために用意した氷入りのボックスに肘を入れているシーンを見た時、子供ながらに「肩肘冷やしたらあかんやん!」と心の中で叫んだものです。

その映画を見た3~4年後であるアメリカ滞在中に目の前で同じシーンを見ることになります。アメリカの投手全員降板後、その飲み物を冷やす氷のたくさん入ったポリバケツに肩肘を入れ、首からストップウォッチを下げて、いわゆるアイシングをしていたのです。日本では肩肘を冷やすなど持っての他という時代でした。少年だった私に混乱が生じました。「えっ?あの映画のシーンは正解だったの?投げた後、肩や肘を冷やした方がええの?」と。

日本の野球しか知らなかった15歳の私は、このアメリカ滞在中で毎日のようにカルチャーショックを受け、「アメリカの野球って変?」だった感想から、いや「日本の野球って変?」という疑問に変わって、帰国する時には「アメリカの野球っていいな!」になっていくのです。

この続きは、次回にお届けします。お付き合いのほど、お願い致します!

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