映画「告白」

‪映画版告白みて心が埋葬された‬
‪やっぱアジア圏の精神にくる映画のダメージが半端ねぇよ⋯⋯逆に言えば欧米圏の映画を超ファンタジーとして見てるってこと⋯⋯それ含めて2倍つらい‬

‪クソつらいのでファンタジーとして見ると、先生とAの母親の対比が好きだ。
両方とも母親で、憔悴しきっているが、先生はそれが冷静さに出て、母親は錯乱に出る。‬‪いや、先生の精神フィジカルが強すぎるってのもあるけど、先生には終わり(AとBをコテンパンにすること)がハッキリ見えてて、能動的に行動できたからってのが大きいと思うんだよな。
母親は終わり(Aが前のように戻る事)がまったく見えていない状態で、こちら側が働きかけて治るという問題じゃないから、受動的になるしかない。先生のように全てを失いっていない(夫と娘がいる)分、その人たちに迷惑をかけられなくて逃げ道も失ってしまう。
辛ーーー!!!!なんかこの映画で一番可哀想なんじゃないかと思う。(ウェルテルとルナシー信者の女の子も大概やが)

大衆ってくくるのはあまり好きじゃないんだけど、やっぱ大衆の嫌な部分の描写がすごい。中心人物達⋯いわゆる実質的な被害者と加害者以外の、“犯罪に触れない程度に倫理に反する行為をする人達“の生々しさったらない。
‪先生達がマジバトルを繰り広げてるなか、画面の隅っこにメインがガンっ🍖てのってる感じで‬。ほんと当事者以外の行動とか声って、無責任以外のなにものでもないんだなって思う。まあこの映画の大衆はマジで画一的(大衆のイヤさのみ)だったのでそこらはめっちゃファンタジーやなって思うけど。
ネガティブな事件が起こったときに、それをうけて馬鹿にしたり拒否したりするんじゃなくて、なにか一つでもいいから真実(事実?)を理解して、より良くあるべきや。少なくとも、それが出来る状況下にあるならば。

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